「私って、「入れ物」なんです。外から入ってきたものが全部私の中に入ってる。私の内側から発生したものなんて何一つないんです。単なる入れ物なんです」(『変半身(かわりみ)』村田沙耶香)
次の読書会で『コンビニ人間』をとりあげているため、準備として村田沙耶香さんの別作品にも目を通しています。その中から、気になった「ことば」を拾っていきます。
引用したのは『変半身』という作品のなかのセリフです。
本作は村田沙耶香と松井周が三年におよぶ取材・創作合宿を経て、共同で原案を創り、それぞれ小説と舞台として発表するプロジェクト=inseparableのために書き下ろされました。
とあり、この作品は村田さんの中でも特殊なストーリーではないかと思います。
ストーリーはある島に伝わる「秘祭」について展開されています。その内容や歴史自体が、ネタバレを含むので触れないでおきますが、二転三転して驚かされます。キモチワルイとか、ついていけないと感じる人も多いかもしれません。一方で、その過激さを褒め囃す人もいそうだと感じました。良くも悪くも、好き嫌いのハッキリ分かれる話だと思います。
そんな中で「作者の声」に耳を傾けるようにして読んでみました。
作者の声は登場人物のセリフと重なっているときもあれば、そうでないときもあります。
完全に重なっているときは、作者自身のメッセージなのか、キャラクターとしてのセリフなのか判別はつきません。
とくに一人称文体では、作者=語り手に聞こえがちなので注意は必要です。小説で必要以上に、作者を意識するべきではないとは思います。
けれど、キャラクターの性格や思想と、ズレたことばがふいに顔をのぞかせるときがあります。
「ん?」と、キャラとして違和感のようなものもあるし、作者の声のようにも聞こえます。
自分を「入れ物」という表現は独特だと思います。
多くの人は心や思考をもっていて、日々、悩んだり迷ったりしながら生きています。
自分から距離をおいて「入れ物」と言い切ってしまう表現には、作者の「視点」を感じます(アスペルガータイプの特徴と重なるものを感じます)。
この「視点」は、同書に収められている短篇『満潮』でも感じました。
この小説は、
夢精をして目が覚めた。
という一文から始まります。夢精したのは男性ではなく、女性の「私」です。
そのことを、夫に話そうか迷ってるうちに、今度は夫から「潮吹き」をしてみたいと言われます。
「そんなの、専門のお店に行けば、すぐに出来るんじゃないの?」
と投げやりに言った。夫は顔の筋肉が引き攣るような動きで頰と眉を動かし、俯いた。
「佳代さんまでそんな短絡的なことを言わないでよ。それじゃだめなんだよ。僕が出したいのは、そんなふうに汚れた潮じゃないんだ。自分だけの力で辿りつきたいんだ。僕の潮は僕のものだ」
冗談かと見まがうようなセリフですが、この後、夫婦は、いたって真剣に「潮吹き」を目指していきます。
後半では、そんな行動に向かっていく原因に見えるような過去が語られていくうちに、共感できるキャラクターとなっていく手腕は見事ですが、前半のことばを弄んでいるような文章には「入れ物」につながるものを感じます。
「なんだろう、これ?」と、子どもが初めて見るオモチャを弄るように性的なことばを弄んでいるような。
そこには、子どもの「無垢さ」とはちがう何かがあるように感じます。じぶんを「入れ物」と呼び、「内側から発生したものなんて何一つない」と言い切る虚無感のようなものが漂っています。あるいは虚無すらない、ロボットのような冷淡さかもしれません。
「下品」「キモチワルイ」「くだらない」といった言葉でかたづけてしまうと、作者の声は失われてしまうし、同様に、表面的な過激さを「才能」「突き抜けている」といった讃辞で持ち上げすぎるのも、耳を傾ける姿勢としてはあやまっているように思います。
雑音が多くて、聴き取りづらい声に感じましたが、別の村田作品を読みながら考えていきたいと思います。
緋片イルカ 2020/07/03