『ひぐらしのなく頃に業』が放映中の影響か、過去の作品『ひぐらしのなく頃に』と『ひぐらしのなく頃に解』がAmazon Primeで見られたので全50話を見てみました。
この作品は以前にDVDでレンタルして「解」の途中まで見ていたのですが、当時、続きがまだ出ていなくて、いつのまにか、そのままになっていたので気になっていた作品でした。
内容に関する考察などは、他のサイトで多数ありますので、あくまでストーリーとしての魅力や欠点、ループものについてなどを書いてみます。
古い作品ですが、一応、
以下、ネタバレを含みますので、ご注意ください。
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以下、ネタバレを含みます
ループ型ストーリーとゲーム的発想
ループ型ストーリーというと『時をかける少女』を浮かべる人が多いかもしれませんが、少しちがいます。
これは時間を操る超能力を持つという設定で、海外映画でいうと『アバウト・タイム』が同じ設定です。
時間を自由に操れることで、人生をコントロールしていきますが、やがて思い通りにならないものにぶつかり、受け入れて成長していく。
『時をかける少女』では青春が、『アバウト・タイム』では人生訓がテーマとして描かれます。
これらの作品には「時間をテーマにしたドラマ」があります。
一方、ループ型ストーリーというのは、主人公は本人の意志とは別に「同じ時間や状況を、ループする」タイプです。
それが永遠のように感じられると苦しみに感じられて、その輪廻(沼といってもいいでしょう)から脱け出すことが主人公の目的になります。
古い映画ですが『恋はデジャ・ブ』はループ型のコメディ映画です。
傲慢な性格の主人公が、ある一日を何度も何度も繰り返すうちに、やがて、人に親切にすることを学んで、ループから脱け出します。
『ミッション:8ミニッツ』は、特殊なSF設定で、列車事故の起こる8分間を再現できる世界で、タイムリミット内に列車に仕掛けられた爆弾を見つけるというミッションに繰り返し挑戦します。ミステリー・サスペンステイストです。
ループ型ストーリーでは主人公が死んでも生き返ります。『恋はデジャ・ブ』では死んでも抜けられないというブラックジョークにすらなります。
この「死んでもやり直す」という世界は、観客があくまでキャラクターとしてみているから受け入れられます。
これと同じことがゲームにもいえます。
ゲームオーバーになっても、はじめから、何もなかったように、やりなおす。
ループ型ストーリーとゲーム的発想は似ています。
両者の交わりにあるような作品が『オール・ユー・ニード・イズ・キル』です。
ハリウッド映画ですが、原作は日本のラノベだそうです。トム・クルーズが死んでも死んでも、ミッションに挑んで乗り越えていくアクション映画です。
これらのループ型ストーリーは構成上、明確な共通点があり「ループ・プロット」と呼べるほどに、同じ構成をしています。興味のある方は、分析してみてください。また他にループ型の映画をご存知でしたら、コメントください。ちなみにストーリータイプでは魔法のランプ型になります。
『ひぐらし~』のミステリー要素
『ひぐらし~」では主人公が殺されたり、狂ってしまったりといった、通常のアニメやストーリーではありえない展開(と残虐描写)に驚かされます。
これはゲームの「バッドエンド」の発想からきているものでしょう。
「何があったんだ!?」
「どういうことだろう??」
「過去に何があったんだろうか?」
といった「ミステリー」のストーリーエンジンが働いています。
ゲームを再開するように、つづきを見たくなります。
しかし、物語内に明確な探偵役がいて、積極的に謎を解明していくタイプのミステリーではありません。
村の過去の出来事や、各キャラクターの秘密といった部分が「観客」に対して明かされていくだけで、これは「設定の後出し」です。
だから、ある程度の全体像が見えてくるとストーリーエンジンが止まっています。具体的には『ひぐらし~解』はほとんどが説明的です。
「パラレルワールド」という緩いルール
『ひぐらし~』の前半では、主人公が物語をリスタートすると、記憶がなくなっていて、パラレルワールドのように展開されていきます。
観客は、前のパラレルワールドとの共通点に楽しみを見出しますが、これも「設定を知らされた」ので、前と似たシーンが違って見えるだけです。構成上で複雑なテクニックではありません。
「パラレルワールド」という設定は「主人公がループする状態」より、ゆるやかな設定です。
「ループ状態」では主人公は厳密なルールに縛られており、その綻びは、ループを脱け出すためのきっかけになります。
しかし「パラレルワールド」というのは、いったん、すべてが、なかったことに出来てしまうので、ルールが曖昧になるのです。矛盾点があっても、つっこまれないズルさともいえます。
「パラレルワールド」の記憶を持っている少女が出てきますが「記憶を持ちこせないことがある」とか、「100年繰り返してる」と言ったり「1000年繰り返している」と言ったり、そもそもループのスタート地点もよくわかりませんが、唐突に「これが最後になる」と認識したりといった、設定の甘さが目立ちます。
物語の設定として引き締めるのであれば、パラレルならパラレルなりのルールが、ブレてはいけないのです。
ループする者の苦しみ
同じような会話が繰り返されるうんざりした気持ち、大切な人を守れない悲しみ、それを何度も味わう絶望と諦め。
ループ型ストーリーでは、定番の型です。
これは魅力的なキャラクターのひとつの型だと思います。(※同じ作者と勝手に勘違いしてましたが『魔法少女まどか☆マギカ』でも同様なタイプが出てきます。もはや定型化してるキャラクターといえそうです)。
映画では、ジャンルや設定によりけりであれど、主人公はループから脱け出すために試行錯誤し、葛藤し、ときに決断をして、乗り越えます。
「ループ」という超自然現象に対して、人間の意志で押し通すか、受け入れるかという違いです。
『ひぐらし~解』では、敵(組織?)の全貌が見えてきて「対決する」という展開と「ループから脱け出す」という展開が、いつのまにか混同されていきます。
生き延びること=ループから脱け出すことになっていますが、その根拠が示されていません。
ループ型ストーリーの定番セオリーでは脱け出すためには何かを得たり、学ぶ必要があります。(参考記事:「リワード」というビート)
『ひぐらし~解』でも「仲間を信じる」「自分で行動する」といったことは示されています。
けれど、このループを脱け出すという感情的な決意が、敵を倒して生きのびるというアクションにすり替わってしまっているのです。
表面的なアクション部分だけ見てしまったときは、謎の組織(それもより軍事的な組織が動きだすとあっさり降参するような)と、子ども達が闘うというリアリティのない、いかにも子供騙しな対決です。観客の予想通り、誰も死なないので、ヒヤヒヤもしません。
2時間映画のアクト3としてアクションを展開するのは問題ありませんが「ミステリー」も「サスペンス」のエンジンも弱いまま、何話も決戦を見せられても飽きてしまいます。
主人公達が「決断して、未来を変えていく」という感情の勢いが、長いアクションシーンでしぼんでしまっているのです。(ちなみに三幕構成はアニメのシリーズ構成にも適用できますが、全体のバランスの悪さがあります)
「ループ」という超自然的な力に対抗できるかどうか、それこそがテーマであり、葛藤であって、銃撃戦することがクライマックスではないのです。
先に挙げた『時をかける少女』や『アバウト・タイム』といった「時間をテーマにしたドラマ」と比べてみると、ドラマの深浅がよくわかります。
制圧してしまった「ループ」(自然現象)は、もはや人間にコントロール可能な「ゲームクリア」でしかなく、物語に潜む「神秘性」が失われてしまうのです。
ループ型ストーリーのほとんどが、表面的な設定合わせばかりで、見失っている要素です。
緋片イルカ 2020/11/03