『オリエント急行殺人事件』アガサ・クリスティー(三幕構成分析#29)

豪華列車「オリエント急行」が大雪で立ち往生した翌朝、客室で一人の富豪の刺殺体が発見される。国籍も階層も異なる乗客たちにはみなアリバイが…。名探偵ポアロによる迫真の推理が幕を開ける!20世紀初頭の世界情勢を背景に展開するミステリーの古典にして不朽の人間ドラマ。(Amazon商品解説より)

前々回の『ABC殺人事件』、前回の『そして誰もいなくなった』につづいて、アガサ・クリスティの分析、第三弾です。

この作品は数々の賞を受賞したシドニー・ルメット監督による映画版(1974年)で見たことがありました。
探偵役のポアロは、原作の設定よりもかなり若いのですが、僕の中ではこのイメージになってしまいました。

2017年にもリメイク版が制作されて、こちらは設定の年齢に近いようです(こちらの映画は未見です)。

1974年の映画版と原作では、キャラクターの名前や設定などの細かい変更はともかく、犯人、トリック、結末など大筋は変わっていません。
アガサ・クリスティはそれまでの自作の映画化にすべて不満足だったが、この作品に関しては別だったという話もあるそうです。

この作品は、犯人がとても有名ですが、素人が書いたら破綻しかねないオチです。
どのように構成しているかを見ながら、他のアガサ・クリスティ作品との違いも見ていきます。

以下、真犯人までのネタバレを含みますので、ご注意ください。

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以下、ネタバレを含みます

分析表


 

完全なミステリー

三幕構成に関する基礎的な理解がある人向けに解説しています。専門用語もある程度は知っている前提で書いています。三幕構成について初心者の方は、こちらからご覧ください。

まずは簡単に構成をチェックします。

小説自体が三部構成になっていて、ものの見事に、三幕構成に一致していました。

第一部は事件が起こるまで。三幕構成でいうセットアップです。

第二部は乗客たちの証言をきいていく。三幕構成の二幕は非日常、ミステリープロットでは「捜査」に該当します。

第三部では閃いたポアロが犯人を推理し、犯人たちとの対決(カマをかけたりして)、真相にたどりつきます。

第一部で目しておくべきビートは「カタリスト」です。「カタリスト」はプロットアークとしてとるのであれば「オリエント急行が走り出す」というところです。いかにもクローズドサークルの状態が作られて、殺人事件が起きる「きっかけ」となります。キャラクターアークとしてとるのであればポアロが被害者となる「ラチェットという男に依頼を受ける」ところです。ビートの機能として、迷ってから((「ディベート」)、被害者の殺害(「デス」)を受けて、捜査を開始します(「プロットポイント1」)。ただし、探偵キャラが確立しているミステリーで、殺人事件が起こるような物語では、捜査開始するのは暗黙の了解になっているので、キャラクターアークというよりはプロットアークが重要です。ポアロはラチェットの依頼を断っていますが、それでも捜査は開始させられるのです。よって、カタリストとしてはプロットアークの「オリエント急行出発」をおさえておけばいいと思います。全体の8%の位置にカタリストがあるのは『ABC殺人事件』と同じような位置で、アガサ・クリスティのリズムという印象を受けます。現代の映画としてやや遅い、当時の映画に比べれば早い方です。

第二部の各乗客の証言を聞いていく構成は、章タイトルがそのまま名前と「○○の証言」となっていて目次を見るだけでシンプルな構成が目に見えます。この構成は、素人がやると、とても危険なのは単調になりやすいことです。読者が飽きてくる危険があります。これはビートの観点からみると、明確な「ミッドポイント」がないともいえます。12組の証言をきくというアークを進んでいるのですから、それらを聞き終えたところが「ミッドポイント」になりますが、かなり後ろへズレこんでいます。もちろんアガサ・クリスティの頃には「ミッドポイント」という考え方などなかったでしょうし、アガサ・クリスティなりの構成法があるので、ハリウッド的に構成する必要性もないのですが、現代の読者がやや飽きるとしたらこのあたりの展開だと思います。せっかちな読者は12人を聞いていく(読んでいく)ことに耐えられないかもしれません。ここには「犯人は誰か?」という「ミステリー」のストーリーエンジンしか働いていません。たいていのミステリーは「ミステリー」とともに「サスペンス」のエンジンも駆動させます。つまり次の殺人が起きたり、状況が変わったり、変化をつけていくのです。この作品でいえば「ミッドポイント」とした証言を聞き終えたあとに、「ナイフが発見」されますが、他にも「サスペンス」を駆動させるなら、乗客が一人いなくなるとか、止まっていた電車が動きだして、駅につくまでに犯人を見つけなければならないといったイベントが起きていくのです。他のアガサ・クリスティ作品ではこういう展開を効果的に使っています。しかし、今作では「サスペンス」がまったく駆動していないのです。そこで「完全なミステリー」と呼びました。「ミステリー」すなわち犯人捜しに興味がある読者は12人の証言を注意深く、疑いながら、読んでいくので楽しめますが、そこに参加する気持ちのない読者は飽きてしまうかもしれません。

第三部に入り、いよいよ謎解きです。「解答編」というかんじです。ポアロがメモした「犯人」やトリックのポイントなどが箇条書きで提示されるのは、読者に「謎解きしてください」と言っているようなものです。「当てられるものなら当ててみなさい」という作者の挑戦状にも見えます。同時に、これ自体がミスリード(ポアロ風に燻製ニシンと呼びましょうか)です。ここでは「13人の容疑者」が提示されて、さあ誰でしょう?と問いかけられています。共犯がいるかもしれないことは提示されているので2人かもしれない。けれど、なかなか12人とは思えません。ここで、素人的に「全員ではないか?」という安直な考えをする人が必ずいます。しかし、よく読むと全員ではないのです。1人は殺害に参加していません。だから「全員」と答えても犯人捜しは間違いになるのです。また、冷酷非情な被害者像をつくり、法で裁けない悪人を、陪審員とかけた12人で殺害する、また、そのことを罪に問わないというラストも鮮やかです。12人が犯人だったというオチだけでなく、おしゃべりで軽薄に見えた女性が、実は女優による演技だったという「ツイスト」も効いています。

オリエント急行という舞台

この作品の見所のひとつはいうまでもなく「オリエント急行」という舞台設定です。

長距離列車というだけでなく、いろいろな国の人が集まっている異国情緒が溢れるところにも魅力があります。設定を、日本の寝台列車に移しただけでは再現しづらい部分があるのです。

僕が読んだ『オリエント急行殺人事件 (古典新訳文庫)』では、当時の時代背景、社会情勢に関する解説がついていて、とてもよくわかりました。興味のある方はどうぞ目を通してみてください。

次回の読書会では「アクロイド殺し」を扱います。どうぞご参加をお待ちしております。

緋片イルカ 2020/10/14

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