『答えより問いを探して 17歳の特別教室』高橋源一郎(読書#16)

答えより問いを探して 17歳の特別教室

内容紹介
あたりまえを疑ってみると、知らない世界が見えてくる。「読む」と「書く」の体験をとおして自分が変わる、人生が変わる。子どもも大人も目からウロコの、超・文章教室!
「ぼくは、先生の役割って、一つの狭い常識のなかで生きている人に、そうじゃないよと教えてくれて、でも、その答えは自分で見つけなさいよ、といってくれることだと思います。」(本書より)
「17歳の特別教室」シリーズ=大人前夜のきみたちへ。学校では教えてくれない本物の知恵を伝える白熱授業。

〈目次より〉
1日目・たぶん、読んじゃいなよ!
カリキュラムにはのらない授業/ソクラテスはなぜ自分で書かなかったのか/想像力を生む場所/「絶対にありえないこと」を疑ってみる/自分で探さなければ、先生には出会えない/「自殺をしてもいいのか?」―鶴見俊輔さんの答え/正解が見つからない問いに、どう答えるか/「外側」から考える/常識ってなんですか?

2日目・なんとなく、書いちゃいなよ!
小学校と工場の共通点は?/自由な論理は「危険」かもしれない/考えるときの基準は自分しかない/「浮かない感じ」―吉本隆明さんの戦争体験/説明できないモヤモヤを大事にする/「渋谷109方式」で文章が書ける!/自分以外の「私」を想像して書く/ほかの誰にも書けない文章ー木村センさんの遺書/「自分」という不思議なものを、ことばにする

【人生に答えはない。もちろん文章にも】
タイトルの「答えより問いを探して」は文学や哲学というのは、答えのない問題を扱うのだから、常識や一般的に正しいとされてることを安易に受け入れずに、疑ってみたらどうだろう?というような主旨です。高橋先生の本は何冊か読んでますが、個人的にはとても共感できます。

「正しい小説」なんてものがあるでしょうか。そんなものはありません。おもしろい小説やつまらない小説、難しい小説や考えさせられる小説はあっても「正しい小説」なんてものはないのです。その小説に必要だとするなら、わざわざ、「へんてこな」文章や「文法的に間違った」文章だって、ぼくたちは書こうとするのです。

【小島信夫の小説】
高橋先生は、たくさん引用やエピソードを紹介されるのですが、そのどれもが興味深いお話です。

 もう亡くなってしまった小説家で、小島信夫さんという方がいました。小島さんは、亡くなるかなり前から、軽度の認知症に、というか、その程度はわからないのですが、とにかく認知症になっても、小説を書きつづけていたのです。すごいですよね。そんなこと、小説家にしかできません(笑)。小島さんが、「群像」という文芸雑誌に書いた小説が載っていて、実は、小島さんの担当編集者は、ぼくも担当していたので、とりわけ注目して読んでいたのです。とにかく、読んで驚きました。誤字脱字があるのは、いいとして……よくないけど(笑)……明らかに、事実に間違いがあるのです。たとえば、夏目漱石の小説『舞姫』とか、石川啄木が書いた小説『坊っちゃん』というような、そんな間違いでした。
 不思議なのは、雑誌に文章を載せる場合に、「校閲」という係の人がいて、誤字や文法・事実の間違いを厳密にチェックしてくれるはずです。「校閲」が絶対見逃さないような明らかな間違いがそのまま載っている、どういうことだろう。ぼくがそう訊ねると、担当の編集者は、ぼくにこういったんです。「小島さんが直さなくていい、っていったんですよ。でも、間違いは間違いじゃないですか、って訊ねると、小島さんは『いいんです、そのとき、わたしがそう思ったんだから』って」。

この小説のタイトルまでは書かれてませんでしたが、小島信夫さんの最晩年の短編集はこちらです。

【木村センさんが初めて書いた文章】
もう一つ、ご紹介したのは次の手紙です。

 四十五ねんのあいだわがままお
 ゆてすミませんでした
 みんなにだいじにしてもらて
 きのどくになりました
 じぶんのあしがすこしも いご
 かないので よくよく やに
 なりました ゆるして下さい
 おはかのあおきが やだ
 大きくなれば はたけの
 コサになり あたまにかぶサて (※コサ=木障・木の陰)
 うるさくてヤたから きてくれ
 一人できて
 一人でかいる
 しでのたび
 ハナのじょどに
 まいる
 うれしさ
 ミナサン あとわ
  よロしくたのしみます
 二月二日 二ジ
(朝倉喬司『老人の美しい死について』

この後、高橋先生の言葉がつづきます。

 これを書いたのは木村センという女の人です。少しだけ木村センさんのことをお話しましょう。木村センさんは、明治24年、群馬県吾妻郡の農家に生まれました。そして、生涯、ひとりの無名の農民として働きつづけた人です。木村センさんは、その晩年、昭和30年のことですが、転んで大腿骨を骨折して寝たきりになり、働くことができない体になりました。そして、それを理由にして、その年の2月に自宅で首をつって亡くなります。
 木村センさんは日本の典型的な農民でした。農民の多くは貧しくて、ずっと働く必要があって、ほとんど学校にも行けない人が多かった。ましてや女性の場合は。だから、ほとんど学校に行けなかったセンさんは、字が書けなかったんです。では、どうやって、彼女はこの文章を書いたのでしょうか。

 いかにも不本意な表情で天井を眺め続けていた彼女は、ある日、手数をかけて体を起こしてコタツに向い、丸めた布団で体を支え、小学校入学を四月に控えた孫の相手をしながら文字の手習いを始めた。
 老女の時ならぬ学習は何日か励行された。
 家族はびっくりした。とくに息子は、自分が小学生のころ、家で教科書を開いていると、
「本べえ(ばかり)読んでるじゃねぇ、仕事をしろ」
 とか、
「家じゃべんきょうなんずしつといい(勉強しなくていい)、学校だけでたくさんだ」
 などと叱った、その同じ母親が、
「あ」
とか、
「い」
 とか声を出しながら、孫と一緒に絵本を読む様子をけげんな表情で眺めた。
 ずっと働きづめで……朝から晩までとにかく体を動かして何かをやってないと気の済まない人だったから……何もせずに寝てることなんてできないのだろう。
 きっと以前からおばあちゃんは「字を覚えたかった」のだ。だけどそれがなかなか言い出せなくて、やっと今こんな状態になって、それを実行に移す気になったものらしい。
 これが事態に対する家族の解釈だったが、コタツに背中を丸めたおばあちゃんの真意には気づけなかった。もちろんこれは「気づけ」という方が無理な話であり、読者はすでにお察しだろうように、彼女は遺書を家族に残そうという、それがただひとつの目的で手習いを始めたのだった。(前掲書)

 センさんは、その生涯をずっと貧しい中で働いてきました。ところが、大腿骨を折って働けなくなってしまった。センさんは、もう役に立たない者は生きていてはいけない、と思ったのです。それが、生涯を農民として生きてきた木村センという人間がたどり着いたモラルだったのです。家族は、そんなことは思ってもいなかたtでしょうが、彼女は、働けない体で家族に迷惑をかけることなどできないと思ったのでした。そのまま黙って死ぬこともできたはずです。けれども、センさんには、家族に残したい思いがあった。それを口にすることはできないけれど、どうしても、ことばにしておきたかった。そして、センさんは文字が書けなかったのです。センさんが書いたのは短い文章で、誤字脱字もあるし、漢字はほとんどなくて、ひらがなとカタカナも交じっていますよね。これが、木村センさんが生涯に唯一書いた文書です。彼女は64歳で、遺書を書くために文字を習ったんです。(中略)どうしても書かなければならない理由が、彼女にはあったのです。できあがった文章は、不完全で、間違いだらけではあるけれど、別の意味では「完璧」であるのです。だって、これほどまでに「伝わる」文章は想像することはできないのですから。そんな文章を添削したら、おかしいですよね? この文章には木村センさんという人間のすべてが詰まっているのです。いや、木村センという人間は、さらにこの文章の向こうにあるかもしれませんね。これは、ぼくが理想とする文章の一つです。ぼくは作家ですが、こんな文章は書けません。こんな文章は、ほかの誰にも書くことはできません。

ほかにも本では鶴見俊輔さんから「自殺をしてもいいのか?」といった問いかけや、吉本隆明さんの文章から正しいのに何かひっかかる「浮かない感じ」を大切にするといったことも話されています。さいごに『ゲド戦記』を書いたアーシュラ・クローバー・ル=グィンがある大学の卒業式に招かれた際の講演「左ききの卒業式祝辞」という話が、この本の中では紹介できなかったと書かれていますが、その話は『13日間で「名文」を書けるようになる方法』で書かれていたので、気になる方は読んでみてください。

緋片イルカ 2020/01/19

『平成の小説を振り返る』高橋源一郎×斉藤美奈子(読書#13高橋リスト)

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