今回からは選考中の話なのでイルカの「100文字小説大賞」選考日記と重なる部分は、かなりあると思います。
第一印象で8割?
作品募集の〆切を過ぎた後、最初の選考に入ってきました。この時点で、作者名は削除して、応募順にならないようシャッフルもしているので、「作者」は僕にも特定できないようになっています。
心理学者バートレットの物語の想起実験に「被験者の態度や感情が物語に影響する」というのがありますが、そんな話を持ち出すまでもなく、気分のいいときと、落ち込んでるときでは、読んだ本や見たテレビの印象が変わるのは、誰もが体感としておわかりかと思います。
だから、僕の気分だけの判断にならにように「日にちを変えて、何度か読み直す」ことは決めていました。
まずは一回目の作業として、直観的に「いい」「ふつう」「よくわからない」の3つのグループに分けていきました。
「いい」と思ったものはAグループと名付けて22作品でした。
その後、二回目、三回目と「いいもの」を拾う作業をして、最終的にはAグループには16作品が追加になりましたが、そこからは2作品しか最終選考に残っていません。
つまり「最終選考に残った10作品のうち8作品が、初見でいいと思ったものだった」のです。
これは自分でもちょっと驚きました。
Aグループに残った計38作品は、シャッフルもしているし、選考する日にちも変えているので、どれが何回目に残ったものかはわからずに審査していました。(※細かくメモがあるので調べてばわかるのですが、選考中は気にしていません)
けれど、結果的には最初に「いい」と思ったものから8作品を選んでいたのです。ていねいに読み返していいと思ったよりも、初見でいいと思ったものの方が圧倒的に強かったのです。(この手の心理実験もいっぱいありますね)
他のコンクールでも第一印象は大切か?
「第一印象が大切」ということが、どんなコンクールに当てはまるのかを考えてみたいと思います。
100文字小説は「短い」ので何度も読めます。
僕が、ていねいに何度も、選考作業をやれたのは「短い」からです。
大きなコンクールの下読みの人はたいてい10~20作品を渡されて、その中から2つ3つ良いと思うものを選んで返すそうです。
1作品100枚ぐらいだとしても、その、すべてを二度も、三度も読んでくれるでしょうか?
僕だったら……正直、一度しか読まないと思います。
100字×86作品=8600字ですが、100枚×400字×10作品=400000字です。50倍近い労力です。
一度。読んでどうしても気になるとか、印象に残ったものは、また読み返すかもしれませんが、初見で「つまらないな~」と思ってしまったものを、もう一度、読み返すかというと、やはりしないような気がします。とくに、下読みを渡された10~20作品のなかに「いい」と思うものが2つ3つあったりしたら、わざわざ「つまらない」と思ったものを読み返すでしょうか?
親しい友達から頼まれた作品で、読んで意見をくれと言われているのなら、話は別です。「つまらない」と思っても、その「つまらなさ」を、相手を傷つけないように、どういう言葉で伝えようかとか、どこを直したら良くなるだろうかと考えたりします。
けれど、下読みの人は、前回の記事に書いたような事務的な「メール文面」のやりとりもしていなければ、ペンネームすら知らされていない場合もあるでしょう。
「顔」が見えない相手の、つまらない作品を何度も読もうとは思わないのではないでしょうか?
また、下読みの人のなかには「初めの10ページしか読まない人もいる」なんて噂があるぐらいですが、これも言うなれば「最初の数ページ」という第一印象で審査されていると言えるかもしれません。
なにが第一印象を決めるのか?
これは簡単に答えを出せる問題ではないと思いますが、例をつかって考えてみます。
たとえば、街中で歩いていたら、誰かに声をかけられたとします。
このとき、わたしたちは、いくつかの要素から、相手を瞬時に判断しているのではないでしょうか?
・服装や身だしなみ
視覚は一瞬で判断をします。相手が男か女か、若いか老いているか、服装から仕事なども想像します。
これは小説で言えば「一行目」のようなものではないでしょうか。最初の一行は、物語の世界へ引き込む入口ですので、一行目から「?」となってしまったら、読み進む前につまづいてしまいます。とはいえ、人は見かけによらないという言葉があるとおり、一行目だけですべてが決まることはありません。次の態度や内容の方が重要だとは思います。
・話し方の態度
「あの~すみません……」と声をかけられるのと「おい、お前」と言われるのでは全くちがいます。これは服装や身だしなみ以上に、本質的かもしれません。いかにもカタギではない雰囲気の人に「あの~すみません……」と言われるのと、きちんとした身なりの相手でも「おい、お前」と言われるのでは、どっちが嫌かは言うまでもないでしょう。
これは小説で言えば「文章の読みやすさ」のようなものではないでしょうか。ていねいな態度の相手なら足を止めて「話を聞こう」(つづきを読もう)と思えますが、高慢な態度で「オレ様の文章をキミに理解できるかな?」という態度で書かれていたら、読む気はなくなってしまいます。
・話の内容や目的
声をかけられて、何を言われるのかです。「道を訊かれる」「落とし物を拾ってくれた」「因縁をつけられる」「ナンパされる」「なつかしい友達だった」……相手が話しかけてきた目的はさまざまでしょう。
これは文章でいえば物語の内容そのものです。身なりがいい、すごくなキレイな女性に、やさしく話しかけられて、足を止めたものの、宗教の勧誘だったら断るでしょうし、態度がよくない若者でも、ティッシュペーパーを配ってたら、ついついもらってしまうかもしれません。
これは小説で言えば「物語」そのものです。読み終わって「笑った」「ドキドキした」「考えさせられた」「怖かった」(ホラー)など、いろいろ感想はありますが、何かを体験できたなら、小説を読んだ価値を感じられるでしょうが、「意味不明」「くだらないオチだった」「時間のムダだった」といった感想をもたれるような場合は、印象は悪いし、また読みたいとは思わないでしょう。
ほかにも、いろいろな要素が絡み合って、印象を形成していると思います。
また、読み込むことで見えてくる本質などには、とても大切のもの(文学の意義のようなもの)があるとは思いますが、それはともかく、新人のコンクール応募では「第一印象」がとても大切ということは言えるような気がします。
緋片イルカ 2020/06/23