上代の文学【概略】(文学史3)

ムラからクニへ

先史時代から、平安京遷都(794年=ナクヨウグイス)までを「上代」と呼びます。

ムラとして集団生活をしていた人々は、稲作を始めて定住するようになります。

食料に余剰がでると倉に保存して、それは資産となっていき、豊かなムラと貧しいムラができて貧富の差が生まれます。

貨幣など、まだない時代ですから、ムラ同士の交易は物々交換でしょう。

小さなムラは大きなムラに吸収されたり、征服されたりして、やがてクニができてきます。ご存知、卑弥呼の「邪馬台国」などです。しかし、この頃の日本では文字が使われていなかったので、中国の史書から伺い知ることしかできません。

ムラとクニのちがいは規模の大小だけでなく、それに伴ったルールに表れます。

ルールという言葉は英語ではrule、支配するという意味があります。

クニが民衆を支配するには「法律」が必要です。

大きなムラ=豪族たちが各地を支配してた段階から、有力豪族による連合国家「ヤマト政権」が形成されていきます(いわゆる古墳時代です)。

聖徳太子を中心に「憲法十七条」が作られ、法隆寺(世界最古の木造建築)などの飛鳥文化も起こります。

このころ、罪人に対する処罰、つまり刑法のことを「律」といい、役人の仕事に関する行政法や民法を「令」といいました。合わせて「律令」といい、対外的に(中国などの大国に)国として認めてもらうには「律令」が必要でした。

日本での「律令国家」の道は、大化改新から始まりといえます。

大化改新は中大兄皇子と中臣鎌足によるクーデターです(645年=ムシゴメつくって大化を祝おう)

中大兄皇子はのちの天智天皇、中臣鎌足は藤原氏のはじまりなので、どちらも文学史として重要な人物です。

701年、「大宝律令」が完成します。

あわせて『古事記』『日本書紀』『万葉集』といった、現存する最古の文字文学が成立していきます。

神話と民話

上代の文学に含まれる、それぞれの作品については個別の記事を設けてきますので、ここではこの時代の全体の特徴を、いくつかのキーワードとともに掴んでいきます。

「神話」とは神様に関する話です。日本は八百万(やおよろず)の神々といわれ多神教です。イザナミ、イザナキ、アマテラス、スサノオといった名前はご存知の方も多いと思います。

多くの国で、神話は国家の正当性をあらわすために利用されます。

「王は世界を創った神の子孫であり尊い」という理屈です。『古事記』では皇室の支配の正当性が強調された物語になっています。作為があるのです。だからといって、政治的なプロパガンダと切り捨ててしまうことはできない、文学的豊かさが含まれています。

『古事記』を神話とするなら、民話にあたるのが『風土記』です。民話はいわゆる昔話です。『丹後国風土記』には浦島太郎の伝説が残されています。

こういった作品からは、先史時代の生活や文化もかいま見えてきます。

言霊信仰(ことだましんこう)

むかしの人々は日常とは異なる言葉には、不思議な霊力が宿ると考えていました。

口に出した言葉は力をもって実現する力を持つとされ、「言(こと)」と「事(こと)」は同一であると信じられていました。

良い言葉や美しい言葉はサキハヒ(幸)をもたらし、悪い言葉はワザハヒ(禍)をもたらすのです。

こういった信仰を「言霊信仰」と呼びます。

ネット文化で言葉を浪費している現代人には感がさせられるところが多々ありますが、それはさておき、『万葉集』などに収められているような和歌の背景にはこういった信仰があったことを心の留めておくべきでしょう。

漢文体と万葉がな

ひらがなが作られるのは中古の時代ですから、この頃の文字はまだ漢字だけです。

この時代に『懐風藻』という漢詩集があります。

大友皇子(おおとものおうじ)や
大津皇子(おおつのみこ。※二人とも中大兄皇子=天智天皇の子供です)
らの作品が収められています。

大津皇子は、謀反を疑われ自害したことで悲劇の皇子としても有名で『万葉集』にも和歌が収められています。
この頃の文化人は和歌も漢詩もたしなみました。

『日本書紀』はすべて漢文体で書かれています。対外的な史書として、つまり日本の正統な歴史を記したものとして書かれたからでしょう。

『古事記』と『万葉集』は「万葉がな」と呼ばれる書体で書かれています。

これは変則的な漢文体で、漢字の音訓をつかって、音を表す表記法です。喋るときの発語に合わせて漢字を記号のようにあてる、ローマ字表記のアルファベットを漢字で表したようなものです。万葉集で使われている書体なので「万葉がな」と呼ばれます。

「万葉がな」には、文字を持ってなかった日本人が、自国の言葉を表記する上での苦心が見えますが、そこには先祖から伝わる「やまとことば」を大切にする言霊信仰も含まれるでしょう。

司馬遼太郎さんは「思う」を「おもう」とひらいて表記するようにしていたそうです。「おもう」はやまとことばだからだそうです。

現代の日本語には、ひらがな、カタカナ、漢字が混在しています。英語などの外国語表記がそのまま挿入される許容範囲の広さもあります。

自国のアイデンティティとして日本語を大切するという考え方もありますし、同時にその愛国精神が衝突を生むこともあります。

文字表記に対する視点は、文学表現の一端を担っているといえそうです。

緋片イルカ 2020/09/18

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