先史時代の文学(文学史2)

集合的コミュニケーション

我々、ホモサピエンスは約25万年前に登場したと考えられているそうです。

集団生活をしていたのだから、当時も人間関係はあったはずです。

エサを獲るのが得意な者は重宝されるし、集団にとって子どもは資源ですらあるので多産な女性も大切に扱われたことでしょう。

優れた者がいれば、そうでない者もいます。食たてばかりで役に立たないごくつぶし(漢字では穀潰しと書きます)は嫌われるだけでなく貧しいムラにとっては存続問題でもありました。

揉め事や争いが起これば、問題解決に長けた知恵者に相談したことでしょう。それは年を老いて人生経験豊富な長老かもしれません。

長老は過去にあった「物語(事例)」を聞かせて、判断をくだしたかもしれません。

その判断が、また語り継がれて、おなじような問題が起きたときには、また想い出して語られることでしょう。

そんな風にして、人類は世代を越えて「知恵」や「物語」を引き継いできたのです。

ルールや形は変われど、やっていることは現代の我々となんら変わりません。

生きていく上で問題に直面し、悩み、怒り、悲しみ、支えられ、また語り継いでいく。

そんな風に人類の歴史がつづいていくことを僕は「集合的コミュニケーション」と呼んでいます。これが文学の本質であるとも思っています。(参考記事:文学が闘うべきもの

ラスコーの洞窟の壁画

「先史時代」という言葉があります。「史」というのは歴史のことですから、「先史」とは歴史が始まるよりも前の時代、つまり文字として残っている歴史より前の時代という意味です。

フランスのラスコーの洞窟はその先史時代の洞窟壁画で有名です。20万年前のクロマニョン人によって描かれたと言われています。

現在は保存のため立ち入り禁止になっていて本物を見ることはできません。僕は上野にある国立科学博物館の特別展示で、洞窟の模型を見たことがあります。

洞窟は全長200mほどあり、当時の人がその壁画をどのように鑑賞したのだろうか?と想像しました。

「神話にちがいない」と直観的に感じました。

フランスの公式ページでCGで再現したものが見られます。

CGでは明るくなっていますか、実際は光りの届かない暗闇の中を、タイマツかランプを燃やして入っていったのです。

暗闇の中で、火の灯りで照らして絵を見ることは、我々が映画館に入ったときに感じるような効果を生むことでしょう。

絵には、馬や山羊といった家畜や人間が描かれていますが、貴重な顔料をつかって色彩まで施されているものもあります。

また洞窟は高低差もあって、入っていくだけでも大変なのです。裏を返せば、簡単に見られるような場所ではいけない神聖なものだったのです。

こんなものをイタズラや遊びで描いたとはずがありません(もしもイタズラだとしたら誰かを楽しませようとしたエンターテイナーがいたという証拠です!)

おそらく、この洞窟に入ることはとても意味のある儀式であったのではないか?と想像できます。成人の儀のような通過儀礼だったかもしれません。

成人する若者たち、ランプをもった語り部について、恐る恐る洞窟へ入っていく。太古は暗闇で他の動物に襲われることは「死」を意味しますので、闇に対する恐怖感は現代人以上に強かったはずです。

語り部は、絵のある場所へくるごとに、灯りで照らしながら物語を語る(解明されていませんが文字らしき模様もあるのです)。

そこには物語にのせた生きていく知恵が含まれていたことでしょう。こういうものは食べてはいけないといった生活上の知恵から、仲間を殺してはならないといったムラの掟も含まれていたことでしょう。

洞窟を出たときには、わがままな子ども時代は終わりムラの若者として変化しているのです。

(「変化」や「非日常」といった物語構成のベースは通過儀礼にあります。構成については初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」やなどをご覧下さい。)

文字の発明

「原文字 (proto-writing)」と呼ばれるものがあります。太古の文字は記号と絵と文字の区別がつけられないのです。

世界史などで学ぶ「楔形文字」や「ヒエログリフ」を想い出す人もいるでしょう。

「インダス文字」は文字と言われてもいまだ解明されていません。

文字というのは、大系だったら文法と意味があり、それを教える教育機関があって、初めて使えるものになるのです。

学校で読み書きを習っていなければ、日本人でも日本語を読めないし書けません。

日本は識字率の高い国なので、日本語の名前がかけて当たり前のように思ってしまう人が多いですが、何らかの事情で読み書きのできない人はいます。(こちらに木村センさんの話を引用してあります。心打つ話なので、よかったら読んでみてください)

日本の歴史上、最初に流入してきた文字はご存知のとおり「漢字」です。

ここから日本の文学が始まると言えます。それについては次の「上代の文学」で考えていきます。

けれど、文字の有無に関わらず、人間はコミュニケーションをとりつづけてきたということは忘れないようにしたいと僕は考えます。

緋片イルカ 2020/09/18

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参考記事:「原始物語」から物語の力を考える

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