ショットの要素2:「フレーミング」(演出8)

「ショットの要素」の記事:
概略
1:「トーン」
2:「フレーミング」
3:「キャラクター」
4:「ムーブ」
5:「タイム」
6:「トランジション」
7:「サウンド」
まとめ

フレーミングの基本

フレームとは画面、フレーミングとは画面内の「情報」をどう配置し、「印象」をどう伝えるかということになります。

撮影の基本用語から確認していきます。まずは人物の撮り方。

人と場所を移す「エスタブリッシュメント・ショット」「ロング・ショット(LS)」

人の頭~足を映す「フル・ショット」

腰より上を映す「ミディアム・ショット」

胸より上を映す「ミディアム・クローズ・アップ」「バスト・ショット」

顔中心に映す「クローズ・アップ」「アップ・ショット」)

さらに近い目や唇だけののアップなどの「スーパー・クローズ・アップ」

写真を付けたら良かったのですがフリー素材で見つけてくるのは大変なので割愛しました。撮影について解説された本は山ほどありますので専門性に興味のある方は、自分に合う書籍を一冊でも読んでみることをオススメします(参考書籍は『傑作から学ぶ映画技法完全レファレンス』

「エスタブリッシュメント・ショット」の、establishmentは設置、確立といった意味です。脚本で指定したいときは柱に「外観」「遠景」などを用いて、どういう「情報」や「印象」を伝えるかをト書きで添えます。

ショットの要素:概略の記事で書いた学校の校門のような例です。

以下の「フル・ショット」~「クローズ・アップ」までは、フレーム内の人物の大きさが変わることになりますが、人物の大きさはカメラと人物の距離ということに置き換えられます。

全身を映す「フル・ショット」では、フレーム内の人物の顔は小さくなるし、カメラとは距離があり、カメラと距離があるということは観客とも距離があることになります。

コンサート会場で座席が後方で、アーティストが遠くにしか見えないのと、最前列で間近に見えるのでは、どっちがテンションが上がるでしょうか?

もっと俗っぽい例でいえば、恋人や気になる人の顔が近いのと遠いのと、どっちがドキドキするか?

あるいは、嫌いな人間が近くによってきたら、どう感じるか?

人間には見ず知らずの他人に、近づかれると不快や警戒を感じる「パーソナルスペース」というものがあります。親しい間柄であれば近い方が安心や喜びを感じるし、親しくない相手に踏み込まれるのは不快です。

カメラの距離は、観客と登場人物達とのパーソナルスペースの距離感とも言えます。

そのコントロールが「印象」の操作=フレーミングによる演出に繋がります。

超基本的なセオリーでいえば、初登場の場所、初登場の人物の「情報」、感情移入して欲しい人物の「印象」とカメラを寄せていきます。

例1:
〇会社ビル・外観(朝)
 一流企業らしい高層ビル(※エスタブリッシュメント・ショット)
 
〇会社ビル・玄関口(朝)
 主人公、セキュリティパスをかざして改札を抜けていく(※フル・ショット)
 
〇会社ビル・エレベーター・外(朝)
 エレベーターが開いて、主人公が乗り込む(※ミディアムぐらい)
 
〇会社ビル・エレベーター・内(朝)
 主人公、上がっていく階数表示をぼんやりと見上げている。半開きの口(※以下、クローズ・アップ)
 目的の階数に到着して扉が開く。それに合わせて、唇を引き締める。仕事のスイッチを入れるように。

 
「エスタブリッシュメント・ショット」で、ここが大企業の会社であるというセットアップがされ、「フル・ショット」で主人公が社員であることがわかり(ここまでは「情報」)、「クローズ・アップ」でこの人物は朝だからか、少し草臥れているようだが、仕事が始まると気合をいれるタイプといったことが伝わります。

主人公のことを何も知らない観客(読者)に「情報」と「印象」を段階的に伝えていきます。

あくまで超基本的なセオリーなので、演出効果が高くありませんが、物語の世界に確実に引き込んでいくには基本的技術が必要です。

一応、悪い例も示しておきます。

例2:
〇会社ビル・外観(朝)
 普通の会社のビル。(※エスタブリッシュメント・ショット)

〇会社ビル・玄関口(朝)
 主人公が歩いていく。(※フル・ショット)

〇会社ビル・エレベーター・外(朝)
 主人公がエレベーターを待っている(※ミディアムぐらい)

〇会社ビル・エレベーター・内(朝)
 主人公が乗っている。
 扉が開いて降りていく。

「エスタブリッシュメント・ショット」ではト書きが雑なので、会社の雰囲気が伝わりません。「普通」とか「よくあるビル」であれば、もはや外観を見せる必要はありません。

「フル・ショット」では、「歩いている」だけでは、入っていくのか出ていくのか通っているのか、読者が(脚本を読む演出家も)混乱します。撮り方によっては「社員である」という情報が伝わりません。

「ミディアム」では、「立っている」だけでは動きがないので画が弱くなります。もちろん、あえて弱くする演出であれば構わないのですが、前後の脚本を読めば、この作者が、そういう効果に無頓着で書いていることは明白です。

一番の問題は、最後の柱で、こんな書き方をしたら「クローズ・アップ」で撮ってもらえるかどうかわかりません。センスのない監督だと「ミディアム」のまま撮ってしまうかもしれません。すると感情が伝わらない、説明的なショットになってしまいます。

主人公の顔に(カメラが)寄るということは、観客に「これを見ろ!」と強制することです。「この人が主人公で、この人の感情に注目してね!」と伝えることでもあります。こういった、ショットの積み重ねが、観客の感情移入に関わっていきます。

脚本家が無頓着でも、演出家にセンスがあれば映像的にはしっかりしたものになるかもしれません。けれど、脚本家が意識していれば演出を誘導することができるし、そもそも意識していない脚本では演出家を変な誘導をしかねません。

脚本段階でも、なるべく映像が浮かぶ書くのが理想です。

もう一度、各ショットの基本的な考え方をまとめておきます。

「エスタブリッシュメント・ショット」
そのシーンの場所や状況を伝えるための説明的なショットです。「説明的」というのは人物についてはマイナスな言い方ですが、ストーリー上、しっかりと的確に伝えておくべき「情報」というのがあります。こういうものは映すべきですし、理想は「情報」だけでなく、ストーリーに関わる「印象」までが伝わることです。

例えば、あなたが監督で「東京駅」と脚本にあったとき、どんな撮り方をしますか?

フリー素材にあった画像を適当に並べてみます。


フリー素材ぱくたそ Photo by すしぱく

東京駅を真正面から映した基本的な構図です。こういった「どこの駅かを伝えるだけ」の説明的なショットは、テレビドラマの旅情ミステリーなどでよく使われています。

演出効果はあまりありませんが、シンメトリーに近い構図には安定感があります。「安定」がこの後のストーリーに関連する「印象」に繋がるのであれば「演出」になる可能性はあります。

東京駅の背後にあるビルが情報としてノイズになっているので、もう少し駅によって、カメラを地面に近づけ見上げるような構図にすると綺麗な「東京駅」だけのショットになるでしょう。

こういった説明的なショットでは、長さ(時間)は短い方が良いでしょう。情報量と長さのバランスが合っていないと、観客に刺激が少なく飽きる原因になります。


フリー素材ぱくたそ Photo by すしぱく

こちらは意図的に東京駅とビルを入れています。

「東京駅」というよりは「東京の都心」の「印象」が強くなります。例えば「地方から東京駅にやってきた主人公」へのセットアップなどにはなるかもしれません。

ただし駅舎が画面の中で小さくなっているので「東京駅」である「情報」が弱くなっています。一枚目と同じような長さで見せたら「東京駅」であることを見落としてしまう観客がいるかもしれません。

長めに見せるべきか、あるいはストーリー上「東京駅」が、それほど重要ではなく「東京」ということが伝えればいいのであれば、見落とされても構わないとも言えます。

ワンショットで伝えなければいけない訳ではないので、1枚目と合わせて見せるというやり方もあります。


フリー素材ぱくたそ Photo by すしぱく

これは東京駅の丸の内南口です。日頃、使っていないとすぐには「東京駅」とわからないかもしれません。

前2枚の外からの写真と比べると、室内なので温度感、季節感、時間などの「印象」がだいぶ変わります。

ストーリーによっては、こういった「エスタブリッシュメント・ショット」が効果的です。必ずしも「外観」や「遠景」から入る必要はないのです。

「フル・ショット」
人物の全身が映るということは、その人物のエスタブリッシュメントだという考え方ができます。

エスタブリッシュメント・ショットの風景の中に、人物の全身を入れてしまうこともあります。

その風景や状況の中で、人物がどういう立場、位置、存在なのかといった、外界との関係性を示せる場合があります。

また、全身の衣裳を見せることはもちろん、全身での動きを見せるときには、やはり「フル・ショット」に収める必要が出てくるでしょう。

「クローズ・アップ」
「クローズ・アップ」は重要人物にのみ許されるショットという言い方できるかもしれません。

上でも書いたように、観客に近づいて欲しい人物にカメラは寄せるのです。

エキストラのような端役を、この撮り方をしたら、観客は「ストーリーに関わる重要人物」だと勘違いして、混乱させてしまいます。

何よりも主人公のアップは、主人公だと伝える意味でも重要だとはすでに書きました。

単純な理屈でいえば、他のどのキャラよりも早く、主人公のアップを見せるべきだし、全体でアップになる回数も時間も多くなるべきでしょう。

「ミディアム・ショット」「バスト・ショット」
この2つは「フル・ショット」と「クローズ・アップ」の中間ショットです。

それぞれに意味があるというよりは、「フル」と「アップ」の間を滑らかに繋ぐという役割と言えます。

単純な理屈でいえば、「フル」から「アップ」に一気に繋ぐと、急に寄りすぎて、観客を驚かす効果が出てしまいます。

主人公にしっかりと感情移入をさせるのであれば、段階を経て近づいていく(恋愛関係の発展させる過程と似ているかもしれません)。

中間ショットをコントロールすることで、人間関係の距離や感情の高まりも表現できるようになります。

感情を想像させるために人物の前後に空白を作る構図は、当たり前のように用いられています(無意味にやってる作品も多くありますが)。

「スーパー・クローズ・アップ」
アップを超えて寄るショットでは、もはや人物の感情を超えて、物質的な側面が浮き彫りになります。

例えば、瞳のアップでは「その人物の目」というより、肉体としての眼球や、「見る」という機能が浮き彫りになります。

指先の仕草など細かい動作を説明するときにも「スーパー・クローズ・アップ」になります。

ストーリーやテーマ的な意図なく使うのは、感情移入を阻害してしまう可能性があるでしょう。

脚本上で「口元がわずかに震える」などと書いてあるとき、無意味に「スーパー・クローズ・アップ」にするような撮り方をする演出家がいたら、そのセンスは怪しいかもしれません。

「人物の口元が震える」ことで伝えたい「印象」は何なのか?と考えれば、どうするべきかは明らかです。

顔面率

これは僕の造語ですが、雑誌などの誌面で文字や画像が占める割合を版面率と呼びますが、それになぞらえて、画面上の人物の顔の閉める割合を「顔面率」と名づけてみました(かっこつけてフェイスエリアとか呼んでもいいのですが)。

距離のコントロールは、顔面率のコントロールでもあります。

主人公や感情移入させたい人物は、顔面率を高めるという考え方です。

つまり、ショットの用語など覚えなくても、「顔が大きいか小さいか」という視点を持つようにするだけで、演出効果が読みとれるようになってくると思います。

画角と構図の力学

カメラと人物の距離を前後の関係だとします。

カメラが前に行けば人物に近づくし(アップ)、後ろに退けば離れていく(フル)。

画角とは、人物に対して高さの変化を付けることです。

同じビルでも、下から見上げるように撮れば高く見えて、威圧感がでますし、反対に見下ろすように撮れば小さく、空撮などすれば点のように見せることもできます。

人物を撮るときにも同様の効果が働きます。よくあるショットは強い敵、悪い敵が現れたときに見上げるように撮ることで、より強そうに見せたりです。

ただし、画角で変化を付けることは、人間(観客の)の日常生活の視点からズレることが多く、カメラの存在を意識させがちです。感情を切りとるには効果が強すぎるという言い方もできるでしょう(不自然な視点になるし、不自然だからこそ演出効果があるともいえる)。

小津安二郎のショットは畳に正座したときの視点など言われたりしますが、技術的な言い方をすれば画角に変化をつけないことと言えます。安定しすぎていて、人物に感情移入できない観客には退屈な映画に見えるのでしょう。

一方、ホラーやアクションであれば、人物への感情移入よりも、スリルや驚かしが魅力になるシーンもありますので画角の変化が効果的に働く場合も多いでしょう。

人物のアップでも真正面から撮るか、横から撮るか。

横といっても右から撮るか、左から撮るかといった選択肢があります。

画面内には暗黙の力学が存在します。

「上下方向」は体感的に人類共通で、画面にも「上から下への重力」が働いています。物理法則です。

古来より人間は天にある太陽や星を崇めるし、位が高い者は、高いところへ座ることで権威も高めようとしたりします。

「左右」の違いについては「ムーブ」の記事(リンク先の補足参照)で詳しく書こうと思いますが、アメリカでは「左から右」が自然な動きと捉える傾向があります。

その影響で、アメリカ映画では、画面の左寄りに置いた人物のが「安定する」「安心する」と言われ、主人公を画面の左寄りに傾向があります。

こういった構図の力学と画角を組み合わせることで、効果的なフレーミングを作っていけるといえます。

物撮り(ぶつどり)

ここまで、画面に映す対象を人物と呼んできましたが、それは物語にとって人物と、その感情が最も重要だからです。

人物だけ映していて、物語がすべて伝わるなら、それで良いと言っても過言ではないかもしれません。

ですが、ストーリー上、伝えなくてはいけない「情報」はあります。

例えば「主人公が家の玄関で、鍵を差し込んで開ける」というシーンがあるとします。

ミステリーやサスペンスなどで「主人公が家に帰ってきたときには、確かに鍵が閉まっていた」という「情報」がストーリー上で重要だったとします。

すると「ドアの鍵穴と、そこへ鍵を差しこんで、開ける」アップのショットが、観客に印象付ける効果になります。

これを「フル・ショット」で、役者が手もとでごそごそやってる撮り方をしたら「わかる人」と「わからない人」が出来てしまいます。

カメラが寄るということは「ここを見ろ」ということですから、ストーリー上で重要なら寄る必要があるとは言えます。

一挙手一投足を、いちいちアップにして撮っていくような監督がいます。

初めのうちは、カメラが寄ったり引いたりのギャップが大きいので刺激はあって、かっこよくも見えたりするのですが、だんだんとリズムに慣れてきます。

すると、そのショットの連続は、「ああして、こうして、次はこれして」というのを説明されているように見えてきて飽きてきます。

映像には全体の尺という「制限時間」がありますから、貴重な時間を「人物の顔」と「動作の説明」とどっちに使うべきか、観客の満足度も考えて選択するべきでしょう。

安直な言い方をすれば、役者のファンが映画館に見に来て、スクリーンに映るのが手や足先のアップばかりだったら物足りないかもしれません。

物撮りは距離感でいば、スーパー・クローズ・アップなので、的確に使うセンスが必要と言えるでしょう。

また、物を映すときには、人物の背景や内面を象徴するようなアイテムを映すという効果もあります。

例えば「主人公がレコードが好きで、プレイヤーにかけるシーン」があったとして、それを「ミディアム」などの主人公を映す撮り方もあれば、プレイヤーを操作する手もとを撮る見せ方もあります。

レコードプレイヤーのようなレトロアイテムなどは、かっこよさげなので、ついついアップにしがちです。すなわちクリシェになりがちとも言えます。

そのレコードプレイヤーや、操作する手が、人物にとって意味があったり効果的であるなら、アップで撮るべきです。そして、なぜ意味があるかがわかっていれば、どう撮ればいいかも自ずと見えてきます。

ただ説明的に撮るのではなく、意味のあるショットとしてレコードプレイヤーを撮れるはずです。

何を映すべきか?

以上、フレーミングということを中心に演出効果を考えてきました。

まとめてしませば、第一に「脚本が何を伝えたいのか?」があり、第二に「どう撮れば伝わるか?」があります。

「どう撮れば伝わるか?」は、その作品内のルールのように作品の最初から最後まで統一されることで、それが「意図的な演出」と受け止められます。

たまたまのショットだけを切りとって、誰かが解釈をつけて「監督はこういうことを表現している」と受け取るというものではありません(それって個人の感想ですよね)。

また、人間は身体的や、無意識的な法則が働いた上で映像を認識、理解、解釈するので、そういった物理法則を踏まえずに表現されたものは誤解されても仕方ありません。

緋片イルカ 2024.1.31

次:ショットの要素3:「キャラクター」(演出9)

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