書籍『記憶に残るキャラクターの作り方 観客と読者を感情移入させる基本テクニック』(読書メモ)

『記憶に残るキャラクターの作り方 観客と読者を感情移入させる基本テクニック』
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感想

非常に示唆に富んだ書籍。構成論は創作をしない人でも理屈で理解できるだろうが、キャラクター論は感覚的に理解するもの。日頃から「キャラクターを魅力的に描くにはどうしたらいいか?」と創作活動して葛藤していない人には響かないと思う。頭で理解しても、応用できるわけでもない(それは構成も同じだが)。たとえば、以下で引用したように「●よいセリフは葛藤と対立、態度、意図を伝える。キャラクターについて語るのではなく、キャラクターの何かを浮き彫りにする」と理屈を理解したところで、すぐに良いセリフが書けるようになる訳ではない。そういうものだという方向性を意識して、何度も書き直して、身につけていくことでしか、良いセリフを書けるようにはならない。創作している人には、そういった示唆に富む、とても良い本。、この本の内容がどれだけ理解できるかで、その人のレベルもわかるような気がする。キャラクターについて学ぶのはこれ一冊でもいいかもというぐらい、しっかり、いろんなことが網羅されている。

引用

以下は気になった文章のアーカイブ的な引用。

ダイアン・イングリッシュはコメディの――そして、ドラマの――鍵は状況に対する態度だと述べています。「『人物はここでどんな態度を見せるかしら』とよく考えます。態度が曖昧だと、脚本は味気なくなりますからね。調教によって態度が露わになり出来事が起きて複雑になって笑いが起きるのです。……」

キャラクターを完成させる六つのステップは次の通りです。
1. 観察と体験を元にキャラクターのアイデアを作り始める
2. 主な特徴を選んでキャラクターの人物像を決める
3. キャラクターに一貫性を与える
4. 変わったところや矛盾した特徴を加えキャラクターを魅力的にする
5. 感情、態度、価値観を与えて深みを出す
6. ディテールを加えて個性と独自性を表す

脚本家で映画監督のフランク・ピアソンはこう付け加えます。「俳優が知るべきことを、書き手も知っておくべきだ。大切なのは感情の記憶だよ。何が起きたかではなく、それについて何を感じたかが大切。キャラクターに何かを尋ねるなら、次のような質問は避けることだ。『どこの学校を卒業したの? 工場で働いた経験はある? お母さんは怖かった?』。尋ねるといい質問はこうだ。『一番恥ずかしかった出来事は? 自分をバカだと感じたことは? 自分にとって最悪だった出来事は? 人前で吐いてしまったことはある?』。そうやって感情を引き出すことが大事なんだ。キャラクターはこうした感情をシーンに持ち込み、すべてに彩りを添える」

脚本家のカート・リュードックはこう語ります。「バックストーリーはいくら準備しても足りないね。すべての疑問を完璧に解決して脚本を書き始めるなんて話は聞いたことがない。わかったつもりでいても、書くうちに、ふと気づく、キャラクターのこの態度はどこから来たのかな、と。キャラクターの動きがわかり過ぎていて、シーンがつまらなく感じる時もある。だから、時々、僕はこう考える。『もし彼が、ここで当たり前のことをしないとしたら? もし彼女が、彼女らしいことを言わずに、正反対のことを言ったらどうなる?』と。四回に一回は面白いものができるよ。そのためにはバックストーリーをもっと探らなくてはならない」

バックストーリーの情報を盛り込みすぎて失敗する人はたくさんいます。フラッシュバック(回想)やモノローグ、キャラクターが見る夢のシーンを使うと過去の情報が多くなり、現在進行中のストーリーに集中しづらくなってしまいます。
 ドラマとして見ごたえがあるのは現在――今、目の前で起きていることです。過去の出来事は現在に影響していても、それ自体はドラマ的ではありません。
「キャラクターが今、どう反応するかを描くべきだ。書き手がその理由を――それを招いた過去の出来事を――知っていれば、それでいい。観客に説明する必要はない」とカール・ソーターは言っています。
 キャラクターの過去を何もかも伝えると、本当に重要なことが伝わりにくくなります――つまり、現在におけるキャラクターの気づきです。バックストーリーをたくさん語る必要はありません。キャラクターが過去を語り出すと物語は停滞し、つまらなくなりがちです。長い独白や回想、状況説明に力を入れすぎないようにしてください。
 氷山の例たとえを思い出しましょう。バックストーリーの九十パーセントは作品に入れる必要がなく、書き手だけが知るべきことです。キャラクターの動機や行動の理由が窺えるぐらいでじゅうぶんです。バックストーリーが豊かであるほどキャラクターは豊かになります。
 バックストーリーは随所に散らして、小出しにするとうまくいきます。前に挙げた例のように短いセリフに凝縮し、慎重に配置して、フロントストーリーを輝かせてください。

キャラクターの心理を理解しやすいように、「内面のバックストーリー」「無意識」「キャラクターのタイプ」「アブノーマルな行動」の四つに分けて見ていきましょう。これらはどんなキャラクターを創作する時にも重要です。
 この章の内容のほとんどは、すでに感覚的につかんでいたり、心理学の知識で得たりしてご存知のことでしょう。キャラクターの創作にはこうしたカテゴリーを知った上で、想像力をはたから働かせることが必要です。

キャラクターは人間に関係の中におり、単独で存在することは稀です。一人芝居(サミュエル・ベケットの戯曲『クラップの最後のテープ』や登場人物が少ないスティーヴン・スピルバーグの一九七一1年放映作『激突!』など)は別として、ほとんどのストーリーは人と人とのやりとりを描いています。多くの映画やテレビドラマシリーズでは相関関係が人物単体のクオリティと同じくらい重要です。

脇役を付け加えることは、パレットの上の絵の具の色を増やすようなものです。絵にディテールを添えるようにして、脇役たちはストーリーに深みや色彩、質感を与えます。
 主要なキャラクターを創作する際の方法は。おおむね脇役にも当てはまります。一貫性や態度、価値観、感情に加え、矛盾する面も必要です。
 ただし、注意点もあります。ここに結婚式の様子を描いた絵があると想像してください。新郎新婦を中心として、周囲に多くのディテールが描かれています。参列者たちの個性ははっきり描かれていませんが、何人かを少し目立ちます。たとえば、手前に赤いドレス姿の若い女性がいて、式場に迷い込んだ子猫に手を差し伸べています。教会の壇上には牧師が厳粛な表情で立っています。新婦のそばでは黄色いレースのドレスを着た母親が、感動で涙ぐんでいます。
 絵の脇役たちはメインの新郎新婦と共に、私たちの記憶に残ります。誰だかよくわからない人(エキストラの客)たちもまたストーリーを豊かに表現し、愛と結婚のテーマを使えるために存在しています。
 ストーリーを作っているうちに脇役の存在感が予想外に大きくなることは珍しくありません。これは良い効果を生む時もあります。(中略)
 これには危険もあります。脇役が大きくなり過ぎると、ストーリーのバランスが崩れるのです。創作の過程をたどり、脇役のポジションを理解しておきましょう。
・どんな働きをさせるか決める
・その働きをさせるために、他のキャラクターとのコントラストをつける
・ディテールを加えてふくらませる

演劇教師で演出家のコンスタンティン・スタニフスラフスキーは俳優を指導する際は常に、演技にディテールを加えるように言いました。これは書き手にとっても役立ちます。
「一般的な見方でも人物描写はできる――たとえば、兵士。プロの兵士は直立不動で、歩き方は行進するかのようだ。民間人とは違う。靴のかかとをカチンと合わせ、吠えるように大声で話す癖がある。(中略)だが、それは簡略化し過ぎた。(中略)描写としては合格でも、キャラクターとは呼べない。(中略)旧態依然とした、陳腐な描写だ。(中略)決まりきった形式であり、人としての精彩はない。観察力がある俳優は、そうしたカテゴリーを細分化して選択をする。軍隊の男性の中から特徴を作ることができ、普通連隊と衛兵連隊、歩兵隊と騎兵隊、下士官と将校と司令官の違いを知っている。(中略)さらにこまかく観察する俳優もいる。すると、イワン・イワノビッチ・イワノフといった名前がある、唯一無二の特徴を持つ兵士が出来上がる」
 脚本の場合、こまかな仕草や目線などの表現は俳優次第ですが、書き手の方でもキャラクターの本質を鋭く突いた設定をしておくことが必要です。俳優は具体的でないものを演じることができません。また、俳優は具体性に欠けるキャラクターに魅力を感じにくいでしょう。それは小説などの読者にとっても同じです。

良いセリフとは何でしょう――そして悪いセリフとは?
●よいセリフは音楽に似ている。ビートやリズム、メロディーがある。
●よいセリフは短く、まばら。二、三行以上しゃべり続けるキャラクターは稀
●よいセリフはテニスの打ち合いのよう。性的、身体的、政治的、社会的なパワーのやりとりがある
●よいセリフは葛藤と対立、態度、意図を伝える。キャラクターについて語るのではなく、キャラクターの何かを浮き彫りにする
●よいセリフは言いやすく、リズムが良いので誰でも名優のように言える

●悪いセリフはぎこちなく、形式張っていて、言いにくい
●悪いセリフでは、どの人物も似たような話し方になり、リアルに聞こえない
●悪いセリフはサブテキストをそのまま言葉にする。内面が表れるというよりは、思考や感情そのものを言葉で表す
●悪いセリフは人間の複雑さを表すというよりは、単純な表現をする

サブテキストとはキャラクターが本当に言わんとしている、行間の意味です。それをキャラクター自身が理解していないことが大半です。遠回しな表現をしたり、思っていることと違うことを言ったりします。サブテキストは潜在的なもので、人物自身ははっきりと意識していませんが、観客や読者には伝わります。

 キャラクターが人間ならば、いろいろな性質を与えて強調することによって多面的にできます。しかし、人間ではないキャラクターの人間的ではない性質を強調しても、めったに効果は出ません。犬の特徴(たとえば吠える、餌を与えると走ってくる)をいくら強調しても、犬がさらに魅力的になるわけではないのです。

広告代理店ジェイ・ウォルター・トンプソンの重役を務めた経験をもつマイケル・ギルはこう述べています。「いろいろなビールや洗剤の違いがわかる消費者はあまりいない。ペプシとコークの違いもわからないほどだ。ブランドに人格のような個性を与え、はっきりと打ち出すのが広告の仕事
。牛に焼きごてを押すようなものだ――その烙印を見た瞬間に認識できる。そうやって牛を判別するわけだからね。メルセデスはエンジニアリングが優れた車で、フォードは品質が優れた車。トラックの中でもパワーやタフさが売りのものがある。車でもパソコンでも、人間ではないキャラクターが何らかの特徴を表している。車と何かのクオリティを結びつけて連想させ、全体的な評価を上げてハロー効果(ある顕著な特徴に引きずられて他の特徴の評価が歪む認知バイアス)を出す」
 ハロー効果は消費者の購買意欲を促すとされています。これを人間ではないキャラクターの創作に当てはめれば、視聴者がキャラクターの人格や個性を認識しやすくなるでしょう。

多くの映画には、苦難を乗り越えるヒーローといった神話的な要素が含まれています。ただし、観客が自らの人生を振り返って同一視しなければ、真の神話にはなりません。観客が自分自身をストーリーに投影できるかどうか。また、ストーリーとキャラクターが観客の人生観を深めるかどうかが判断の基準になります。

クリエイターとして多面的なキャラクターを創作する時は、ステレオタイプとは何であり、どうすればステレオタイプを打ち破れるかを理解しておくべきです。
 ステレオタイプとは、ある特定の属性を持つ人々を、限定的な見方で継続的に描写することと言えるでしょう。たいていは、ネガティブな描写です。自分たちの文化的な特徴に対して偏った見方をし、それに基づいて異文化の特徴を狭い味方で描いています。人間性を否定するような表現もあります。
 そのような描き方をされるのは誰でしょうか。自分たちとは異なる人々なら、誰でもです。自分たちが理解できない人々。白人のクリエイターにとって、それはアフリカ系やアジア系、ラテン系、北米先住民族などのマイノリティと呼ばれる少数民族かもしれません。身体的な障がいや発達障がい、情緒や精神の病を持つ人々もしばしばステレオタイプ的な描かれ方をします。
 宗教にも偏見があるでしょう。イスラム教やカトリック、プロテスタント、ユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教など、あらゆる宗教が対象になります。
 性別や、性的志向もステレオタイプの対象になり得ます。同性愛でも異性愛でも、自分とは異なる思考を持つ人々が偏見の対象になるのです。
 自分よりも年齢が上あるいは下の人々に対しても、異文化と同じようにステレオタイプ的な見方をしがちです。
 ステレオタイプ的なイメージは集団によってさまざまです。被害者として描かれることが多いのが女性とマイノリティです。特に映画ではこの傾向が強く、すぐに死ぬ設定か、白人男性に救助される役どころがよく見られます。
 障がいを持つ人々は、肉体のゆがんだ形状が魂のゆがみの象徴として捉えられがちです。あるいは哀れな被害者とみなされるか、逆に、超人的な存在として、奇跡的に障がいを克服して偉業をなしとげる人物として描かれます。
 アフリカ系はコミカルな存在か冗談の的、あるいは犯人役が多いです。アジア系の場合、女性はエキゾチックでエロティック、男性は何もわかっていない人々の集団か、裕福で行儀のよいマイノリティのお手本のような描写が目立ちます。後者はネガティブな印象ではありませんが、狭く限られた見方を示しています。アジア系の人々も、家庭的、社会的な問題があれば他の人種と同じように影響を受けるという認識に欠けています。
 北米先住民族が残虐な悪人や、酒浸りの卑劣な無法者として描かれた例は数多くあります。ラテン系はギャングのメンバーや強盗犯が多いです。また、劇作家ルイス・バルデスが言うように「ラテン系のストーリーといえば南西部が舞台と決まっていて、壁は日干し煉瓦、屋根はタイルという家屋の中で展開するものだと思われている」
 白人男性も例外ではありません。無口でタフか、非常にマッチョなタイプとして行動する側面が強調され、そうではない白人男性のアイデンティティを否定しています。家事をする主夫やマッサージ師、教師など、人を癒して育てる男性たちは自分の価値が軽視されていると感じるでしょう。深く考える男性や、慈愛を与える男性のリアリティをめったに表現されません。
 秘書やブロンドの女性、バスケットボール選手、WASPと呼ばれる白人プロテスタント教徒、退役軍人、弁護士など、どんな集団も、どこかステレオタイプ的に描かれています。人間の特徴は複雑なもの。それを単純化して捉えようとするのも人間の自然な欲求です。先入観を持たれない人はいません。
「キャラクターのタイプ」はそれとは異なります。「愚かな父親」や「偉そうな兵士」というのはキャラクターのタイプであって、ステレオタイプではありません。なぜなら、父親や兵士がもつ他の特徴とのバランスが取れているからです。こうしたキャラクターを見ても、読者や観客は「父親はみんな愚かだ」「兵士はみんな偉そうだ」と結論づけません。キャラクターのタイプの設定は、ある特定の集団(たとえば父親たち)が同じ特徴(たとえば愚かさ)だと示唆しているわけではありません。ステレオタイプは集団全体の特徴を決めつけます。

ステレオタイプを超越するということは、視野を広くすることでもあります。キャラクターを創作しながら、あなたの観察力も鍛え直していきましょう。

あなたの深層心理に隠れたシャドウを映し出すキャラクターは好きになれないかもしれません。自分の心理を見つめ、受け入れることにより、ネガティブに思えるキャラクターを書く力が伸びるでしょう。

イルカ 2025.2.3

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