『アンナ・カレーニナ』を読んだことありますか?
— イルカとウマ (@irukauma) September 5, 2019
僕は読んだことありません。あらすじは知っています。半分忘れたけれど。
ある人が『アンナーカレーニナ』を読みおえて感動したと言っていました。こんな分厚いの(指で厚みをつくって)三冊分、読み終わったそうです。
僕がマンガで読んだのであらすじは知っている、と言うと、
「あれを読まずに小説を書くなんて許せない」というようなことを言われました。東大の先生もそう言ってるのだそうです。
『アンナ・カレーニナ』に関わらず、同じようなことはいろんなところで言われそうです。
「え、『戦争と平和』読んでないの?」
「ダメだよ、『源氏物語』は原文で読まなきゃ」
「話題の○○ぐらいチェックしなきゃ」
で、古典を全部読んだら、どんな歴史に残る傑作を生み出せるのだろうか?
いっそAIにディープラーニングでもさせてみたらどうなるだろう?
とも思うけど、ともかく怠け者の僕には、そんな傑作は生み出せない。
僕は、僕にしか書けないことを、僕の言葉で紡ぎます。
それを、興味をもって読んでくれる人に届けられば嬉しいと思う。
なるべく多くの人に届けたいと思うし、そうなるように、わかりやすく伝わりやすく心掛けるけれど、それでも伝わらない人は必ずいるだろう。
教科書に載っている名作とか、売れているといった他人の基準ではなくて、自分の基準で僕の物語を面白いと思ってくれる人に、価値あるものが書ければいい。それだけでもとても大変なことだから。
言論統制されたり活字に飢えていたような時代ならともかく、これだけ情報が溢れてる現代では取捨選択のがむしろ大事ではないかと思う。暗記よりも考える力が求められるようなもので。「古典」をしっかり読んで、そこから何かを感じたり、学びとることはもちろん大事です。読むことじゃなく、感じたり、考えたりが大事です。古典には、そういう価値があることが書かれているのも当然です。
だけど、世界中のすべての古典を読み尽くす時間は現代人にはありません。
それに専念していたら、かわりに学ぶべきもの――恋をしたり、友達と喧嘩したり、誰かを失ったりといった機会を失っているかもしれません。
あの人は『アンナ・カレーニナ』から何を学んだのだろう?
そこのところは、はっきりと答えてくれなかった。
こんな分厚い本を読んだという自己満足じゃないことを祈ります(ちなみにその人は小説を書く人ではありません)。
『アンナ・カレーニナ』から何かを学べそうだという必要性を感じたときには僕も読みます。今ではないけれど。
緋片イルカ 2019/09/05
挑戦したい人はどうぞ。
僕はこれで読みました