物語を書き始める前に構成を意識しますか?どの型をつかって考えますか?
その他の人はどんな型か教えていただけたら嬉しいです。— イルカとウマの文学村 (@irukauma) 2018年11月12日
物語を書かれている方に構成を考えてから書くかを聞いてみたくてアンケートをとってみました。
「考えない」と「その他」を同項目にしてしまったのは質問の仕方の失敗でした。
全く考えないで勢いで書いていくのか、自己流の構成テクニックを持っているかは大きく違いましたね。
機会があれば、別のアンケートをとってみたいです。
自己流について教えてくださる方がいたら、コメントお待ちしてます。
僕のやり方についてお話すると、はじめは起承転結で書いていました。他を知らなかったからです。
「起」とは何かといった定義がないまま、「転」だけは変化を起こすのでクライマックスらしいシーンを創る意識としては役に立った気がします。(これはハリウッド三幕構成でいうPP2に相当すると今は考えています)
起承転結は、もともとは漢詩の構成法なので四コママンガなんかではぴったり当てはまる気がします。
手塚治虫や藤子・F・不二雄がマンガの描き方でも書いていました。
序破急については能が好きで世阿弥の本でも読みました。
序では静かに入り、破で勢いを増して、急で一気に下げることで余韻を残すという観客の感情をコントロールするという観点は、近年のAIのテクストマイニングで感情アークをつくるものと似ていて参考になります。
構成法として使うには、起承転結の「起承」=「序」というかんじがしてあまり違いもないように感じます。
様々な本でいろいろな作家の方が構成法を紹介していますが、起承転結や序破急を自分流に解釈してアレンジしたものが多いように思います。
今回のアンケートで起承転結と答えてくださった39%の方も、自己流の起承転結なのかもしれませんね。
僕は、今は「ハリウッド三幕構成」と「モノミス(単一神話)」をベース考えます。
なぜハリウッド三幕構成を使うかというと「目盛りが細かいから」です。
定規の目盛りのようなものです。
シーンがいくつか集まったものをシークエンスと呼びますが、これを定規でいえばミリとセンチの目盛りの違いのようなものです。
三幕構成でもシークエンスとしては三つないしは四つに分けるので、全体としては起承転結や序破急と比べても同じです。
しかし、三幕構成には、その一つのシークエンスの中に「ビート」と呼ばれる細かい目盛りがたくさんあります。
なので「三幕構成の定規」を使って考えれば、他の構成の考え方は「ああ、三幕構成でいうアレと同じだ」と測れます。
当てはまらないものを見つけたときは、新しいビートとして、アレンジを加えてきました。
だから、もちろん自己流三幕構成の点は、他の方の自己流起承転結なのは同じです。
(僕の自己流三幕構成に興味のある方はサイト内で連載しているので、そちらをご覧下さい)
ビートの考え方は、主に映画脚本のためのものですが小説にも応用可能です。
それは「モノミス(単一神話)」の考え方に基づいているからです。
モノミスとは神話学者ジョーゼフ・キャンベル(『千の顔を持つ英雄』の著者)の考え方で、一言でいええば「世界中の神話や民話を比較すると共通する一つの構造をもっている」ということです。
そもそもアメリカは歴史が浅いため、映画を自国の文化として盛り上げようと、大学などでも研究が盛んです。
その中にはシェイクスピアや世界中の神話、民話なども含まれ、そういった研究の中から物語論が創り出されています。
だから、アメリカの大学生が主人公の映画でも、物語論としての基本構造を押さえた上で展開されるので、アジアの国でもヒットするのです。
逆接的に、村上春樹さんの小説や、宮崎駿監督の映画は、その理論にぴったりと当てはまるので世界でも受け入れられます。
(ちなみに村上さんはオススメ本の中に『千の顔を持つ英雄』を入れていたので意識的に書いている可能性も高いと思います。)
上記に上げた本のリンクを貼っておきます。多くなって恐縮ですが、どの本も僕のオススメです。
みなさんのオススメの本などもコメント欄で教えていただけたら嬉しいです。