物語へのプライド

僕は物語に対して、絶対的な自信を持っている。

それは自分の書くものがいつでも、常に面白いといった奢りではない。

AとB、どちらが面白いか? 価値があるか?といった選択を判断するときに正しい方を選ぶ自信だ。

根拠となっているものは、何百という物語を分析してきた経験と、そこから導き出した自分なりの「物語論」だ。

自信を持っていても、結果的に間違えるということはあるだろう。

間違いを感じたら「物語論」を修正するチャンスだ。

常にアップデートしていけば、自分の「物語論」はいつでも最善となる。

脚本と小説に取り組んでいて、両者を比べてみると、スポーツでいう団体種目と個人種目のようだと思う。

脚本はたくさんの人で作りあげるもので、助けられることも多いが、制限も多い。

声の大きい人の意見が優先されて、自分の「物語力」を発揮しきれない不満やもどかしさを感じる。

けれど、いろんな人の意見をもらうことで、自分だけでは気づけなかったことに多く気づかせてもらえる。

小説は思い通りにできるが、迷って抜けられなくなったり、自己満足に陥りがちだ。

けれど、とことんまで自分の物語を追究できる。

僕にとってはどっちも必要なのかもしれない。

みんなで映像作品を作りあげていく作業は嫌いじゃないけど、原作モノの商業脚本が人生でやりたいことでは全くない。

生活のためには役に立つ。

だけど、生きていくのに必要なのは金じゃない。

自分の人生をかけて、向きあうべき物語がある。

それは小説でしか追究できない。

そのことを忘れないようにしようと思う。

とかく、忙しくなると自分を見失いがちになる。

自分の物語のために、やっているのだということを忘れないようにしよう。

緋片イルカ 2022.8.24

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