物語における最適解(文学#63)

AとBという選択肢があって、どちらにするか?

物語を作るというのは、その作業の連続なのかもしれない。

A「主人公が犯人を殺す」
B「主人公が犯人を許す」

どちらが良いのか?

法律的に判断するなら、どちらが正しいかは明白だ。

物語を判断するには「物語に対する判断基準」がいる。

ある人はA「主人公が相手を殺す」が、ドラマチックで良いという。

ある人はB「主人公が犯人を許す」が、ハッピーエンドで良いという。

どちらが売れそうとか、ヒットしそうといった基準をもつ人もいる。

自分の判断を優先する人もいるだろう。

売れると思って判断したものが、コケることもあれば、周りからは止められたような判断が結果的に流行ることもあるだろう。

売れる売れないといった要素は、客観的に判断しやすいが、宣伝効果など物語以外の要素が、物語の価値に転化されて過大/過小評価されたりもする。

いずれにせよ、商業的な物語の価値観だ。

本当に、作家が人生をかけて追究するべき物語には、表面的な他人の評価は関係ない。

わからない人にはわからないが、人類にとって価値があるものがある。

我々の多くは相対性理論だとか、複雑な数式を、微塵も理解していないが、それが生活の至るところで活かされている。

そういう人類的価値のある物語というものがある。多くの人にはわからない。理解もできない。

しかし、そういう物語は確かに存在する。

気づいてしまった作家は、書かなくてはならないのだと思う。それは使命とか宿命のようなものだ。

その人類的基準で、判断された物語は、多くの人には誤った選択のように見える。

けれど、もし、その作家が、その選択肢を選ばなくければ、その物語はこの世界に生まれない。

気づいてしまった作家は迷わず、選びとるべきだ。

それは商業的な物語なんかとは比べものにならない価値があるはずである。

緋片イルカ 2022.8.24

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