『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』岡田尊司(読書#17)

生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)

本書で「生きるのが面倒くさい人」とは主に回避性パーソナリティ障害を指しています。
気になった文章を引用していきます。

人とのかかわりを面倒くさいと感じる人にも二種類あり、そもそも人とのかかわりから得られる喜びが乏しいタイプと、人とのかかわり自体は楽しい面もあるが、気疲れや不安の方がもっと大きくて、かかわるのが面倒くさくなるというタイプである。前者が、ジゾイドパーソナリティと呼ばれるタイプであり、後者が、本来の回避性パーソナリティ障害だと言える。

生きることへの面倒くささは、いつから始まるのでしょうか?

生まれた直後の赤ん坊を、母親の胸に乗っけてやると、まだ手足も満足に動かないのに、乳首を探そうとして必死で顔を動かし、乳首を探り当てると、むしゃぶりつくように吸おうとする。まさに生きんとする力が、生まれたての子どもには備わっている。
 母親のオッパイは最初からよく出るわけではない。人工乳のなかった時代には、オッパイを吸うしか栄養を手に入れる方法はなかったので、新生児は、まだろくに出ないオッパイを必死で吸って、生きる糧を手に入れようとしていた。しかし、最初のうちは、十分な量の母乳が出ないので、子どもは飢餓状態におかれることもあった。生まれた直後は、体重が減るのが普通だったわけだ。
 吸うことによって、母乳の出が次第に良くなり、体重も増え始める。しかし、今では人工乳ですぐ補ってしまうので、飢餓状態と闘いながら、必死にオッパイを吸う必要性も薄らいでしまったとも言える。
 オッパイを吸うことを面倒がっていては生きられなかった時代と、体重が増えなければ、人工乳ですぐに補ってもらえ、かえって楽ができる現代とは、生き方のスタンスが原点から異なってしまったのか。そこはわからない。
 とはいえ、人工乳であっても、一生懸命吸わなければ、ミルクは出ないので、大きく育ったということは、母乳にしろミルクにしろ、成長するのに必要なくらいは、面倒くさがらずに摂取していたということだろう。

人生の次なる関門である歩くということに注目して考えてみよう。多くの子は一歳くらいで歩き始める。早い子は十ヶ月くらいで、遅い子でも一歳二ヵ月くらいには歩けるようになる。歩けるようになるためには、つかまり立ちから初めて、伝い歩きで練習し、最後は勇気を出して一歩を踏み出すということをしなければならない。小さな体で重い頭とのバランスをとることは、容易なことではない。何百度となくトライし、失敗を繰り返しながら、奇跡の瞬間を迎えるのだ。
 面倒くさいと言っている若者も、みんなそうした関門をクリアしている。失敗しても飽くことなくちゃんチャレンジし、その技を身に付けてきたのだ。つまづくことが怖いと感じている人も、何度もつまずいて、それでも泣きながら立ち上がって、繰り返しトライしたから、いま当たり前のように歩いていられる。
 つまり、少なくとも赤ん坊の頃は、面倒くさいという傾向は、あまりなかったと考えられる。

 赤ん坊の中には、生きる気力をなくしたように、お乳を吸おうともせず、歩こうともせず、周囲にも無関心になり、ただ同じ行動を無意味に繰り返したり、ときには、自分を傷つけようとしたり、病気にも無抵抗になり、やがて衰弱して死んでしまう子もいる。健康に生まれてきた子どもでも、こうしたことが起きる。
 生きることに意欲を失ってしまった赤ん坊に何が起きたかと言えば、母親から離されて施設に入れられたり、母親に世話をしてもらえず、放っておかれたりしたのである。つまり、いわゆる虐待やネグレクトを、ごく幼いうちに受けた子どもには、生きるのが面倒くさくなったとしか思えない状態が認められるのである。
 こうした状態は「反応性愛着障害」と呼ばれ、外界に対する無関心や成長・発達の著しい遅れを呈する。

愛着について……

 愛着は、オキシトシンと呼ばれるホルモンによって司られる仕組みで、哺乳類全般に共有されている。種によって働き方に多少の違いはあるが、われわれが猫や犬にも、ときには、人間に勝るとも劣らない親しみや結びつきを感じることができるのは、この仕組みを共有しているからである。
(中略)
 愛着という仕組みは、遺伝子レベルで組み込まれているわけだが、実は、遺伝子をもっているだけでは、この仕組みはうまく働かない。うまく働くようになるためには、スイッチを入れる作業が必要だ。乳児期に母親から母乳を与えられ、愛情深くなでられたり、世話をされたりすることによって、スイッチが入り、活性化されるのである。そのプロセスを怠ってしまうと、いくら正常の遺伝子をもっていても、その仕組みはうまく働かなくなる。しかも、スイッチを入れることができるのは、授乳期である幼い期間に限られていて、臨界期と呼ばれる。
(中略)
 それは子どもの健康や発達を守るうえでも不可欠な役割をしている。なぜならオキシトシンには、ストレスや不安から守る作用があり、また社会性や共感性を高める作用があるからだ。

 愛着が安定して育まれるかどうかは、すでに一歳の段階ではっきりとした違いとなって表れる。そして、一歳の時点で認められた傾向は、大人になっても、多くの人で認められるのだ。
 虐待やひどいネグレクトを受けたというようなケースではなく、一見普通の家庭で育った子どもにも、愛着が不安定なケースが増えている。母親との愛着が安定したタイプを「安定型」、不安定な愛着を示すタイプのうち、母親に対して無関心で、愛情や世話を求めようとしないタイプを、既に述べたように「回避型」、逆に過剰なまでに求めようとし、少しでも母親が離れたり世話が足りなかったりすると、母親を攻撃したり、拒絶したりするものを「抵抗/両価型」と呼ぶ。
 回避型は、ある意味、放っておかれることに適応してしまったケースであり、求めることを諦めることで、ネグレクトされても平気になっている状態だと言える。一方、抵抗/両価型は、何とかして愛情や世話を手に入れようともがいているのであり、そのためのアピールとして、親を困らせたりするのだ。こちらも愛情不足があるものの、ある時までは愛情をたっぷりもらえていた時期があったケースや、親の気分や都合で、愛情をもらえなかったケースに多い。

成長すると……

 回避型の子どもは将来、暴力や非行、いじめ、反社会的行動など、破壊的な行動上の問題を起こしやすいことが長年の研究で裏付けられている。優しさや甘えを求めない代わりに、力で相手を支配し、ねじ伏せようとするところがある。彼ら自身、そんな風に育てられたのだから、そうしたふるまいを身に付けることは、ある意味自然なことである。
 また、彼らは、気持ちを表現したり、言葉でコミュニケーションをとったりするのがあまり得意でない傾向がみられる。そのため、体が悲鳴を上げるまで、無理を重ねてしまい、心身症や解離性障害のリスクが高いとされる。タフそうに見えるが、実はもろいところがある。
 幼い頃に認められる回避型は、成長して回避性パーソナリティ障害になる場合もあるが、むしろ自己愛性パーソナリティ障害や反社会性パーソナリティ、シゾイドパーソナリティに発展する方が典型的である。この三つのパーソナリティには、大きな共通項がある。それは、共感性が乏しく、クールで、相手の気持ちや痛みに鈍感だということだ。
 意外にも、同じ「回避」という言葉を用いるものの、回避性パーソナリティのベースにある愛着スタイルは、回避型愛着スタイルではないことの方が多いのだ。回避性パーソナリティの人は、他者に受け入れられるかどうかに、ひどく敏感で、そのために他者との接触を避けてしまう。一方、回避型愛着スタイルの人は、他人の評価など気にしないところがあり、いい意味でも悪い意味でも、鈍感である。

回避型に加えて、人に受け入れられるかどうか不安が強い不安型が同居したタイプで、恐れ・回避型と呼ばれるものがある。この恐れ・回避型が、回避性パーソナリティにもっとも典型的な愛着スタイルなのである。
(中略)
 拒否されることを恐れて近寄れないが、心の底では、愛されたいと願っている。それゆえ、回避性パーソナリティの人は、ひとたび親密な関係になると、今までのよそよそしく、恥ずかしがり屋だった人物とは別の面を見せることも珍しくない。

気になった文章……

 一般的に、仏教における救いとは、愛されたいといった欲を捨て去り、執着を絶つことで、苦しみから逃れるとい原理に基づいている。それは、まさに、ネグレクトされた子どもがやむを得ずやっている、愛着を諦めるという反応に他ならない。脱愛着によって、執着を脱するのである。実際、釈迦をはじめとして、偉いお坊さんたちは、みんな家族を捨てて、修行僧となり、愛着を絶った。それで、そのお坊さんは救われたかもしれないが、問題の半分が忘れられている。捨てられた家族はどうなったのか。
 彼らは、見捨てられることによって愛着の傷を抱え、苦しむことになったに違いない。苦しみの連鎖を断とうと、俗世から離れることで、当人は救われたかもしれないが、捨てられた者たちは、煩悩以上の苦しみを背負わされることとなった。

著者からのメッセージにも心打たれるものがありました。

 回避性の人は大抵奥手なところがある。若い頃は敏感なので、よけいに自分の人生にしり込みしてしまう。その分、人生に出遅れてしまいがちだ。傷ついた経験から、恐れや不安にとらわれ、身動きできない時期が続くことも多い。失敗して恥をかいたらどうしよう、拒絶されたり笑いものにされたらどうしようと、悪い可能性ばかり考えて、そんな思いをするくらいなら、何もしない方がましだと考えてしまう。
 だが、やがてそれでは人生がもったいないと思うようになる日が来る。生きることのリスクやマイナス面にばかり気持ちを奪われ、気もそぞろだったのが、あるときを境にして、時間が無為に失われていくことの危機感の方が大きく募り始める。縮こまって、チャンスを避け、リスクの心配ばかりして生きていることが、馬鹿らしく思えてくる。思い込みでしかない他人や世間の評価というものを恐れて、自分の人生を諦めて生きていることに疑問をもち始めるのだ。
 なぜなら、われわれは有限の存在で、自分の人生を生きられる時間は限られているからだ。もう何十年かすれば、誰もが老いて、土に還っていく。何を恐れる必要があろう。人にどう思われるかを気にし、遠慮する必要などない。自分の意思で自分が本当に生きたい人生を生きればいいのだ。
 案外、他人は人のことなどかまっていないし、自分はこうしたいとはっきりと意思をもった存在には一目をおいて、道をあけてくれるものだ。大事なのは、自分はこうするべきだではなく、自分はこうしたい、こうなりたいという自分の意思を明確にして、それを恥ずかしがらずに周りに伝え、勇気を出して行動を起こすことなのだ。どんな小さな一歩であれ、恐れに打ち勝って、自分の意思で行動を起こし始めた瞬間、その人は変わり始める。

岡田さんの本は何冊も読ませていただいていますが中でも読み応えのある一冊でした。今回も、作家や音楽家といった著名人やカウンセリングでの臨床例などももたくさん挙げられています。なお、愛着障害に興味をもたれた方はマンガでわかる 愛着障害 自分を知り、幸せになるためのレッスンなどもどうぞ。

緋片イルカ 2020/02/02

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