キャラ説明「キャラクターの変化と通過儀礼の意味」(キャラクター論42)

以下は、過去に映画の勉強会に参加していた方達にビートを説明した際に用いた資料です。HDDから発見したので公開しておきます。映画を初見でプロットポイント1、2、ミッドポイントがつかめるぐらいに三幕構成を理解している方に向けています。初心者の方はどうぞこちらからご覧ください。

キャラクターの変化と通過儀礼の意味

物語関連の本によると、キャラクターについてセオリーめいたものが書かれている。
「主人公は魅力的でなければならない」
「主人公は葛藤しなければならない」
「主人公は成長しなければならない」
それらについて以下で検証する。

「魅力的である意義」
物語の主人公が魅力的でなければ読者は続きを読みたいと思わない。言い換えるなら「主人公に感情移入できるかどうか?」とも言える。
では、どうすれば感情移入できるか?
その1つにセーブザキャット、すなわち猫を助けるような人道的なことをさせると言われる。よく例に出されるのは「殺し屋が冷徹にターゲットを殺した後、背後で物音がして銃口を向ける。ターゲットの飼い猫である。殺し屋は銃を下ろして言う。俺は猫だけは殺さない」

特技や弱点ということも言われる。プロフェッショナルな特殊能力や知識があるカッコよさや、そのくせ普通の人が平気なものが苦手でカワイらしいところがある。インディジョーンズが蛇を苦手であったり、ゴルゴ13が背後に立たれるのが苦手(時々手がしびれるというのもあるらしいが)といったことである。

上記の「セーブザキャット」「特技」「弱点」といったことはキャラクターの設定として面白くなるのは確かではあるが、キャラクターの本質(キャラクターコアについては後述)とは呼べない。
例えば、アクト1の登場時に、インディジョーンズが蛇を苦手なことをセットアップして、その後アクト2、アクト3で蛇が一度も出てこなければ意味がない。
ゴルゴ13では、背後に立たれると反射的に撃ってしまうクセを利用されてピンチに追い込まれる回があるらしいが、普通の回ではその弱点が効いている訳ではない。これらはシリーズものの主人公の一設定に過ぎない。
その設定があるからキャラクターが面白くなるとはいえ、それだけで観客が感情移入して最後まで見てくれると思うなどは作り手の勘違いである。インディジョーンズであれば冒険、ゴルゴ13であればミッションが達成されるかどうかが魅力的であるからこそ観客は見るのである。これはアクト2の冒険が魅力的かどうかであって、主人公が魅力的かどうかとは別問題である。ここをわからずに失敗している物語が多くある(特に日本のドラマの主人公の設定にはとってつけたような無意味な特技や変わった好みや弱点が多い)。

「葛藤する意義」
主人公が葛藤するというのは当たり前過ぎることである。
ある物質が進む。その進行方向に障害がある。物質と障害がぶつかる。
物理的に言えばこれが葛藤である。キャラクターにおきかえるなら、主人公が何かを目指していて、それを邪魔するものが現れる。そこで主人公は戦ったり、逃げたり、悩んだり、怒ったりして、勝ったり、負けたりする。これはドラマの本質すぎることであるし、これが出来ない(分からない)のはライターとして未熟と言わざるを得ない。
「葛藤させろ」という言い方をする人もいるが、テクニックとしては「ゴール」と「障害となるイベント」をきちんと設定してやることである。そうすれば自然と葛藤する。
イルカのビートではアクト2で「バトル」というものを入れるが、これはまさに葛藤シーンである(前提としてアクト2での主人公のゴールが明確になっている必要がある)。あるいはCC(ゴール)とカタリスト(障害)直後のディベート(葛藤)や、アクト2での冒険で得た価値観(ゴール)に対しての、ディフィートやオールイズロスト(障害)でダークナイト(葛藤)など、構成にビートが入っていれば主人公は葛藤する。「葛藤させろ」などという言い方をする人は、本質をわかっていないようにも感じる。

※心理的な葛藤と、物理的な葛藤の違いはないと考える。心理的に悩みがあれば周囲の人との関係がギクシャクするのは当然だし、物理的な葛藤があればそこで悩んだりするのは言うまでもないからである。もし物理的な葛藤があるのに、主人公が悩んでないように見えるのとしたらライターの基礎的な描写力の問題である。あるいはそもそもの人間観から来ている場合もある。人生経験の浅いライターが「恋人の死」のようなシーンを書いて、想像しきれずにキャラクターが安易なリアクションをとっているといった場合である。

「魅力」「葛藤」ということをまとめると、要は「どういう人が、どういう冒険をするか?」なのである。それが面白ければ感情移入して続きを見たいと思うし、感情移入されなければつまらないと言われるだけである。

「主人公の成長の意義」
主人公は変化や成長しなければならないのか?の答えを先に言えば、「場合による」である。あるいはストーリータイプ(プロットタイプ)による。
ジョゼフキャンベルやシドフィールドの呪縛とも思えるが、深く考えたり分析したりすることなしに主人公の成長を必須と言う人が多すぎるように感じる。多くはキャラクターと構成を切り離して考えていたり、物語論と脚本論を混同していたりするためである。

「どういう人が、どういう冒険をするか?」を軸として主人公を考えていけば必ずしも「主人公の変化」が必要である訳ではない。

全く変化しないキャラクターとしては、インディジョーズやゴルゴがそうであるし、アンパンマンや古いロボットアニメの主人公のように一つの価値観で一貫してブレないからこそ魅力的なのである。いわゆるヒーロー(神話の英雄)のようなキャラ。(※個人的にはズートピアのジュディなどはこのレベルで描いた方がより魅力的だったように思うが、オールイズロストやダークナイトのビートに引っ張られたように思う。キャラを優先してビートを崩した方が面白かったのではないか?)
ディズニーアニメの主人公や、アメコミヒーローが悩むのは時代性やターゲットの年齢に合わせたバランスとも云える。アンパンマンは幼稚で大人で楽しんで見る人は少ない。心理的な葛藤が理解できない年齢に合わせて描かれているからである(※大人で時々ばいきんまんを好きという人がいるのも面白い。いつも負けているのにポジティブにドキンちゃんのために頑張る姿に共感するのだろう)。
これらのキャラはヒーロー性を持っているので、ヒーローとしての特技も持っている。観客から、見上げるように憧れる位置にいる主人公である。自分にはできないことをしてくれる。

ヒーローと対極にあるのが「何をやってもダメなやつ」である。これは観客から見下ろすような同情をもって受け入れられる。応援したいという気持ちになる。そして彼らが決断して頑張ろうと変化しようとする時には、手に汗にぎって応援する。こういうキャラクターには必ず変化が必要である。「ライアーライアー」や「クレイマークレイマー」のようなダメオヤジの変化のようなものが想像しやすい。
問題が主人公ではなくて環境にあるシンデレラなどもタイプとしては似ている。こういったストーリーでは心理的な成長よりも、物理的な変化が重要になる。

これらの中間にいるようなのが探偵プロットの主人公のようなキャラクターである。「チャイナタウン」のジェイクのような。彼らは捜査の能力としてはプロフェッショナルである(探偵プロットで基礎的な捜査能力がないキャラクターは失敗する=観客が見ていてイライラする)。アクト2の冒険として「大きな謎」に挑み、真相を解明こそするが、ヒーローのように平和をもたらすことは出来ない(英雄ではなく人間なので)。変化をする冒険をしながらも変わることができない。「普通の人々」では父親は変化するが、母親は変化しない。変われる人もいるが、変われない人もいる。ただ構成上、変わるだけのチャンスは与えなければならない。これはアクト2をしっかり構成することで、平々凡々の日常を描いて「人は変わらない」というテーマを伝えることはできない。
あるいは「セブン」のブラピのように、変わるつもりのなかった人が変えられてしまうこともある。平凡な人が信念で世界を変えてしまう時もある。それらはディズニーの主人公や、ガンジーや混ぜーテレサのような聖人的な人物である。ヒーロー側に寄ることになる。
実際は数直線のようにキャラごとに目盛りが細かく違うが、大きく分けると以下。

ヒーロー 聖人 プロ 観客 ダメオヤジ
特徴 超人的な能力
ブレない信念
ブレない信念 特技 欠点
変化 変化なし ←ヒーローになるか
→貶められるか
変化なしか
→落ちるか
←成長
観客から 憧れ 信念に対する共感 能力に対する憧れ

心理的には共感

同情・共感
応援

いずれもキャラクターだけの問題ではなく、主人公がどういう冒険をするかによって、変化の方向性も度合いも変わる。変化するべきキャラクターが変化してないのは問題であるし、変化しなくてよいキャラクターがあれこれ心理的葛藤しているのも見ている人にとってはまどろっこしいものである(ストーリーのテンポが悪くなる)。

「通過儀礼の意味」
変化をする主人公にとっては、アクト2の非日常がその人物への試練となっている。非日常よりも冒険と呼んだ方がしっくり来る場合も多い。民話学や心理学で言えばアクト2が「通過儀礼」となる。

民話学の通過儀礼に関しては専門書が多くあるし、創作と関係しない部分も多いので省略するが、共通するポイントして「越境」という感覚だけは理解しておくべきである。民話の冒険は主に黄泉の国のような死の世界や、異界であるためそこへ行くためには、主人公も死ななくてはならない。疑似的にでも。アフリカで成人式としてバンジージャンプをする民族があるが、これは一度死ぬということである。子供であった自分を殺し、大人となった村人として改めて受け入れられる。儀式での失敗、つまり大人になれなかった者は死ぬことになる。また一度、大人になったものはもう二度と子供には戻れない。こういう感覚を「行って帰ってくる」と表現するが、「逝って還ってくる」と言ってもよいのかもしれない。通過儀礼とはこれぐらい強いものでなければならないということである。
これをただの「キャラクターの変化」として捉えてしまうと、「喧嘩ばかりしてた夫婦がちょっと仲良くなった」ぐらいに捉えて「変化している」といったことになってしまう。簡単に前の状態に戻れるような変化は、成長とは呼ばない、ただのちょっとした変化である。クレイマークレイマーでは、裁判までしてもう後戻りできないところまで行き着いたことで、夫婦関係に新しい変化が生まれた。だから、あのエンディングの後には、この家族が幸せになっていくだろうと感じられるのである。

民話学でもう一つ言われることは、現代では儀式としての通過儀礼が弱くなっているということである。それは村のような共同体の弱体化が原因でもあるが、ともかく「これをすれば大人になれる」と誰でも信じられるようなものがないのである。「成人式」はもちろん、「結婚」は離婚率の多さからもあるし、「葬式」ですら簡略化される。価値観が多様化して自由に生きられるとも言えるが、反面、自分の心の置き所を見つけかねて迷ったり、依存したりしている。「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」というような。
そのモデルとしての映画や小説といった物語は一つの役目を担っていて、だからこその「主人公は成長しなければならない」と言われる部分もある。しかし幼稚なライターの幼稚な通過儀礼では参考にならない。こういった物語を書こうとするならば真摯な姿勢で描く必要がある。

何をすれば大人になれるのか?あるいは大人にあなたは何をして大人になったか?と聞いてみれば、答えは多種多様である。そのどれもが、個人的であり、その人にとっては答えであっても、別の人には答えとならないことも多い。だが、どんな方法であれ、変化する前と変化した後には、共通するものがある。心理の変化である。

変化の前には「何かにこだわっていて、捨てられないものがある」。例えば思春期の少年が、父親に○○しろと言われて反抗する。ここには自分の子供である状況や価値観へのこだわりがある。あるいは父親のような大人になることへの反発がある。これは「結婚しろ」と言われて反発する大人女子や、「もういい年なんだから○○はやめろ」と言われる頑固老人とも同じである。あるいは過去のラウマのように本人の意識よりも深いレベルでこだわっている場合もある。「頭では変わりたいと思ってるのに変われない」キャラクターである。極めて人間的で魅力的にも見える。
そういうキャラクターの変化前の本質こそがキャラクターコアである。そして、意識的にせよ、無意識的にせよ、そのコアから出てくるべきものが表面的な特技であったりクセであったり、弱点であるべきである。(例えば「恋愛小説家」のジャックニコルソンが白線の上しか歩かないこと)故に、コアがしっかりしているキャラクターであれば、どんなシーンでもその人物らしい行動や台詞を言うし、こういうコアがつかめているライターは「キャラクターが勝手に動く」と表現する。

変化前の人物が「拘わっていたもの」を捨てるための冒険、あるいはこれでもかというところまで拘りきる冒険こそが、アクト2であり、その行き着いた先(物語論のビートのMP)で、何かに気づく。新しい価値観を得る(ビートで言うリワード)。そして折り返しが始まり、日常に還ってきた時には、もう新しい人間になっているのである。成長としての表現としては「受け入れること」が出来る人物に成長しているのである。あるいは、その冒険を経てでも「受け入れることができないもの」があり、悲劇的なエンディングを迎える場合もあるが、それはそれで、人間ドラマとしてはアリである。

ユングの言葉「人間は必要がなければ何事も変化しない。人間は怠惰と言わないまでも、きわめて保守的である。ただきわめて厳しい苦悩のみが、そうした状況を改変することができる。人間の発展はけっして願望、命令、洞察によってではなく、苦悩によってのみ実現する。内的あるいは外的運命がもたらす判然とした強制が必要なのだ。」

変わる必要がない人でも、外的運命によって強制的に変わらされることもある。自然災害や戦争ではそういったものがテーマになる。変化は喪失を伴う。何かを失ってもまたポジティブに生きようとする人に共感し、あるいはそうなれなかった人を見て二度と戦争を起こしてはならないと感じたりするのである。

キャラクター論はつきつめていくとキリがない(答えがない)ので、あくまで創作に使える部分として改めて要約する。

・主人公が変化するかどうかはストーリータイプによる。
・主人公が変化しない場合、状況や環境などが変化する。
・主人公が変化しないストーリーであれば「ゴール」と「障害」を用意してテンポよく進めて、あまりくよくよさせない方がテンポよくなる。
・「結論として変化しない」物語を描くにしても、アクト2として「変化する機会」が与えてられていなければならない。(そうでなければ面白くない)
・主人公の本質的な成長を描くにはキャラクターコアをつかむ。
・キャラクターコアとは「捨てられないもの」「拘ってるもの」「大切にしているもの」等である。変化とはその代わりになるものを手にいれること。あるいは手に入れられないこと。そして変化したキャラクターはもう後戻りはできない。
・特技、弱点といった表面的な設定は面白ければ何でもよい部分もあるが、キャラクターコアと関連しているものであれば深みがでる。
・いずれにせよ、キャラクターは構成(ビート)とセットにして考えるべきものである。

以上

0

SNSシェア

フォローする