「つまらない物語」をつまらせる(文学#41)

「つまらない」と言われる物語は書きたくないものです。それなら「つまる」物語を書けばいいのです。

「つまる」とはどういうことか?

広辞苑の意味に「行きづまって先へ進まない。」というのがあります。

物語における「つまる」をストーリーサークルに基づいて考えてみます。

つまる構成

まずは客観性の強い「構成」から考えてみます。

構成のつまるとは「展開がつまる」ことです。

たとえば「主人公のOLがランチを買いにコンビニに向かっている」としてみます。

食べたかったサンドイッチを買って会社に戻ってきて、食べる。「あ~おいしかった。ちょっと眠いけど、午後の仕事もがんばるか」。

つまらないですね。ふつうです。

では、つまらせてみましょう。

「買いものに行くが、財布を忘れた」

「食べたかったサンドイッチが売り切れていて、変わり種のものを買った」

「それがおいしかった(あるいはおいしくなかった)」

などなど。

物語としては魅力にかけますが、こんなことが実際にあると、同僚に「ねえねえ、今日さ・・・」なんて話すのではないでしょうか?

SNSに書く人もいるかもしれません(いや、最近のSNSは何のつまりもない、つまらない話がダラダラ流れてますね)

その程度には「つまる話」になったのです。

物語にするなら、

「買いに行く途中で○○にあった」

○○の中は、交通事故でも、昔の恋人でも、コンビニ強盗でも構いません。

こんな「つまり」があると物語が動きだします。

つまる描写

小説で考えてみます。

つまらない描写をしてみます。

「お昼休みになったので、私はコンビニへ買い物へ行った。いつも食べているタマゴサンドが狙いだ。」

とくに「つまる文」はありませんでした。ふつうに読めます。

では、つまらせてみます。

「時計の針が12時00分を指した瞬間、私は会社を飛びだした。向かっているのはコンビニ。狙いはタマゴサンド。」

1行目で「何を急いでるんだ?」という疑問が浮かんで、つまります。

それがタマゴサンドとわかってからも、そんなに大人気なタマゴサンドなんだろうか?と疑問がつづきます。

文章での小さな「つまり」は、「つまづき」と言ってもいいかもしれません。

自動車なら減速します。前に進むにはアクセルを踏み込まなくてはいけません。

読者の中でエンジンがかかるのです。

もっと単純に「つまる単語」を入れることもできます。

「時計の針が12時00分を指した刹那、私は社屋を飛びだした。向かっているのはコンビニ。標的はタマゴサンド。」

普段、あまり使われない単語が入っていると「つまり」ます。作品の雰囲気に合ってるかどうかが問われるので、どっちがいいかなどは言えません。

「秒針が十二時丁度を指し示した刹那、吾は社屋から飛び出でた。向かうはコンビニ。狙うは玉子サンドなるサンドイッチである。」

つまりすぎるのは逆効果ですが、作品全体がそうなら、作風になってしまうでしょう。

つまるテーマ

テーマのつまり方は「答えにつまる」です。

わかりやすいよう、極端な例であげると、

「安楽死ってどう思う?」

「ペットを飼うことってどう思う?」

「民主主義ってどう思う?」

世の中には、自分の絶対的に正しいと思ってる人もいますが、いろんな意見があるので、一概に、答えを出せない問題です。

一辺倒の価値観ばかりで描かれていると、読者はうんざりしてきます。

同じ話ばかり聞かされてるような気分になります。

たとえば独裁者の正当性ばかり主張してるプロパガンダのようなものです。

あるいは東日本大震災のとき、「がんばろう」「絆」といった前向きなメッセージばかりが連呼されて、正直うんざりした人もいたのではないでしょうか?

いろいろな意見がつまった議論の方が、テーマは豊かになります。
 
 
以上、「構成」「描写」「テーマ」、それぞれから工夫することで、面白味のつまった「つまる物語」が出来あがるのです。

緋片イルカ 2020/12/15

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