「対話」を生むために(文学#60)

「対話」とは「きちんと聴くこと」と「きちんと話すこと」

これに、集約されるのではないかと思います。

「対話」を考えるために、あえて対話が成立していない場を想定してみます。

まずは、一方方向の「指示」です。

上司や親、教師など、立場や権力の上にいる人間が一方的に指示を出す。

「相手は自分の指示に従うはずだ」「ルールに基づき、自分が正しい」という奢りがあるかもしれません。相手への尊重が足りないかも知れません。

相手を気遣い「お願い」する人もいます。

「これ、やってもらえますか?」と、言葉面は丁寧でも威圧感がある人もいます。

「言いたいことがあるなら、言いなさい」と言っても、力の弱い立場の人間はなかなか言えません。

このとき、上の者には「聴く」姿勢が足りませんし、下の者は「話す」勇気が足りません。

「対話」は「きちんと聴くこと」と「きちんと話すこと」。

これを目指して、練習の場となるのがオープンダイアローグなのかもしれません。

くり返すことで対話力がつけば、薬の必要性が下がるというのは頷けます。

では、この「対話」を生むためにの、具体的にはどうすることが効果的でしょうか?

僕が考えるのは「目的」「ルール」「時間の確保」「メンター」です。

「目的」は議題です。目的なく話すだけでは雑談や会話と変わりません。

他人に対して、常日頃から「対話」的に接することができる人がいれば素晴らしいとは思いますが、その人自身がストレスを抱えてしまう可能性もあります。

「対話」をするときには、普段の自分を抑えて、「目的」を持った対話の会に参加するということで、意識的に「話すこと」「聴くこと」を練習することができるのではないでしょうか。

その会の中では「ルール」が必要です。言葉遣いに気をつけたり、感謝を述べることは、対話をスムーズにします。

力の上の者が暴走しないように抑え、弱い者が発言できるよう、全員がそこに従うという「ルール」への信頼が必要です。

具体的に発言するときには「時間の確保」が重要ではないかと思います。

早口の人もいれば、ゆっくり考えながら、言葉を選んで語る人がいます。話し方には、それぞれのペースがあるのです。

一定の時間は、発言者が自由に使えるという安心感があれば、話しやすくなるでしょうし、聴く側の練習にもなります。

会を進行する人間も必要です。

ただ進行するだけでなく「ルール」違反をした人に従ってもらうようにお願いしたり、話題があまりに「目的」とは違う方向へ進んでしまったときに引き戻すようなことも必要かもしれませんので、この役割は「メンター」(指導者)的なのかもしれません。

「メンター」が言わずとも、みんなが自ら「ルール」に従い、「目的」がズレたときには、誰ともなく修正していくような集まりになれば、もはや「対話」が生まれているのでしょう。

オープンダイアローグのような場は、対話の練習場なのかもしれません。

「きちんと聴くこと」と「きちんと話すこと」。

簡単なようで、とても難しいことだと思います。

世界中が対話が生まれて、争いが少しでもなくなるような世界になればいいと願います。

本気で対話をすることは「分断」を乗りこえる手段になりえます。

まずは、自分の思うことは「きちんと話す」こと。

僕にとっては「文学」や「物語」というのが対話の場なのだと感じます。

緋片イルカ 2022.3.11

参考記事:オープンダイアローグ式ストーリー会議

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