言葉の意味について(文学#62)

言葉には意味があります。

「言葉」という言葉にも意味があります。試しに広辞苑を引いてみると、

ことば【言葉・△辞・△詞】
意味を表すため、口で言ったり字に書いたりしたもの。
㋐語。単語や連語。「やさしい―に言い替える」「―を尽くす」(相手によくわかるように、十分によく述べる)
 ▷「言(こと)の端(は)」の意。
㋑言語。「日本の―と中国の―」「―は国の手形(てがた)」(なまり等その人の言語の特色は、その人の出身地を示すものだという意)
㋒言語による表現。「―を掛ける」(話し掛ける)「―を交わす」「―を返す」(口答えする)「―を濁す」(はっきり言わずにごまかす)「―を飾る」(事実よりきれいに言う)
㋓言語で述べ表したもの。「祝いの―」「刊行の―」
 ▷「辞」と書くことが多い。
㋔一つの作品で、歌に対して散文の部分。また、地(じ)の文や節をつけてうたう部分に対して会話の部分。
 ▷「詞」と書く。

と書いてあります。しかし、広辞苑に書いてあるから意味が決まっているわけではありません。

言葉自体に意味が宿っているわけではないのです。

「りんご」といえば「赤くて丸い果物のことだよね?」と多くの人が連想するところに言葉の意味が宿っています。

けれど「りんご」と聞いて、青りんごや、りんご農家の人であれば具体的な品種を連想するかもしれません。

直前にアップルパイを食べていたら、加工されたりんごを想像するかもしれません。

ちいさな子供で、いつもお母さんが剥いてくれたリンゴばかり食べていて、樹木になっているりんごを見たことがなければ、そのこの中でのリンゴは切られたりんごでしょう。

文化圏が変わればりんごではなくappleと言わなければ通じません。

appleもiPhoneを手にして話せば意味が変わります。

言葉の意味というのはそれほど曖昧で即席的な部分もあるのです。

学校教育では、辞書や教科書に定められた意味を、正しい意味として、その意味をたくさん覚えている人が成績が良い人となり、成績が良い人は、いつのまにか頭の良い人として扱われていきます。

成績が良い人が頭がよい人とがイコールでないことは、仕事をしたことがある人なら誰でも分かるでしょう。

ともかく、言葉の意味というのは、人と人の間で、了解されることによって成立しているのです。

作家というのは言葉の意味を操る職業ですがから、こういったことに意識が向かなければ上達しません。

「エモい」とか「タピる」とか、昔であれば「チョベリグ」だとか、時代ごとに流行りの言葉があって、面白がって安易に使う人もいれば、敬遠して絶対に使わない人もいます。

物語においては、頭ごなしに使うでも避けるでもなく、そのキャラクターやストーリーにマッチしているかどうかです。

その気遣いのできない作家の書いた物語は、世界観がブレています。

文章自体が上手でも、文体がストーリーの雰囲気とマッチしていない作品というのもあります。

映画で言えばホラーなのに笑ってしまうとか、シリアスなのに薄っぺらいとか、演出ミスのようなものです。

もちろん、何らかの効果を狙って意図的にそういった演出をしている場合は別です。

気遣いのできない観客は、そういった違いに気づかず、メッセージも間違えて受け取っています。

「ぶぶ漬けでもどうです?」と言われて、親切な人だと思っているようなものでしょうか。

「言葉の意味」が人と人の間の了解に基づくものであるということを、端的に表現しているのはバフチンの「人間の最小単位は(一人ではなく)二人である」という言葉です。

この意味をしっかりと掴んでいる作家は、セリフにしないでシーンを描くこともできます。

言葉の発生を介さずとも、手話のように別の形でメッセージを送ることができますし、目で見つめ合うだけでも恋人同士が愛し合っているのは伝えられます。

必然的に素人的な「説明ゼリフ」もなくなります。

文学においては、言葉の意味を剥がしていくことが重要です。

詳しくは前の記事に書きました。
「剥離」された言葉(文学#59)

言葉の意味を剥離するように、一般的な価値観を剥離することで、真実に近づくことが可能かもしれません。

それこそが、本当の文学の意味だと考えます。

文芸雑誌や芥川賞受賞作のようなものがイコール文学なのではありません。

東大生というだけで頭がいいと考えてしまうことに似ています。

稚拙がために曖昧さが残っているエセ文学もたくさんあります。

文学と呼ばれていないものの中にも、文学的なものはたくさんあります。

真に文学的なものとは、構成の領域で言えばコズモゴニックアークを辿り、表現の領域で言えば剥離された言葉を持つものです。

そういうったものを書けるよう目指していきたいと思うし、読者としても出会いたいと思うのです。

話題作ばかり追うのもいいけど、本当に自分を震わせるような作品こそ、その人にとっての真の文学作品なのかもしれません。

緋片イルカ 2022.7.4

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