「意識の流れ」文体、覚え書き(文学#80)

僕が求める「意識の流れ」の文体は、一般的なそれと違うような気がしてきている。

一般的な文体は「意識の流れのように、思考や感情をことこまかく描いていく文体」といった印象。

僕が求めるのは「意識の流れに沿って、意識に浮かんだ言葉を並べていく文体」。

連想言語法に近いものも感じる。物語として読者に伝えるための、多少の手は加える。それがないと流石に読めたもんじゃない。

基本的には一人称で、外界で起きている事象の時間の流れに合わせた、内語を言語化する。

内語は、誰かに伝えるための文章でないので、文末などていねいにすると不自然だし、単語の羅列のようになっているときもある。

主体的な時間には、緩急がある。

集中度が高いときは文章が多くなり、外界の時間とズレることがある。ぼーっとしていたときなどはシーンを飛ばしてもよいか?

夢、想像、回想などは、過去の出来事に判断を加えているときは「~だった」「~と思った」と書くことができるが、イメージしている最中は断定型で、比喩も「~のように」などとは書かない。

✕「天使のようなものが頭に浮かんだ」
〇「そこに天使がいる」
〇「(イメージ後に)天使を想像していた」

イメージしている最中には、その主観にとっては、それは現実となる。

これにより、通常は言語にはできないものにリアリティをもたせて浮かび上がらせることはできるのではないかと思っている。

ここに、この文体の一番の価値がある。

意識の定義は、覚醒時の思考を中心とするが、感情の機微に対する評価、身体や感覚への自覚を含む。

会話は、主観がしっかりと相手の言葉として聴覚が認知したときは「」を使用。

相手の言葉を解釈して受け取ったときは、地の文を使用。

主観の発話は「」には入れない。基本的に。独り言などは別か。

固有名詞などは、主観がわからないものは、わからないままの呼び方。

現実社会とはズレてかまわない。リアルな人間の主観は往々にして、そういうもの。

客観的な事実も、どの視点から見るかのよって代わる。この文体をミステリーなどにも応用できると思う。

句読点はリズム重視だが、意識が継続しているときは読点で文章をつづける。

気持ちが一段落したときは句点。さらに大きな切れ目は改行。

外部の時間経験があるときは、一行アケ。

「俺は」「僕は」といった自称は、極力減らしたい。自覚的なときと、文章の流れ上、紛らわしくなるときは無理しない。

イルカ 2023.4.10

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