「キャラクターアーク」と「プロットアーク」という2本のアークを分けて考えるのは、ハリウッドにはない、僕の方式です(※プロットアークは僕の造語です)。
この違いがわかるかどうかは、初級と中級の差につながります。
初級者向けに、改めて解説してみようと思います。
レベル分けについては以下の記事、
「三幕構成」初級・中級・上級について(#33)
初級を越えている自負がある方は以下の記事をどうぞ。
「葛藤のレベルとアーク」(中級編1)
「キャラクターアーク」は感情のつながり
「キャラクターアーク」を描けているかどうか?と考えるとき、一人のキャラクター、まずは主人公について「すべてのシーンに言動や心情に繋がりがあるか?」が判断基準になります。
脚本に限らずですが、物語では時間と場所がジャンプします。
たとえば、
シーン1:「高校生が電車に乗っているシーン」のあとに
シーン2:「同じ高校生が学校の校門をくぐるシーン」が来れば、
その高校生は「通学している」のだと理解できます。
このとき「駅に着くまでの電車の時間、改札を抜けて、歩いて学校へ到着する」という一連のシーンはカットされています。時間と場所がジャンプしているのです。
次の場合を想像してみてください。
シーン1で制服を着ていた高校生が、シーン2で校門をくぐるときにはジャージになっている。
観客(読者)は「?」と思います。
この「?」は観客の物語への没入感を阻害します。観客が状況を理解するために思考を始めてしまうのです。
「ジャージに着替えているということは駅で着替えたのかな? なんで? 朝練? それともシーン2は放課後で部活?」などなど、
シーン間の「ジャンプ率」が高いと、観客に負荷をかけることになるのです。
何かを考えさせたいとか、ミスリードするときに、わざとジャンプ率を高くするテクニックもありますが、基本的には観客が物語についていきづらい場合は「不自然」「わかりづらい」「アークが切れている」ということになりますし、違和感なく、ぐいぐいと物語の世界に引き込むことができれば「アークが滑らか」と言うことができます。
アークを線路のイメージで捉えるのもわかりやすいかと思います。
線路が繋がっていれば、電車(物語)はぐんぐんと加速していけますが、バラバラしていたらスピードが出せないどころか脱線しかねません(脱線するとは観客が物語を見るのを止めてしまうこと)。
シーンのジャンプは、トンネルを抜けるようなものです。
トンネルに入って、電車の姿が見えなくなるけど、線路はつながっていて、出てきたときに、それが確信につながるのです。
上の例ではカットされた改札や歩く時間がトンネルです。
トンネルに入る前と後=シーン1とシーン2では繋がっていると自然と伝わらなければなりません。
制服からジャージに着替えていると、トンネルの中で何があったのんだ?と考えてさせてしまうのです。
主人公の衣裳が変わってしまうなんていうのは超初心者レベルのミスです。こんなものは慣れれば修正できます。
問題はキャラクターの感情についてです。
シーン3:「屋上。主人公が無表情で空を眺めているシーン」があるとします。
これだけで、主人公の感情を読み取るのは困難です。
初心者が陥りがちなミスは「悲しい顔で空を眺めている」といったト書きや地の文でで済ませてしまうことです。
小説では表現が稚拙ですし、ト書きでは役者の「悲しい顔」の演技で、どこまで伝わるのか怪しいところです。
「空を眺めて苦笑いする」と書いて、「苦笑」=「悲しい笑い」と伝えたとします。
役者が「苦笑い」したつもりでも、観客には「微笑している」ように見えてしまうかもしれません。
また、伝わったとしても、人物描写のリアリティとして稚拙です。
こういう描写ばかりで、人間を描こうとすると、悲しい時はいつでも「苦笑」、嬉しいときは「笑顔」といった単純で裏表のない人間しか描けなくなってしまいます。
人間は素直に感情を出すときと、出さないときがあることは、自身の経験を思い出せばわかるはずです。
解説はしませんが、台詞で「独り言」を言わせるなどは論外です。
では、どうすればいいのでしょう?
シーン3:「屋上。主人公が無表情で空を眺めている」だけでも、主人公の感情を観客に伝える方法があります。
構成です。モンタージュ論を知らない人はエイゼンシュテインを独習してください。
シーン★:「親友が死んだという話を聞く」
シーン3:「屋上。主人公が無表情で空を眺めている」
とシーンを並べるのが構成です。キャラクターアークでもあります。
「無表情では、内心は喜んでいるかもしれないじゃないか!」と思う人もいるかもしれませんが、アークが滑らかに続いていけば、自然と断定されていきます。
シーン4:「授業をサボって、町へ出る」
シーン5:「肩のぶつかったチンピラとケンカになる」
シーン6:「怪我をして家に帰る」
シーン7:「母親に心配される。何かあったの? 何もないよ」
これぐらいまできて「内心は喜んでいる」と思う人はいないでしょう。これがキャラクターアークです。
「物語作家は心理学者にならなければならない」と言われますが、その一つの理由が、キャラクターアークを描けなければいけないからです。
なお、ここに例に挙げたシーン例は、キャラクターアークの仕組みを理解してもらうためのクリシェを利用しています。こんなベタな人物描写が、良い見本ではありませんのは言うまでもありません。
※補足:「キャラクターアーク」と設定
説明セリフ・説明シーン(主人公のセットアップ)(文章#41)の記事と重複しますが、物語が始まる前の「設定」をしっかりと考えることは、キャラクターアークを描くことと同じです。物語がスタートする前のシーン(設定)を想定して始めないと、前半のシーンが極めて説明的になります。
「プロットアーク」はイベントの繋がり
「キャラクターアーク」と「プロットアーク」のどちらが大事かといえば、キャラクターアークです。
これが描けない作家は、ほとんどのジャンルを描けません。物語の大半はドラマだからです。
キャラクターがクリシェでも通用するのは「ホラー」と「ミステリー」といったジャンルのみではないかと思います。
「ホラー」は怖ければいいし、「ミステリー」は謎が面白ければ通用する部分があります。
もちろん、モンスターや探偵に魅力がある方が(つまり、これらのジャンルでもキャラクターアークが描けている方が)面白くなるのは言うまでもありません。
先の「親友を亡くした高校生」のつづきを考えてみます。
シーン8:「翌日、学校をサボって引きこもる」
シーン9:「さらに翌日、家は出るが学校へ行かず、公園でぶらぶらする」
シーン10:「そのまた、さらに翌日……」
イライラしてきませんか?
「キャラクターアーク」つまり主人公の感情の流れが丁寧に描かれていても、何も起こらない日常を永遠と見せられても、うんざりしてきます。
実際の人間は、親しい人の死を簡単に乗りこえられるものではありません。それはリアルです。ですが物語で重要なのはリアルではなく、リアリティです。
「主人公は3ヶ月落ち込んで学校も行かなかった」とします。だからといって、それをすべて見せる必要はりません。
ほどほどで、変化が起こるシーンまでジャンプさせるのです。
たとえば、「親友を落ち込んでいた主人公」に、次のようなシーンを起こしてみます。
A:「親友から突然、ラインでメッセージが届く」
B:「同じように親友を亡くした女の子と出会う」
どちらでも構いません。ノベルゲームのようなものであれば、プレイヤーの選択肢でストーリー展開が変わるでしょう。
こういった「分岐点」にあたる出来事を配置していくことが「プロットアーク」に繋がります。
AとB、どちらのエピソードを選んだかで物語の進む方向が変わっていきます。
Aのあとであれば「親友は本当は死んでいないのではないか?」といったミステリーやサスペンスが始まる予感があります。
Bのあとにはラブストーリーが予想されるでしょうか。
なお、最初の起こる事件がビートでいえば「カタリスト」です(ファーストインシデントと言う人もいますが)。
Aのあとを考えてみます。
A2:「親友の家に行ってみると、たしかに死んだよう」
A3:「遺品をみると、そこに『僕を見つけて』というメモを発見する」
A4:「親友が最後に、山に行こうとしていたと知る」
A5:「主人公は山に行ってみようと思う」
このように、イベントが連なっていくようにストーリーを進めていくのが「プロットアーク」です。
また、「プロットアーク」は演出的な意味ともつながります。
ここで「山」にするか「海」にするか、全く別のところにするか。
どこで物語を進めるのが「面白くなるか」「魅力的になるか」といったこともプロットアークの範疇です。
キャラクターアークが丁寧でも、展開が地味になってしまいます。
2本のアークの絡み合い
「キャラクターアーク」と「プロットアーク」は厳密に分け切れないことが多々あります。
「親友を失って落ち込んでいた主人公」に「メッセージが届くこと」で、主人公の言動が変化します。
このように2本が螺旋のように絡み合って、同時に進行していくものもありますし、プロフェッショナルなキャラクターなどは、感情的な変化をせずに「プロットアーク」を邁進していきます。
どちらの区別は、はっきりとれなくても基本のビートシートがとれれば初級レベルです。
2本のアークの絡み合いを解きほぐせるようになれば中級レベルです。
また、どちらのアークも主人公だけに限らず、全キャラクターについて考えるべきことでもあります。
創作のときは、主人公だけの都合でストーリーを動かすと、受けになったキャラクターが不自然な言動をしているということは初心者によくあります。
複数のキャラクターのアークを解きほぐすことが出来るようになれば、群像劇の分析もできるようになります。
いずれにせよ、分析の定義より、大切なのは「自分なりに、その物語の本質を掴めるか」です。
それができれば、創作にも応用ができるようになっていきます。
緋片イルカ 2022.10.8