ライターズルームでの質問について考えていきます。
今回は「脚色のポイント(脚色募集をした際、原作作品を脚色する面白さと難しさを感じたため) 」についてです。
「脚色募集」について
まずは当サイトで不定期で開催している「脚色募集」について説明しておきます。
詳細はリンク先にありますが、目的は「ライターズルーム」の参加希望者への入口としての役割です。
これまでに2回の募集を行い、3名の方に「ライターズルーム」に参加いただいています(2023.8.8現在)。
文学村「脚本講習」では「脚本の書き方」を何も知らない人を対象に、原稿の書き方から指導していきましたが、現在は講習を開いている時間的余裕も参加希望者もないため、あらかじめ「脚本形式」を理解している人に「ライターズルーム」に参加してもらう方針で、脚色として一本書いてもらうことを参加条件としています(※なお「脚色募集」に応募いただいた方すべてがライターズルームに参加できる訳ではありません)。
オリジナル脚本でなく、脚色での募集にしたのは「原作を読み解く力」と「オリジナリティを込める力」を同時に見れるからです。
実際の仕事では「脚色」も多く、どちらの能力も必要になってきます。
同じ原作で書いてもらっているのに応募いただいた作品は、まるで印象が違い、これこそ「脚色」の違いなのだと思いました。
脚色のポイント
1:原作の魅力を掴む
当サイトでは上記の意図で開催しましたが、他のコンクールなどで「脚色」の募集というのはないと思います。
実際に「脚色」を求められるのは、仕事だと思います。
仕事であると脚本家が考える以前に「企画」としての方向性が決まっていることが多いでしょう。
演出やキャストの想定もあって、仕上げていく方向が決まっているので、それに沿いながら物語としての面白さを追求します。
原作を無視したような奇抜なアイデアなどは求められていません。
むしろ、原作を読み込んで、キャラクターやストーリーの魅力をブレずに掬い上げることが大切です。それは原作ファンに満足してもらうことにも繋がります。
2:媒体の違いを踏まえる
「原作」となるものは多種多様です。
小説、マンガ、演劇などが多いでしょうが、媒体によって特色が全く違います(※アニメか実写か、脚色先での違いもありますが割愛)。
どれひとつ、そのまま脚本にするだけで成立するものはありません。成立するなら脚本家の仕事は不要です。
媒体ごとの特色を掴み、原作の魅力をつぶさないように(むしろ増大するように)、映像化してあげるのが本当の「脚色」です。
これが出来ていない作品は、原作の方が良いという烙印を押されます。
個人の好みはあるので、たとえばマンガの実写映像化などは絶対に認めないという人もいて、それは仕方がないとしても、せっかく「実写も楽しみ!」と思って見てくれた層がが楽しめなかったとしたら、それは脚色が悪かったといえます。
それぞれの媒体による「特色」は、このサイトの記事でいろいろなところでも書いていますが、かんたんに語りきれるものではないので、ここでは止めておきます。他記事をご覧ください。
3:ビート分析する
映像化するときに役立つのは、やはり「ビート」です。
小説やマンガを読んでビートを拾えなければ、映像化したとき作品として物足りないものになる危険性があります。
裏を返せば、ビートが拾えれば、構成はわりとかんたんに固まります。
現在、「物語分析会」で小説もとりあげるようにしていますが、半分はそういった練習のためでもあります(もう半分は趣味ですので、選ぶ作品は堅いものが多いのですが)。
映像の脚本家を目指しているからといって、マンガや小説の分析は関係ないと思っていると「脚色」はできません。
4:クリエイティブな脚色
アニメ化では原作に忠実であることが魅力になる場合もあります。
ファンが多い原作では、映像化にあたって脚本家のオリジナリティなど求めておらず、ただ原作が映像として動くところが見たいという心理が強い傾向にあります。
その作品をファン以外が見たときには映像作品としての魅力に欠けている(つまりファン以外は楽しめない)ということもあるので、どうかと思う部分はありますが、商業的には安定して成功するので、こういったもいのは今後も作られていくでしょう。
楽なお仕事ですが、クリエイターが目指す脚色ではありませんので、ここでは触れません
実写映像化では、多かれ少なかれ、原作通りにはいかないので、必ず「処理」が必要になってきます。
「処理」とはシーンを削ったり、その分の辻褄を合わせたり、盛りあげるためにオリジナル要素や、オリジナルシーンを追加するような作業です。
これはクリエイティブな作業なので、脚色は「原作があるから簡単だ」などと考えている人がいたら大間違いです。
0から1にするようなクリエイティブ作業ではないけど、原作の雰囲気、設定、キャラクターにぴったりとはまったオリジナルシーンを作らなければいけない器用さが求められます。
キャラクターの心理を掴むのが苦手な人は、クリエイティブな作業から逃げて(つまり、そのキャラクターらしいセリフが書けない)、原作のセリフばかりに頼って、媒体の違いを踏まえないセリフが違和感につながることが多々あります。
原作を魅力的な映像作品に、きちんと置き換えることができて、ほんとうの「脚色」と言えると思います。
脚色能力とオリジナリティ
ここからは余談のようなものですが、僕は「脚色する力」「分析力」「オリジナル作品を書く力」はすべて関連していると感じます。
「分析力」がないと脚色ができないこと、「オリジナル作品を書く力」=クリエイティブな作業ができないと本当の意味での脚色ができないことは、すでに説明しました。
これを裏返すと「脚色する力」を磨けば「分析力」はもちろん、「オリジナル作品を書く力」を身についてくるとも感じます。
脚色するときには必然的に構成を考えます。
ビートを知らない人でも「クライマックス」は考えるし、シリーズものなら「次回への引き」なども考えるでしょう。映像作品には、そういう要素が必須なのだと気づきます。
結局、ビートというのは「そういう要素」を具体的に理論化したものに過ぎないので、脚色で面白くしようと取り組んでいれば、気づけばビートの感覚が身につき「分析力」が養われるでしょう。
「オリジナル作品を書く力」はどう身につくか?
「作家の腕とライターズコア(文学#79)」という記事でも、似たようなことに触れましたが、日常生活でネタをみつけて、それを物語として完成させるということは、現実のネタを原作とした脚色作業と変わりません。
オリジナル作品でも、脚色でも問われているのは「魅力的な物語に仕上げる腕」なのです。
こういったことに気づくと、質問者が書かれていた「脚色する面白さ」は、そのまま「創作する面白さ」につながると思います。
そこにはオリジナルを作品を創るヒントがあるはずです。
緋片イルカ 2023.8.8