主人公とストーリータイプの関係

ライターズルームでの質問について考えていきます。

今回の相談は以下です。

「作品の主人公について考えるとき、自分はまず前提として主人公のキャラがウリの作品(男はつらいよ、恋愛小説家)と、設定や全体のテーマがウリの作品(ゴッドファーザー、バックトゥザフューチャー、東京物語、スタンドバイミーなど)の2つに大きく分けることができると考えています。
その上で質問なのですが、設定や全体のテーマがウリの作品や一般的な事柄(恋愛や人生など)について書きたい場合に、主人公はなるべく個性をなくして誰にでも当てはまるような人物にした方がよいのでしょうか。それとも寅さんや恋愛小説家のジャック・ニコルソンまでとはいかなくとも、主人公に他の人物とその人物をわけるところ(例えば同じMBTIでも一人一人違うように)や、その人の本質となる考えや人間性を作った方がよいのでしょうか。」

いきなり突き放すような回答になってしまいますが、前提とされている「主人公のキャラがウリの作品と、設定やテーマがウリの作品の2つに分けられる」という考え方に共感できません。

作品によっては、どちらかの要素がとても目立っているというものはありますが、僕は「ストーリー」も「キャラクター」も両方が魅力的であるべきだと考えるので、どちらかだけがウリという考えに共感できません。

物語や人間に対する視点が浅薄にも感じます。

キャラクターでいえば、例にあげてらっしゃる『ゴッドファーザー』のコルレオーネも、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティやドク(ビフだって)、『東京物語』の紀子、『スタンド・バイ・ミー』の4人の子供、どれをとっても魅力的で「設定や全体のテーマ」がウリの作品とは感じません。

そのため、以降の「主人公はなるべく個性をなくして誰にでも当てはまるような人物にした方がよいの」か「その人の本質となる考えや人間性を作った方がよいの」かというご質問の意図もいまいちズレているように感じます。

言葉を拾わせてもらうなら「その人の本質となる考えや人間性を作った方がよい」のは、どんなストーリーでも当然だと思いますし、細かい揚げ足を取るなら「個性をなくして」とか「人間性を作る」という表現にキャラクターを人間というより、自分がコントロールする駒のように捉えているのかもしれないという懸念も感じます。

「個性をなくす」とは具体的にどういうことを指しているのでしょうか?

個性のない職業として「会社員」というようなことを考えるとしたら、世の中の「会社員」は皆、没個性だということになり、それは社会経験がない人間の視点です。世の中にでれば、どんな職業にも個性があることは、言われなくても気づきます。

物語に登場する「店員」のような脇役にも、書かなくてはいいけれども、本当は名前があって、その人の人生や感情があるということを忘れてはいけません。それを忘れるとストーリーに都合のいいセリフをはく、非人間的な人物になってしまいます。

この感覚が理解できないなら『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』の後半で父親が教えてくれる「幸せになれる秘訣」をご覧になると参考になるかもしれません(ついでにショットや演出の違いにも注目してほしいところですが)。

社会経験がなくても、感受性を働かせて、いい映画に触れていればわかることがたくさんあります。

キャラクターは生身の人間のような、心をもった存在として、尊敬をもって接するべきです。

ストーリー展開の視点から「このキャラクターには、こう動いて欲しい」という意図があったとしても、作者は勝手に動かすことはできません(それをやってしまった途端、作者は観客の信頼を失います)。

「この人は、どういう状況になれば、こっちに動いてくれだろうか?」と考えて、そういう状況を作ることで、なんとかストーリー展開に合わせて動いてもらうのです。

抽象的な表現になりましたが、こういった感覚をもつことなく、ほんとうの物語は書くことはできないと思います。

まだ、お若いのですから、感受性をしっかり働かせて、日常生活から多くを感じてください。

補足

ご質問の意図を、僕なりに「こういうことを聞きたいのかな?」と好意的に解釈すると「ストーリータイプ」と「主人公」の相性のようなことを聞きたいのかも知れないなと感じますので、少し触れておきます。

たとえば、『Save tha Cat』にある「4:難題に直面した凡人 DUDE with a Problem」のようなタイプであれば、主人公が「凡人」であることで成立するストーリータイプのように思われます。

このタイプにある作品『ディープ・インパクト』の主人公に「10:スーパーヒーローSuper Hero」の主人公をもってきたら、すぐに解決してしまうように感じられるかもしれません。

スーパーマンのような隕石を破壊できるパワーをもっていれば一瞬で解決しそうですが、スパイダーマンに隕石を止めるのは難しいかもしれません。

スーパーマンでは成立しないけど、スパイダーマンなら成立するかもしれない。

いずれにせよ、それらは設定の問題です。

キャラクターの内面とは無関係です。

スーパーマンでも「絶望していて地球を救うことに嫌気がさしている」という設定がつけば、成立する可能性があります。

そんな風にして物語を組み立てていったとき「ストーリータイプ」がどれになっているかは分かりません。

「ストーリー」と「主人公」の相性は、あるかないかといえばあると思います。

ですが、相性がいいものほどクリシェで平凡な物語に陥る危険性もあります。

相性が悪くても、工夫をすることで、いくらでも成立する余地はあり、そういうものこそオリジナリティある新しいものになる可能性もあります。

物語のパターン(「ストーリータイプ」や「プロットタイプ」)というのは、なぞることで、それらしい作品を創ることにも使えますが、同時にパターンから外してオリジナリティを出すためにも使えます。

以上は、僕の考えです。

冒頭で「主人公のキャラがウリの作品と、設定やテーマがウリの作品の2つに分けられる」という考え方に共感できないと書きましたが、これもあくまで僕個人の意見です。

「2つに大きく分けることができる」という考え方を変える必要はありませんので「個性をなくして誰にでも当てはまるような人物にした方がよい」か「本質となる考えや人間性を作った方がよい」かをご自身で追究なさって下さい。

自分流の物語創作パターンを見出せたなら、それで良いと思いますし、いい方法論が見つかったら、ぜひ教えてください。

緋片イルカ 2023.8.8

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