脚本作法19:読み心地を良くする

読み心地が悪い脚本とは?

以下の脚本は『レプリケイト』修正稿からの引用である。

まずは読んでみてほしい。

1. 会社・オフィス(昼)
 シックなパンツスーツの瀬間なみ(32)。
 プリンターから印刷物を取り出す。
 自席に戻り、隣の席の田中希未(25)へ。
 希未はフェミニンなオフィスカジュアルを着ている。
なみ「はい。書いてある通りにすれば間違えないから」
希未「やっぱりこの作業、マニュアルあったんですね! 先輩に相談してよかった~」
なみ「ふふ。希未ちゃんに頼られると悪い気しないんだよねぇ」
 希未の隣の席に座る、渡辺智子(25)はもくもくと作業している。

2. アパート・室内(夜)
 壁一面の本棚に啓発本が並ぶ。
 ハンガーラックには昼間着ていたスーツ。
 床に雑誌が散らばり、マルがついたページが見える。うち一つが昼間のスーツ。
 なみがテーブルにファッション雑誌を広げ、口紅にマルをつける。

3. 会社・女子トイレ・パウダーコーナー(昼)
 前日と同じスーツ姿のなみ。化粧直しをしている。
 暗いブラウンカラーの口紅を塗り、不機嫌そうに眉根を寄せる。(つづく)

読んでも「情報が頭に入ってこない」「映像が浮かばない」という人が多いのではないだろうか?

読んでいる途中で、前に戻って読み返した人も多いと思う。

脚本は流れるようにスラスラ読めるのが理想的である。映像化したとき、映像が流れるリズムで読めるのが良い。

上記のような脚本を「読み心地」が悪いというが、こういう文章は損しかない。

問題点、読者の気持ちなどを考えて、修正例も示していく。

シーン1について

シーン1の問題点の1つは「情報量が多すぎること」にある。

設定などを書き込み過ぎていて、文章量に対して読み手の想像が追いつかないのである。

喩えるなら、早口でまくし立てられているようなかんじである。

情報を提示する順序に、受け手の気持ちを配慮されていないとも言える。

1行目から細かく見ていく。

シックなパンツスーツの瀬間なみ(32)。
ト書きにおいて、体言止めは、トメやアップのショットを誘導する。作品の1行目に、この書き方をされると唐突すぎる。演出によっては人物の瞳のアップからゆっくりとカメラが引いていくような演出もあるが、ここではそういう意図でもない(その書き方にもなっていない)。この体言止めの1行目を読んだ読者は「パンツスーツの女性がいるのね? で?」というモヤモヤした気分になる。通常、初めてのシーンが始まったら、その場所の雰囲気などから書き込むものなので「オフィスの雰囲気」が一言欲しいところでもある。「会社のオフィス」と言っても、大企業の大きなフロアなのか、中小企業のこぢんまりとした部屋なのかで、読み手の印象は全く変わる。

プリンターから印刷物を取り出す。
2行目で、なみの行動が示されるが、これは1行目と合わせるべき。1行目で服装などの情報よりも、まずは「誰が、何しているのか」が欲しい。「いつ、どこで、だれが、なにを?」ということだが「いつ、どこで」は柱でわかる。

自席に戻り、隣の席の田中希未(25)へ。
「自席に戻り」とあるが、部屋の雰囲気や広さ、プリンターと自席との距離感がわからないので少し引っかかる(件のオフィスの雰囲気のト書きがないのと関連)。少し引っかかる、雰囲気がわからない=映像が浮かばないということである。そんな中、さらに隣の席の人物が登場して、ついていけなくなる。あとのセリフを読むと「希美プリントを渡した」という意味だと分かるが、初見では「希美の元行った」の可能性もあり、戸惑う。

希未はフェミニンなオフィスカジュアルを着ている。
なみ 「はい。書いてある通りにすれば間違えないから」
「希美はフェミニンな~」という一行が「へ」と「はい」の流れを邪魔している。「希美へ渡して」という文章から→「はい」というセリフはつながるが、「着ている」→「はい」は文章の流れとして繋がらない。

以上、物語冒頭のたった5行から、引っかかるところが満載で、読み手に労力を強いる。

映像が浮かばなかったり、理解に労力を要する文章は、誤読を生んだり、ストーリーに入り込めないだけでなく、読むことへの心理的な拒否感も強めてしまう。

人によっては「もう読みたくない」とファイルを閉じてしまうだろう。

ストーリー自体がいかに面白くても、読み心地が悪いと読んでもらえない。「損しかない」のである。

ここまでの修正例をあげる。

本来なら、いろいろ内容から書き換えなければいけない部分もあるが、元にある単語ベースで「読み心地を上げる」という修正をしてみる。

つまり、内容を改変して面白くしたり読みやすくしているのではなく、書き方を修正するだけで読み心地が上がるということを理解してもらいたい。

1. 会社・オフィス(昼)
瀬間なみ(32)がプリンターの前で、印刷が終わるのを待っている。シックなパンツスーツの女性である。
 印刷物を取ると、自席に戻っていく。
 隣の席のフェミニンなオフィスカジュアルの同僚――田中希未(25)に差し出して、

なみ「はい。書いてある通りにすれば間違えないから」
希未「やっぱりこの作業、マニュアルあったんですね! 先輩に相談してよかった~」
なみ「ふふ。希未ちゃんに頼られると悪い気しないんだよねぇ」
 希未の隣の席に座る、渡辺智子(25)はもくもくと作業している。

直したのは赤字の3行だけだが、これだけで読みやすくなった。

ポイントは「いつ、どこで、だれが、なにをしている」というところから、しっかり始めること。

何も知らない読み手が、理解/想像しやすいように、一つずつ情報を伝えていくことである。

「シックなパンツスーツ」とか「フェミニンなオフィスカジュアル」といった情報は、やや演出や衣装係にも入りすぎているのと、作品全体を読むと、書き込んでいる割にストーリー上「絶対的に必要」「極めて効果的」というわけではないので、情報過多ともいえる。もう少しキーワードを絞ったり、抽象的な形容詞で表現して、演出部に任せても良いかもしれない。

最後に登場する「渡辺智子」という人物も、脚本全体を読むと名付けるほどの役割ではなく、1シーンに新しい登場人物が3人も登場していることが読みづらさの原因になっている。

そもそも、初見では、主人公が誰なのかもやや掴みづらく、シーンの最後に「もくもくと作業している」、渡辺智子こそが主人公?という迷いすら生じさせている。

ここでは説明しないが「次シーンへの勢いをつける終わらせ方」が不足しているためでもある。

読者は「モヤモヤ」を抱えたまま、シーン2に進むことになるが、この問題は次のシーンでも引きづることになる。

シーン2

2. アパート・室内(夜)
壁一面の本棚に啓発本が並ぶ。
「壁一面の本棚」という表現は、そもそも日本語として引っかかる。「一面」というのは「平らな面」を連想させて、天井近くまで本棚があるように思われる。もしかしたら、作者のイメージはそれで部屋主の異常性を表現したかったのかもしれないが、それなら「異常であること」がしっかり伝わるように書かなくては、演出部に届かない(撮影の時に普通の本棚になってしまう可能性もある)。演出意図はともかく、ストーリーとして、伝えなければいけないのは「啓発本がたくさんある」という情報なので「本棚には啓発本ばかりが並ぶ」だけでも十分かもしれない。撮影では、啓発本を映すときには書籍の背表紙(タイトルの文字)を映す可能性が高いが、ト書きに「啓発本」と書いただけでは、どんな本を置かれるかわからない。一般の人も読むような本を並べられたら、部屋主の異常性は伝わらなくなってしまう。つまり、ストーリー上の作者の意図が脚本で伝わっていないといえる。

ハンガーラックには昼間着ていたスーツ。
ここで、シーン1に戻って読み返した人は多いと思う。「昼間着ていた」とあるけど「スーツ? 誰のだっけ?」と思うからである。シーン1では、瀬間なみがパンツスーツを着ているとト書きにある。きちんと書いてある。けれど、印象には残らなかった人が多いと思う。「ちゃんと書いてある」というのは「作者の言い訳」でしかなく、伝えるには「ちゃんと印象に残るように書く」必要がある。シーン1では、会話の中で服装について触れられることがない。映像になってしまえば、スーツが印象に残るので、シーン2でも瀬間なみのスーツだと、すぐにわかる人は多いと思う。そうなるような特徴的なスーツを衣装部が用意してくれるはず。だが脚本としての「読み心地」は悪い。演出部にすら伝わらなかったら、特徴のないスーツを容易され、観客も混乱する。そして、読み心地の悪さ、わかりづらさは、ここまで読んでも、このシーンが誰の部屋かわからないことにも起因する。次の行へいくと……

床に雑誌が散らばり、マルがついたページが見える。うち一つが昼間のスーツ。
脚本全体を読めばマニュアル人間である瀬間なみが、雑誌のオススメに従ってスーツを買っているということだとわかるが、初見の人には「誰の部屋で、何が起きているのか?」まだ、わからない。

なみがテーブルにファッション雑誌を広げ、口紅にマルをつける。
ここで、ようやく「なみの部屋だったのね」と気付く人が多いと思う。シーン2は、なみをセットアップするシーンであるのに「啓発本」「スーツ」「口紅」と情報量が多すぎる(アイテムが多すぎる)ため、結局、なみという人間が、掴みきれないまま(印象に残らない)、次のシーンへ進んでしまう。人間の特徴を表現するのに「優しくて正義感に厚く運動神経も良くて頭も良くて仕事もできる男である」などと、いくつもの要素を書かれると、読者によって受け取り方(印象)が変わってしまう。似顔絵を描くときのコツで「その人の特徴的な部分を誇張する」というのがあるが、そういう意識が参考になると思う。「優しくて運動神経も良くて~」の文章であれば、要約して「何をやっても完璧な男である」と一言ですむ。これが、このキャラを表す一番の特徴だとする。一言なら読者も理解しやすく、流れるように読める。ここでの注意点は「完璧な男」とト書きに書いたからといって、読者がそう受け取ってくれるかは別問題であるということ。「完璧な男」というト書きは、読者の理解を助けるために書くことは良いが、ト書きに書いたからといって、そのキャラが完璧になる訳ではないということ。ト書きに何て書いてあろうが、読者や観客はシーンを見て、そのキャラの特徴を、読者なりに受け止める。つまり、ト書きに「完璧な男」と書いてあっても、動作やセリフが完璧でなければ、読者は「このキャラ、ぜんぜん完璧じゃないじゃん」となってしまうのである。完璧であるなら、完璧であることを見せるシーンが必要である。「優しくて」というなら優しさが見えるシーン、「運動神経が良い」というなら抜群の運動神経を発揮するシーンを見せなければ、読者/観客の印象に残らない。同時に「本当に完璧な男なのか?」という問いも忘れてはいけない。「完璧な男」と「完璧を目指すけど、なかなか完璧になれない男」では全然違う。作者自身がピンポイントで、キャラの特徴を掴んだ文章を書かないと、読者を混乱させるだけなのである。

余談が増えたが、以下、修正。

ここは、表現自体にも問題があるので、内容も少しだけ改変する。

2. アパート・室内(夜)
 本棚には啓発本がずらりと並んでいる。「〇〇マニュアル」という本ばかり。
 なみ、ファッション雑誌を見ている。掲載商品のスーツにマルが付いてる。
 ハンガーラックには昼間のスーツ。雑誌と同じものである。
 なみは、口紅にマルを付ける。
 雑誌と同じ暗いブラウンカラーの口紅が置かれている。

3. 会社・女子トイレ・パウダーコーナー(昼)
 前日と同じスーツ姿のなみ。化粧直しをしている。
 暗いブラウンカラーの口紅を塗り、不機嫌そうに眉根を寄せる。(つづく)

シーン3は繋ぎのために引用したので指摘も修正もしないが「前日と同じスーツ」とあるので、シーン1、2の翌日ということになる。

「雑誌の商品にマルをつける」という動作が「買ったものに付ける」のか「買おうとしているものに付ける」のかが曖昧だったので、シーン2でしっかり見せて「買ったものに点ける」ルールにした。

映像で考えればシーン3が「翌日」か「数日後」かは厳密に分からないので、観客は「あの口紅、買ったんだな」ぐらいに思うので、映像的には問題ないのだが、脚本としては「前日」という一言が読み心地が悪くしている。

「前日」という一言で、日付を明確にするせいで、「あれ? 前日に買ってたっけ? 仕事の前に買いに行った?」など、どうでもいい「引っかかり」を作ってしまっているのである。

スーツと雑誌、口紅と雑誌は、しっかりと繋がるように見せる(書く)必要がある。

元の文章では、
ハンガーラックには昼間着ていたスーツ。
床に雑誌が散らばり、マルがついたページが見える。うち一つが昼間のスーツ。

「スーツ」という1行目の終わりと、2行目の冒頭「床に雑誌が~」と繋がっていないため、読み心地が悪い。

映像の順序は「雑誌」→「実物」としても、逆に「実物」→「写真」としても大差は無いが、瀬間なみが「雑誌を見て」→「買う」という行動であるなら「雑誌」→「実物」と見せるのが自然だろう。

「実物」→「雑誌」だと、瀬間なみは「自分の持っているものにマルをする人」と誤解する人もいるかもしれない。瀬間なみの時間軸、行動順序に合わせてやると、誤読が減る。

元の文章では「誰の部屋かわからない」いという問題もあったので、修正の文章では、とにかく瀬間なみを早めに出した。

これは柱に「なみの部屋」と書くことで、補足することもできるが、「柱に書いてあるから」を言い訳にしてはいけない。

ちゃんと読み手が、瀬間なみの部屋の雰囲気に入っていく必要がある(修正でいえば「本棚」を見せて「誰の部屋でしょう?」と謎かけのように少し煽って、2行目で「なみ」を出すとかも)。

また「雑誌の商品を実際に買っている」だけでは、異常性(の片鱗)が目立たないので、啓発本に「〇〇マニュアル」というタイトルばかりと、少し強調した。

本来なら、この瀬間なみという人間の内面を表現するための全く別のセットアップもあると思う。

「雑誌の商品を買う」=「マニュアル人間」という作者の発想が見え隠れしてしまっているように思う。

自閉症スペクトラムを持つようなキャラクターとして描こうとしているのか、トラウマなどによる固執からの行動なのかで、キャラも描き方も変わるが、その辺りは、脚本全体から読み取れず、行動での異常性だけが強調されていて、主人公に人間性が欠けている(ホラーの怪物のような描き方になってしまっている)ため、せっかくの現代的なテーマ性を損なっているのももったいない。

間観や視点は、作家として深めていく必要がある。

まとめ

かなり細かい点まで指摘したが、改めてポイントをまとめる。

●脚本に必要な情報かどうかを取捨選択する
脚本に必要かどうかは、ストーリーに必要な情報かということでもある。例えば「暗いブラウンカラー口紅」という指定は、ストーリー上、絶対にその色である必要があるか? 「雑誌に載っていた口紅」でもストーリーの意図は伝わる。意図が伝われば、演出部が、女優に合わせたりして、ベストなチョイスをしてくれる(場合によっては、書き込み過ぎは演出部を信用していないとも見える)。小説では固有名詞や商品名まで書き込むことが魅力になることもあるが、脚本は全く違う。少ない言葉で的確に表現した方が、読者への負担も少なくて済んで、読み心地が上がる。脚本に必要かどうかという視点は、セリフやシーンも言えることである。今回の修正ではセリフはいじらなかったが、シーン1にある「やっぱりこの作業、マニュアルあったんですね! 先輩に相談してよかった~」などのセリフも「この作業って?」と、やや引っかかる。印刷物を渡された直後に「やっぱりマニュアルあったんですね!」の方が明らかにスムーズ。この脚本、このシーンでは「マニュアルの内容」は関係ないので言う必要はないのでノイズになってしまっている。そもそも「この作業」という言い方では、何のマニュアルか言ってないに等しいので邪魔でしかない。

●説明する順序を工夫する
読み手は、文章の内容がすべて初見である。「初めての、何も知らない人に、ゆっくり丁寧に説明してあげる意識」を持つのが大事。小説でもいえる文章の基礎中の基礎だが、なるべく「一文で一つのことだけ言う」というのもコツ。シーン1の「自席に戻り、隣の席の田中希未(25)へ。」というト書きが読みづらかったのは、一文の情報が多いのである。仕事やアルバイトで作業を教わるようなときを想像してみてほしい。1つ1つ説明されて「ここまで、わかりますか?」と相手の理解を待って「じゃあ、次は……」と説明されるのと、「これはこうして、あれはこうね。それから、こっちは……」とまくし立てられるのと、どっちが理解しやすいか。文章の読み心地を上げるというのは「丁寧に教えてあげる」というのに似ている。自分のストーリーを、楽しんでもらいたければ、しっかりと誘導してあげなければ、もったいない。

●人間に対する洞察力を高める
これは文章テクニックとは別の部分。物語創作の根本でもある。作者自身が人間観を高めない限り、魅力的なキャラクターやストーリーは作れない。例えば、どんなに「自分が面白い」と感じていても、世間一般からみて「あの話と同じ」「どっかで見たことあるな」と思われるものは魅力的には見えない。ひどいときは、パクりと言われる。オリジナリティがないのである。オリジナリティとは流行を追ったり、蘊蓄を見つけても生まれない。創作のオリジナリティは、その人にしか書けないものを書くこと。情報を、そのまま使っていてはダメ。自分なりの視点が必要である。裏を返せば、視点をしっかり持てば、どんな些細なことにも「魅力」を見つけていける。「魅力的なキャラクター」というのは、誰もが思う「良い人」などではない。一般論やクリシェではない。多くの人に嫌われている人でも、自分には格好いいと思えば、その人にとっては魅力的な人となる。そういう作者自身の視点で、人間を描くことで、その作者にしか書けないものが生まれてくるのである。
◯「自分にしか書けないことを、誰にでもわかる言葉で書く」
✕「誰でも知ってるようなことを、自分にしかわからない言葉で書く」

イルカ 2025.3.4

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