文章添削3「視点」

論より証拠。まずは悪文と添削例をご覧下さい。
悪文には決定的にマズいポイントが2つあります。

悪文
「僕と彼女は真横に並んで歩き出した。彼女は手を繋ぎたいと思っている。僕も同じだ。信号で止まった拍子に手がぶつかった。彼女が僕の手をつかんだ。」

改善例
「彼女が隣を歩いている。手の届く距離を彼女が歩いているのだ。彼女の手袋をしていない白い手が揺れている。繋ぎたい。「赤だよ」信号に気づかなかった僕の手を彼女がつかんだ。冷たい指先が僕の指に絡まった。」

今回のポイント「視点」については文章系の本では必ず書かれています。
一人称、三人称、神視点の違いの説明が多いようですが、文章の基本中の基本なのでここでは簡単にだけ説明します。

一人称「海辺を歩いている。誰もいない。風が冷たい。冷気が吹き込んできて、僕はジャケットの襟を立てた。」
三人称「海辺をぽつんと歩いている男が一人。風が吹いて髪がなびいた。彼はジャケットの襟元を立てた。」

「僕は~」と書くか「彼は~」と書くかの違いと乱暴な説明をしている本もありますが大事なポイントは【誰が書いた文章なのか?】です。
一人称は日記のようなもので主観的な文章です。
初心者にも書きやすいと言われますが、反面、作家と主人公の設定がかけ離れていると、不自然な表現になったりします。

それに対して、三人称は第三者からの視点になります。
主人公を尾行している探偵のレポートや、映画のカメラマンだと思うと想像しやすいかと思います。
一人称とは違い、人物の思考や感情、五感などを書くことはルール違反です。代わりに映像的な描写をすることで間接的に伝えます。
ちなみに一人称で書きながら、三人称的に書いていくとハードボイルドな雰囲気になっていきます。

二人称視点は「あなたは~」と書くやり方で手紙、書簡体です。
しかし書いている人物がいるので、一人称の変型と考えられます。
二人称「あなたは今ごろ海辺を一人で歩いていることでしょう。冷たい風を受けて、ジャケットの襟をたてるあなたの姿が浮かびます」

神視点は、全知全能の神様が登場人物を見ているように書くことです。
「彼は海辺を歩きながら彼女のことを考えていた。風が冷たい。彼はジャケットの襟を立てた」
三人称視点で書きながら、彼の頭の中や、五感を書いてしまうことで、神視点になってしまい編集者に指摘されたりします。
現代では神視点小説はほとんどないと言われます。神からの視点では主人公に共感しづらくなるし、それは神というより作者の主張と思われてしまい物語を邪魔するからです。

さて、冒頭にあげた悪文に戻ります。
「彼女は手を繋ぎたいと思っている」
これが一人称であるのに、彼女の感情を書いているルール違反の文章です。
ただし、主人公が主観的に断定しているのであれば通用します。
「彼女も手を繋ぎたいはずだ。そうに決まっている」
というような、主人公のキャラクターが出る場合です。

「彼女が僕の手をつかんだ。」
これも「僕」が視点なのだから「僕は彼女に手を掴まれた」となるべきです。
これは彼女が主語になることが悪いわけではありません。
僕の視界に入っていることであれば「彼女が僕に手を振った」というように書くことは問題ありません。
隣を歩いている状態で、急に手を掴まれるのが見えるはずがないので、ここでは「掴まれた」とする方がふささわしいと思います。

その他、僕を視点にした場合は、感情・思考・五感を書かないと説明的になってしまうので、改善例ではそのあたりを足しました。

ご意見、ご質問などありましたら何でもコメント欄にどうぞ。

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