まったり散歩「神宮外苑いちょう祭りに行ってみた」(2018/12/2)

いつだったか表参道から宛てもなく歩いていたら、見事な銀杏並木にでくわしたことがあって、あとで「ああ、ここが有名な神宮外苑だったのか」と知った。それ以来、そのイメージが「理想の銀杏並木」になっていて、毎年のように、また行ってみたいと思いつつ行かないでいた。

植物の見頃は、人間の都合に合わせて「週末に」という訳にもいかないのでベストなタイミングで行くのはなかなか難しい。今日は少し遅かったかというかんじだった。散ってしまっている樹もけっこうあった。

みんな、思い思いのベストショットを撮ろうとしている。角度を変えたり、散ったイチョウをの葉を拾って撒き散らしている女の子もいた。ちょっとでもキレイな写真を仕上げて、想い出として美化するのだろうか。
僕はがっかりしていた。風景や道路脇のカフェにも見覚えがあって、場所はまちがいなく「理想の銀杏並木」と同じだったが、印象がずいぶんちがった。前はイベントの前か後だったのか、道路は通行止めにもなっていなかったし、写真を撮っている人すら見かけなかった。並木道の美しさに誰も気づいていないというほど日常に溶け込んでいて、穴場を発見したような喜びすらあった。

ありのままの状態をと思って、撮っていたら、ぽっかりと人のいない空間があった。誰も散ったイチョウは撮らないのである。ある先生の言葉を思い出した。

それは小説を教えるクラスで、生徒の書いてきた作品に先生が講評するというものだ。先生自身も作家である。50代の女性が書いた小説のなかに再会した女性を「若くて、きれいな」と描写している箇所があった。それを読んだ先生は「女性が若く見えることが魅力ですか? 本当にこの表現でいいんですか? 作家は言葉をきちんと選ばないといけない」と、そんなことを指摘していた。

きれいなものばかり追い求める人は、このイチョウの、寒さにじっと堪えて春を待つ裸木の逞しさには気づかないのだろう。葉が幹を守るために散り自ら養分となることを知っているのだろうか? 春になってようやく芽吹いたイチョウには目もくれず、満開の桜を見にいくのだろう。多くの人はそういう感性で生きている。だから作家も必要なのだと思う。

「いちょう祭り」のイベント会場にも入ってみた。普段は入れない聖徳記念絵画館の広場が解放されているのはちょっと嬉しい。たこ焼きや、神戸牛や飛騨牛やらのステーキ丼などおいしそうな屋台が並んでいたが、残念ながら家でお腹いっぱいに食べて出てきていた。寒かったので「熱杏仁豆腐」というのを注文する。温かいスープに冷たい杏仁が入っているそうで「まずはスープを一口どうぞ」と書かれていたが、なんということはない杏仁豆腐の味だけだったが、おいしかった。

16:30からライトアップがあるという。20分前だった。写真を撮るにはさらに少し待たなければいけないと思ったが、冬至前のこの時期ならすぐだろうと思って、近くをぶらついて戻ってこようと思う。信号を渡って裏道に入ってみると青山霊園にあたった。うってかわった静けさに心が落ちつく。回り道をすると、小さな野球場で少年たちが指導を受けていて、その弟や妹だろうか、近くで駆け回って遊んでいた。

ライトアップされたところで、どうということもなかったが、写真にだけ収めて家路についた。

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