書籍『加害者家族』『性犯罪者の頭の中』鈴木伸元(読書メモ)

※書籍の詳細はリンク先からご覧ください。

『加害者家族』鈴木伸元、2010年初判
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『性犯罪者の頭の中』鈴木伸元、
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感想:
NHKのディレクターさんの本らしく引用やデータが多く資料としては参考になる。加害者自身の声のような読み所は半分ぐらい。少し古い本。2冊から付箋をつけたところ2点のみ。

 日本という社会において加害者家族が置かれている立場を理解する上で、「世間」という概念が一つのキーワードになってくる。「世間」は社会学者の安部田謹也が導入した概念であり、現在では、佐藤直樹が分析を深めている。1年に1回「世間学会」という学会も開催されている。「世間」においては人権や権利はない。あるのは「贈与・互酬の関係」、つまり「お互い様」という関わりだけだ。贈られたら贈り返さなければならない。別の言い方をすれば、やったらやり返されるということになる。
 西欧的な意味での「個人」は、「世間」には存在していない。西欧的な社会の概念では、一人ひとりの確立した「個人」が集まって「市民社会」を創り上げているのに対して、日本は個々人があいまいな「世間」によって成り立っているというのが、その概念の簡単な説明になる。
 この「世間」の性質は、厳密さを要求される刑法の世界にも反映されていると佐藤はいう。
 明治時代に確立された日本の刑法の基盤にはドイツの刑法があった。佐藤は、ドイツにはなくて日本にはある「共謀共同正犯」という理論を譬えに「世間」を分析している。複数で罪を犯した場合に、実行行為をした人間だけでなく、共謀に加わっただけの人間も正犯として罰するという考え方である。
 ドイツの刑法には、こうした「共謀共同正犯」の概念はない。自分の意思で犯罪を行う犯罪者という存在が前提となっているから。一方日本では、複雑に絡み合った人間関係の中で、「そうなってしまった」という犯罪者が一定数存在したため、こうした理論を新たに導入しなければならなかった。つまり、犯罪においても「個人」がなく、周りの空気や世間に飲み込まれて犯罪へと突き進んでしまうのだ。
 事件が発生すると、加害者家族は、個人が存在しないこの「世間」に取り囲まれる。嫌がらせの手紙や電話、落書きは、ほとんどが匿名によるものだ。集団で同じ行動をすれば、匿名の個人は目には見えない存在として、集団の中に紛れ込める。結果的に常に安全地帯から意見表明をすることができる。そして「世間」による加害者家族への攻撃はエスカレートしていく。(『加害者家族p.157-159)

性犯罪は、事件の猟奇性に注目が集まりやすく、どうしても性的欲求・欲望のほうへと軸足が傾いてしまうものだ。
 だが、実際には性犯罪の多くは、「支配」「優越」「復讐」「依存」などの様々な欲求によって行われている。そして、犯行がうまくいくことで、そうした欲求は一時的に充足される。その充足感によって、性暴力は一般的に〝習慣化〟しやすいと藤岡教授は指摘する。(『性犯罪者の頭の中』p.51)

『性暴力の理解と治療教育』藤岡淳子

※本文中で紹介されていた『消えた天使』という映画は見た事がなかった。配信はなかったのでDVDを注文した。

イルカ 2023.4.25

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