映画『君たちはどう生きるか』(視聴メモ)

映画館にて上映中の作品ですがストーリーの核心について触れている箇所がございます。ご了承の上、お読み下さい。

感想

「好き」3 「作品」4 「脚本」3

 「宮﨑駿映画でどれが一番好きか?」という質問をしたとき『千と千尋の神隠し』以前の作品を挙げる人が多いのではないか? すなわち『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『紅の豚』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』。なかには『ルパン三世 カリオストロの城』をあげて映画好きアピールをする輩もいるかもしれないが(※これは宮﨑映画映画ではなくルパン映画、こ質問の回答にはふさわしくないとでしょと個人的には思う)。「千と千尋~」より後の作品とは『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』、そして『君たちはどう生きるか』。「ポニョ」あたりは小さい頃に映画館で見た個人的体験が重なったりすれば「一番好き」に挙げる人もいるかもしれないが、それ以前の宮﨑作品を鑑賞していた世代は物足りなさを感じつつも、子ども向けと受け止めることで評価を濁していたのではないか。今回の『君たちは~』を含め、どれも、つまらなくはないし、部分的には宮﨑監督らしい魅力もあるのだが「昔のが良かった」と感じる人は多いと思う。

 当サイトやライターズルームでは「好き」という主観的評価と「作品」や「脚本」という客観的評価を区別できるように推奨しているが、一般人はこういった区別は意識していない。それでも「好きな作品」という質問から、多くの人の「作品」としての評価を推測することもできると思う(ただし「脚本」については専門的な分析をしていない人は「作品」と混同しているので判定できないと思う)。ちなみに僕自身の回答は『もののけ姫』が一番好きだし、作品としての完成度も高いと思っている。とはいえ、ラピュタやトトロや紅の豚も普通に好きでもある。

 いずれの作品にせよ、もはや日本人は「宮﨑駿映画」というラベルなしに、これらの映画を見ることはできないし、それほど影響力が絶大な人だということも疑いようはない。「宮﨑駿映画」のラベルを剥がして、客観的にこの作品を評価しようとするなら、外国で誰が作ったかも知らない観客の気持ちになって見るということになるかもしれない。作品に、こういった客観性を担保することに意味があるかは疑問でもある。物語や芸術は科学とちがって厳密な意味での客観評価はできない。「宮﨑駿を知らない外国での評価」といっても、その国の文化によって受け止め方は変わって、厳密な客観性にはならない。かといって、好きな作家のものは手放しで褒める信者のような姿勢では「分析」や「評価」をすること自体の意味もなくなってしまう。だから、ヒット作や話題性がありすぎる作品は、過剰なラベルを剥がすように評価していくべきではないかと思う。「好き」すぎて評価できないなら、そう自認して評価する立場とから席を下りるべきだろう。同様にアンチの立場で貶すだけの評価も主観的過ぎる。

 「君たち~」のエンドロールが終わって、映画館内の照明が点いた直後、2つ隣の席のいた若いカップルが「どういうこと? 誰か解説できる人がいたらして欲しいんだけど」と言って笑っていた。スクリーンの入口を出たとき、廊下では中年の夫婦らしい男女は「名作だったね!」と声をあげていた。この違いは「宮﨑駿ラベル」の影響だと感じた。ラベルを剥がして「脚本」的な視点で捉えようとしたとき、以下を感じた。

・構成が悪い

・キャラクターアークも弱い

・世界観のビジュアルなオリジナリティはあるがテーマを背負った世界ではない

・いろんなアニメの影響が強く見えるがそれが良いのか悪いのか判断できない

 構成は何にせよPP1の遅さ。映画館なので時間の分析が出来ず、あくまで主観的な感覚ではあるが、PP1まで60分ぐらいかかってるのではないか。「PP1が遅いといけない」という脚本セオリーの悪い見本のようになってしまっていた。一般人の感覚で言い換えるなら「なかなか事件が起こらないな~」というかんじ。

 キャラクターアークの問題を考えるには、もともと宮﨑駿という人は脚本レベルで繊細な心の変化を描ける人ではなくて、アニメーションの描写力でのみ表現している人ということを踏まえる必要がある。これまでの作品では「子供のキャラクターを主人公に据えること」や「アクション性の高さ」でセットアップの弱さを紛れさせてきていたため、外的なwantのみでストーリーが成立していた。内面の深い動機は求められず、アバウトな「子供の成長物語」で受け止められてきていた。

 このことを理解したい人は「千と千尋~」を分析してみると、よくわかる。千尋は「転校」というセリフ一言に垣間見えるようなセットアップのみで、映画開始5分ではトンネルを抜けて非日常の世界へ入っていく。不思議な世界が描かれていき、観客は引きこまれていくが、千尋という主人公に共感している訳ではない。基本的には外的なアクションばかりで展開されていくので、千尋は「帰りたい」「戻りたい」といった個性のないwantだけで動かせる。もちろん、ハクが川の主だったと知ったやりとりで感動しないのはアクト1でのセットアップが足りないからでもある。「転校」と「川の主」はセットアップとペイオフの関係になっていないので機能していない。

 「君たちは~」の構成の悪さを想像するなら「千尋が湯屋で働き始めるまでに映画の半分ぐらいの時間がかかっている」とイメージするのも良いだろう。「異世界へ入る」をピンチ1やアクト2後半(ビートで言えばフォール)から始まるプロットとして、前半で別のプロットが働いていれば(別のPP1を置くという考えた方でもいい)、テンポの悪さを防ぐ構成方法もあるのだが、ただ遅れている印象だった。何分かに一回、アオサギの妖しげな言動で引っぱろうとしているがプロットは動きだしていない。

 PP1を遅らせた分、主人公・眞人に感情移入ができたか?と考えてみるのも良い。父や義理の母ナツコとのドラマだけでストーリーが動いていた? ただキャラクター紹介や、設定や状況を説明するだけに時間がかかっていた。唯一に近い大きいイベントは自分で頭に傷をつけることだが、その動機はどうだろう? 直接の原因は同級生とケンカしたこと、その前提としては母を失った寂しさや孤独感といったものがあるのは理解できるが、「理解できる」ということは感情移入ではない。キャラクターアークを描くとは理解させることではなく、感じさせること。説明に過ぎない。眞人の気持ちが「痛いほどわかる。幸せになってほしい」と思わせるのが感情移入である。アクト2に入って、危険を冒して異世界へ入り「義理の母ナツコを助けたい」という動機に、どれだけ共感できたかを考えても、失敗しているのがわかるだろう。作者自身も描き切れていないと感じるのか、説明ゼリフもやたらと多い。背景は美しいし、キャラクターたちの動きも魅力的だが、脚本としてはムダなシーンばかりである(歩くシーンがやたら多いが、これも全体のバランスから見てもテーマを背負った動きとは言い難い。背景を見せるための動きにしては長い)。

 アクト1のセットアップで失敗していればテーマなど描けるはずがないのは当然で、それはアクト2の世界そのものにも影響している。PP1が遅れてるせいでアクト2が駆け足になってしまっているとも言い換えられるう。ストーリーのタイプでいえば「死の国へいって大切な人をとりもどしてくる」タイプの話だが、このテーマをきちんと際立たせるために、「死の国へ入っててでも取り戻したという気持ち」のセットアップが大事だが失敗していることはすでに説明したが、それに加えて、「死の国」=非日常の世界の危険度が明確に描かれることで、その感情が際立っていく。しかし、眞人は都合良く助けてもらってばかりで、ほとんど犠牲を払っていない。「死の国」ではなく「不思議な国」で遊んでいるようにすら見える。それゆえ「門」とか「川か海かを渡る」とかの神話論的なモチーフも意味を成していないどころか、理屈っぽくみえる。設定でいえば「死の世界」「誕生の世界」「叔父がつくった理想の世界」(それも隕石の力?)と、世界の設定そのものもテーマに合致させられていない。

 シーンによっては他のアニメを思わせる箇所がいくつもある。宮﨑映画からの焼き直しのものらしい部分は評価がしづらい。自分の作品だから良い悪いでいえば、お好きにどうぞではあるが、テーマ的な意味を込めて使っているのかというと疑問で、新しいものを生み出せなかった結果、昔と似たものを使っているだけにすら見えてしまうところもある。他の監督のアニメに似ているシーンなどはマイナスに近いだろうか。テーマや世界観にマッチした上で、他と似ていることは気にする必要はないのだが、中心がブレたまま、そういう似たシーンを見ると真似しているように見えてしまうのは仕方がないこと。

 「宮﨑駿ラベル」は偉大すぎて、興収を含めた絶大な影響力を考えると「作品」の評価は5になりそうなものだが、作品自体の質としてはマイナスが多くて「4」とした。「脚本」はオリジナリティのある描写が一部あるとしても「3」といったところ。簡単に直せるところが、たくさんありすぎる。

 映像作家としての「宮﨑駿」という視点で捉えていくことも大事だと思う。「名作だ!」と言った中年男女は、この視点が強かったのだろう。長年、日本アニメのトップにいた映像作家が、晩年に至って向き合ったもの。その気配は『風立ちぬ』にも見えていたし、もしかしたら『ハウル~』の主人公を老婆に据えたあたりから、無意識的に何か感じ始めていたのかもしれない。外的なアクション中心でエンタメばかりを意識して描いてきた作家が、内的なテーマやメッセージに挑もうとしたとき、技術的な相性の悪さが露呈した。「ナウシカ」や「もののけ姫」が自然破壊などをテーマにしているなどと言われたところで、それは外野が言うだけで、構成上は外的なアクションエンタメだった。テーマを掘り下げるタイプのプロットにはなっていなかった。内的なメッセージをプロットに込めようとしたとき、うまく落とし込みきれず、結果、伝えたいことを露骨に語る説明ゼリフになってしまうような初心者じみた拙さを、晩年のトップクリエイターがみせていることに、何とも言えない人間くささを感じる。「君たち~」の主人公・眞人の選択は、映像作家・宮﨑駿の情熱そのものだと受け止めることはできる。物語として処理しきれていない荒削りな伝え方でも、伝えたいという思いは感じる。映像作品という媒体では予算ひとつとっても、個人的な作家性で作品を世に出すことは難しいが、そんな中でトップクリエイターが、こういう作品に挑んだということは素晴らしいとは思う。

緋片イルカ 2023.8.16

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