ほっこり朗読 江戸川乱歩『怪人二十面相』(13) 二十面相の逮捕/「わしがほんものじゃ」

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イルカとウマが雑談しながら朗読しています。この作品は僕たちも初見で読んでます。この先、どうなっていくのかなど推理したりツッコミを入れたりしながら楽しんでいますので、みなさんも一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。よかったらコメントなどで推理や感想きかせてください。

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青空文庫:江戸川乱歩『怪人二十面相』

二十面相の逮捕

「あ、明智さん、今、あなたをおたずねするところでした。あいつは、どこにいますか。」
 明智探偵は、鉄道ホテルから五十メートルも歩いたか歩かぬかに、とつぜん呼びとめられて、立ちどまらなければなりませんでした。
「ああ、今西いまにし君。」
 それは警視庁捜査課勤務の今西刑事でした。
「ごあいさつはあとにして、辻野と自称する男はどうしました。まさか逃がしておしまいになったのじゃありますまいね。」
「きみは、どうしてそれを知っているんです。」
「小林君がプラットホームでへんなことをしているのを見つけたのです。あの子どもは、じつに強情ごうじょうですねえ。いくらたずねてもなかなか言わないのです。しかし、手をかえ品をかえて、とうとう白状させてしまいましたよ。あなたが外務省の辻野という男といっしょに、鉄道ホテルへはいられたこと、その辻野がどうやら二十面相の変装らしいことなどをね。さっそく外務省へ電話をかけてみましたが、辻野さんはちゃんと省にいるんです。そいつはにせものにちがいありません。そこで、あなたに応援するために、かけつけてきたというわけですよ。」
「それはご苦労さま、だが、あの男はもう帰ってしまいましたよ。」
「エッ、帰ってしまった? それじゃ、そいつは二十面相ではなかったのですか?」
「二十面相でした。なかなかおもしろい男ですねえ。」
「明智さん、明智さん、あなた何をじょうだん言っているんです。二十面相とわかっていながら、警察へ知らせもしないで、逃がしてやったとおっしゃるのですか。」
 今西刑事はあまりのことに、明智探偵の正気をうたがいたくなるほどでした。
「ぼくに少し考えがあるのです。」
 明智は、すまして答えます。
「考えがあるといって、そういうことを、一個人のあなたが、かってにきめてくださってはこまりますね。いずれにしても賊とわかっていながら、逃がすという手はありません。ぼくは職務としてやつを追跡しないわけにはいきません。やつはどちらへ行きました。自動車でしょうね。」
 刑事は、民間探偵のひとりぎめの処置を、しきりと憤慨ふんがいしています。
「きみが追跡するというなら、それはご自由ですが、おそらくむだでしょうよ。」
「あなたのおさしずは受けません。ホテルへ行って自動車番号をしらべて、手配をします。」
「ああ、車の番号なら、ホテルへ行かなくても、ぼくが知ってますよ。一三八八七番です。」
「え、あなたは車の番号まで知っているんですか。そして、あとを追おうともなさらないのですか。」
 刑事はふたたびあっけにとられてしまいましたが、一刻をあらそうこのさい、無益な問答をつづけているわけにはいきません。番号を手帳に書きとめると、すぐ前にある交番へ、とぶように走っていきました。
 警察電話によって、このことが都内の各警察署へ、交番へと、またたく間につたえられました。
「一三八八七番をとらえよ。その車に二十面相が外務省の辻野氏に化けて乗っているのだ。」
 この命令が、東京全都のおまわりさんの心を、どれほどおどらせたことでしょう。われこそはその自動車をつかまえて、凶賊逮捕の名誉をになわんものと、交番という交番の警官が、目をさらのようにし、手ぐすね引いて待ちかまえたことは申すまでもありません。
 怪盗がホテルを出発してから、二十分もしたころ、幸運にも一三八八七番の自動車を発見したのは、新宿区しんじゅくく戸塚町とつかまちの交番に勤務している一警官でありました。
 それはまだ若くて、勇気に富んだおまわりさんでしたが、交番の前を、規定以上の速力で、矢のように走りぬけた一台の自動車を、ヒョイと見ると、その番号が一三八八七番だったのです。
 若いおまわりさんは、ハッとして、思わず武者ぶるいをしました。そして、そのあとから走ってくる空車くうしゃを、呼びとめるなり、とびのって、
「あの車だッ、あの車に有名な二十面相が乗っているんだ。走ってくれ。スピードはいくら出してもかまわん、エンジンが破裂するまで走ってくれッ。」
とさけぶのでした。
 しあわせと、その自動車の運転手がまた、心きいた若者でした。車は新しく、エンジンに申しぶんはありません。走る、走る、まるで鉄砲玉てっぽうだまみたいに走りだしたのです。
 悪魔のように疾走しっそうする二台の自動車は、道行く人の目を見はらせないではおきませんでした。
 見れば、うしろの車には、ひとりのおまわりさんが、および腰になって、一心不乱いっしんふらんに前方を見つめ、何か大声にわめいているではありませんか。
「捕とり物ものだ、捕り物だ!」
 弥次馬やじうまがさけびながら、車といっしょにかけだします。それにつれて犬がほえる。歩いていた群衆がみな立ちどまってしまうというさわぎです。
 しかし、自動車は、それらの光景をあとに見すてて、通り魔のように、ただ、先へ先へととんでいきます。
 いく台の自動車を追いぬいたことでしょう。いくたび自動車にぶつかりそうになって、あやうくよけたことでしょう。
 細い道ではスピードが出せないものですから、賊の車は大環状線だいかんじょうせんに出て、王子おうじの方角に向かって疾走しはじめました。賊はむろん追跡を気づいてます。しかし、どうすることもできないのです。白昼はくちゅうの都内では、車をとびおりて身をかくすなんて芸当は、できっこありません。
 池袋いけぶくろをすぎたころ、前の車からパーンというはげしい音響が聞こえました。アア、賊はとうとうがまんしきれなくなって、例のポケットのピストルを取りだしたのでしょうか。
 いや、いや、そうではなかったのです。西洋のギャング映画ではありません。にぎやかな町のなかで、ピストルなどうってみたところで、今さらのがれられるものではないのです。
 ピストルではなくて、車輪のパンクした音でした。賊の運がつきたのです。
 それでも、しばらくのあいだは、むりに車を走らせていましたが、いつしか速度がにぶり、ついにおまわりさんの自動車に追いぬかれてしまいました。逃げる行く手にあたって、自動車を横にされては、もうどうすることもできません。
 車は二台ともとまりました。たちまちそのまわりに黒山の人だかり。やがて付近のおまわりさんもかけつけてきます。
 ああ、読者諸君、辻野氏は、とうとうつかまってしまいました。
「二十面相だ、二十面相だ!」
 だれいうとなく、群衆のあいだにそんな声がおこりました。
 賊は、付近からかけつけた、ふたりのおまわりさんと、戸塚の交番の若いおまわりさんと、三人にまわりをとりまかれ、しかりつけられて、もう抵抗する力もなくうなだれています。
「二十面相がつかまった!」
「なんて、ふてぶてしいつらをしているんだろう。」
「でも、あのおまわりさん、えらいわねえ。」
「おまわりさん、ばんざーい。」
 群衆の中にまきおこる歓声の中を、警官と賊とは、追跡してきた車に同乗して、警視庁へと急ぎます。管轄かんかつの警察署に留置するには、あまりに大物おおものだからです。
 警視庁に到着して、ことのしだいが判明しますと、庁内にはドッと歓声がわきあがりました。手をやいていた希代きだいの凶賊が、なんと思いがけなくつかまったことでしょう。これというのも、今西刑事の機敏な処置と、戸塚署の若い警官の奮戦のおかげだというので、ふたりは胴あげされんばかりの人気です。
 この報告を聞いて、だれよりも喜んだのは、中村捜査係長でした。係長は羽柴家の事件のさい、賊のためにまんまと出しぬかれたうらみを、わすれることができなかったからです。
 さっそく調べ室で、げんじゅうな取りしらべがはじめられました。相手は、変装の名人のことですから、だれも顔を見知ったものがありません。何よりも先に、人ちがいでないかどうかをたしかめるために、証人を呼びださなければなりませんでした。
 明智小五郎の自宅に電話がかけられました。しかし、ちょうどそのとき、名探偵は外務省に出むいて、るす中でしたので、かわりに小林少年が出頭することになりました。
 やがてほどもなく、いかめしい調べ室に、りんごのようなほおの、かわいらしい小林少年があらわれました。そして、賊の姿を一目見るやいなや、これこそ、外務省の辻野氏と偽名ぎめいした、あの人物にちがいないと証言しました。

「わしがほんものじゃ」

「この人でした。この人にちがいありません。」
 小林君は、キッパリと答えました。
「ハハハ……、どうだね、きみ、子どもの眼力がんりきにかかっちゃかなわんだろう。きみが、なんといいのがれようとしたって、もうだめだ。きみは二十面相にちがいないのだ。」
 中村係長は、うらみかさなる怪盗を、とうとうとらえたかと思うと、うれしくてしかたがありませんでした。勝ちほこったように、こういって、真正面から賊をにらみつけました。
「ところが、ちがうんですよ。こいつあ、こまったことになったな。わしは、あいつが有名な二十面相だなんて、少しも知らなかったのですよ。」
 紳士に化けた賊は、あくまでそらとぼけるつもりらしく、へんなことをいいだすのです。
「なんだって? きみのいうことは、ちっともわけがわからないじゃないか。」
「わしもわけがわからんのです。すると、あいつがわしに化けてわしを替え玉に使ったんだな。」
「おいおい、いいかげんにしたまえ。いくらそらとぼけたって、もうその手には乗らんよ。」
「いやいや、そうじゃないんです。まあ、落ちついて、わしの説明を聞いてください。わしは、こういうものです。けっして、二十面相なんかじゃありません。」
 紳士はそういいながら、今さら思いだしたように、ポケットから名刺入れを出して、一枚の名刺をさしだしました。それには『松下庄兵衛まつしたしょうべえ』とあって、杉並区すぎなみくのあるアパートの住所も、印刷してあるのです。
「わしは、このとおり松下というもので、少し商売に失敗しまして、今はまあ失業者という身のうえ、アパート住まいのひとり者ですがね。きのうのことでした。日比谷ひびや公園をブラブラしていて、ひとりの会社員ふうの男と知りあいになったのです。その男が、みょうな金もうけがあるといって、教えてくれたのですよ。
 つまり、きょう一日、自動車に乗って、その男のいうままに、東京中を乗りまわしてくれれば、自動車代はただのうえに、五千円の手あてを出すというのです。うまい話じゃありませんか。わしはこんな身なりはしていますけれど、失業者なんですからね、五千円の手あてがほしかったですよ。
 その男は、これには少し事情があるのだといって、何かクドクドと話しかけましたが、わしはそれをおしとどめて、事情なんか聞かなくてもいいからといって、さっそく承知してしまったのです。
 そこで、きょうは朝から自動車でほうぼう乗りまわしましてな。おひるは鉄道ホテルで食事をしろという、ありがたいいいつけなんです。たらふくごちそうになって、ここでしばらく待っていてくれというものだから、ホテルの前に自動車をとめて、その中にこしかけて待っていたのですが、三十分もしたかとおもうころ、ひとりの男が鉄道ホテルから出てきて、わしの車をあけて、中へはいってくるのです。わしは、その男を一目見て、びっくりしました。気がちがったのじゃないかと思ったくらいです。なぜといって、そのわしの車へはいってきた男は、顔から、背広から、がいとうからステッキまで、このわしと一分ぶ一厘りんもちがわないほど、そっくりそのままだったからです。まるでわしが鏡にうつっているような、へんてこな気持でした。
 あっけにとられて見ていますとね、ますますみょうじゃありませんか。その男は、わしの車へはいってきたかと思うと、こんどは反対がわのドアをあけて、外へ出ていってしまったのです。
 つまり、そのわしとそっくりの紳士は、自動車の客席を、通りすぎただけなんです。そのとき、その男は、わしの前を通りすぎながら、みょうなことをいいました。
『さあ、すぐに出発してください。どこでもかまいません。全速力で走るのですよ。』
 こんなことをいいのこして、そのまま、ごぞんじでしょう、あの鉄道ホテルの前にある、地下室の理髪店の入り口へ、スッと姿をかくしてしまいました。わしの自動車は、ちょうどその地下室の入り口の前にとまっていたのですよ。
 なんだかへんだなとは思いましたが、とにかく先方のいうままになるという約束ですから、わしはすぐ運転手に、フル・スピードで走るようにいいつけました。
 それから、どこをどう走ったか、よくもおぼえませんが、早稲田わせだ大学のうしろのへんで、あとから追っかけてくる自動車があることに気づきました。なにがなんだかわからないけれど、わしは、みょうにおそろしくなりましてな。運転手に走れ走れとどなったのですよ。
 それからあとは、ご承知のとおりです。お話をうかがってみると、わしはたった五千円の礼金に目がくれて、まんまと二十面相のやつの替え玉に使われたというわけですね。
 いやいや、替え玉じゃない。わしのほうがほんもので、あいつこそわしの替え玉です。まるで、写真にでもうつしたように、わしの顔や服装を、そっくりまねやがったんです。
 それがしょうこに、ほら、ごらんなさい。このとおりじゃ。わしは正真正銘しょうしんしょうめいの松下庄兵衛です。わしがほんもので、あいつのほうがにせ者です。おわかりになりましたかな。」
 松下氏はそういって、ニューッと顔を前につきだし、自分の頭の毛を、力まかせに引っぱってみせたり、ほおをつねってみせたりするのでした。
 ああ、なんということでしょう。中村係長は、またしても、賊のためにまんまといっぱいかつがれたのです。警視庁をあげての、凶賊逮捕の喜びも、ぬか喜びに終わってしまいました。
 のちに、松下氏のアパートの主人を呼びだして、しらべてみますと、松下氏は少しもあやしい人物でないことがたしかめられたのです。
 それにしても、二十面相の用心ぶかさはどうでしょう。東京駅で明智探偵をおそうためには、これだけの用意がしてあったのです。部下を空港ホテルのボーイに住みこませ、エレベーター係を味方にしていたうえに、この松下という替え玉紳士までやといいれて、逃走の準備をととのえていたのです。
 替え玉といっても、二十面相にかぎっては、自分によく似た人をさがしまわる必要は、少しもないのでした。なにしろ、おそろしい変装の名人のことです。手あたりしだいにやといいれた人物に、こちらで化ばけてしまうのですから、わけはありません。相手はだれでもかまわない。口車くちぐるまに乗りそうなお人よしをさがしさえすればよかったのです。
 そういえば、この松下という失業紳士は、いかにものんき者の好人物にちがいありませんでした。

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