マウスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の職場を除かなければならぬと決意した。マウスには仕事がわからぬ。マウスは、職場PCの外部接続品である。画面上で暴走し、右上の×でうっかり全画面を閉じて来た。けれども過労に対しては、人一倍に敏感であった。
先日マウスは出社を命じられ、野を越え山越え、十里はなれたオフィスにやって来た。マウスには業務も、マウスパッドも無い。アラサーの、暇な持ち主と二人暮しだ。この持ち主は、職場PCの入替で、新しいPCを迎える事になっていた。職場からの命令なのである。マウスは、それゆえ、はるばるオフィスにやって来たのだ。先ず、大まかなセットアップを終え、それから再起動を数回繰り返した。作業しているうちにマウスは、PCの様子を怪しく思った。見知らぬアプリがインストールされている。
もう既にPC交換も終えて、様子の変わっているのは当りまえだが、けれども、なんだか、そのアプリが、やけに怪しい。のんきなマウスも、だんだん不安になって来た。
デスクトップで逢ったデフォルトブラウザをつかまえて、何のアプリなのか、以前はなかった筈だが、と質問した。Google Chromeは、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「それは、監視用アプリです。」
「なぜ監視するのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの人を監視しているのか。」
「はい、はじめは課長の妹婿さまを。それから、課長のお世嗣を。それから、課長さまを。それから、課長さまの御子さまを。それから、課長さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「おどろいた。職場は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、部下の心をも、お疑いになり、少しく地味な仕事をしている者には、成果報告ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
聞いて、マウスは激怒した。「呆れた職場だ。生かして置けぬ。」
マウスは、単純な接続品であった。持ち主の手を、背負ったままで、のそのそメルカリにはいって行った。たちまち彼は、マウスムーバーを購入した。品物が届いて、問題なかったので、受取評価されてしまった。「この度は迅速なご発送、誠にありがとうございました!至急必要でしたので本当に助かりました!」マウスは、マウスムーバーの上に引き出された。
「このアプリで何をするつもりであったか。走れ!」
怠惰な持ち主は静かに、けれども威厳を以って命じた。その主の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「主を暴君の手から救うのだ。」とマウスは悪びれずに走った。
「おまえがか?」主は、憫笑した。
「仕方の無いやつじゃ。職場には、わしの多忙さがわからぬ。」
「それな!」とマウスは、いきり立って賛同した。
「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。職場は、部下の忠誠をさえ疑って居られる。」
完
2026.7.11 しののめののの
