映画『ヒトラーのための虐殺会議』(三幕構成分析#265)

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※あらすじはリンク先でご覧下さい。

※分析の都合上、結末までの内容を含みますのでご注意ください。

【ログライン】

ナチスドイツ高官のハイドリヒは、ユダヤ人問題を話し合う為ヴァンゼー湖にやって来て、高官たちの様々な主張を捌きつつ会議を順調に進行するが、一部の参加者が意義を唱え始め、個人的な話し合いで何とか合意。ガス室利用による虐殺を提示し、全員からの同意を得る。

【フック/テーマ】ユダヤ人虐殺のための会議/異常な状況においては誰もが間違った方向に流され得るという危険性

【ビートシート】

Image1「オープニングイメージ」:「ナチスのラジオ放送が流れる中、会議の準備をしているアイヒマン」

GenreSet「ジャンルのセットアップ」:「冒頭テロップ」、「オープニングイメージと同じ」「本作は、歴史的なヴァンゼー会議の議事録に基づき制作された」というテロップ。ナチスのラジオ放送音声と、会議の準備をしている男(アイヒマン)の様子から、ナチスドイツを題材としたドキュメンタリー寄りの作品であることが読み取れる。

Premise/CQ「プレミス」/「セントラル・クエスチョン」:「ナチスドイツ高官・ハイドリヒは、立場の異なるナチス高官たちの主張を上手く捌き、思惑通りに会議を進めることができるか」

want「主人公のセットアップ」:「国家保安部長官ラインハルト・ハイドリヒ」

Catalyst「カタリスト」:「会議の場であるヴァンゼーの別荘に到着」

Debate「ディベート」:「会議前の事前準備」アイヒマンに資料の確認、ルター外務省次官補を呼び事前すり合わせ、ランゲから報告を聞く、ランゲを鼓舞する。

Death「デス」:なし。

PP1「プロットポイント1(PP1)」:「ヴァンゼー会議を始める」

Battle「バトル」:「ユダヤ人問題の最終解決が主題であると明言」、「ゲシュタポに対する役人たちからの批判を宥める」、「最終解決の決定権は自分にある、国家保安部だけが問題を解決できると主張し主導権を握る」、「ユダヤ人の強制送還などについて説明」、「ビューラーからの訴えをいなす」
いずれも会議における言動だが、議題を提示し、様々な訴えや意見を上手く捌き、具体的な説明で参加者たちを納得させ、徐々に会議の主導権を握っていく様子が描かれている。

MP「ミッドポイント」:「アイヒマンに宣伝用ゲットーの説明をさせ、賛同を得る」バトル序盤では参加者たちから意見や不満を引き出すが、それらに対して上手く会議を回し、バトル後半ではうまく合意形成を行ない、良策を提示することで賛同を得る。

Reward「リワード」「良い雰囲気の中、昼食タイムを取る」、「雑談の中で好意的に言及される」: 一部の出席者たちが、軽食を摂りつつ「孫に自慢できる歴史的体験をしている」と雑談。

Fall start「フォール」:「一部の参加者から陰で皮肉られる」、「シュトゥッカート次官と対立」バトルの時点で不満を示していたシュトゥッカート次官が、休憩中にビューラー次官の不安を煽って焚きつけており、ハイドリヒもシュトゥッカート次官を警戒。会議再開後、シュトゥッカート次官は法律家の立場から議論の方向に意を唱え、反論する。

PP2(AisL)「プロットポイント2」:「会議を中断し、シュトゥッカート次官を呼び出す」混血児や混血婚の扱いを巡って、シュトゥッカート次官がハイドリヒたちの方針に反対し、代案として断種を提案する。その代案に対し、参加者たちも同意寄りのムードに。ハイドリヒの思惑とは異なる方向へ議論が傾きかけたため、会議を中断してしまう。

DN「ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル」:「シュトゥッカート次官と強制断種について議論」シュトゥッカート次官と別室で個別に話し合う。強気な姿勢で非難するが、シュトゥッカートからも冷静に反論される。次官の意見も尊重すると態度を軟化させ、なんとか議論を着地させる。そこから雑談に移行し、ある程度和やかなムードで話し合いを終える。

BB(TP2)「ビッグバトル(スタート)」:「非公式として、立ったまま会議を再開」 「最終解決のための現実的な達成方法」が議題となる。

Twist「ツイスト」:「クリツィンガー局長に倫理を問われる」牧師の子であるクリツィンガーが、ユダヤ人虐殺に従事する兵士の精神的負担を心配する。

Big Finish「ビッグフィニッシュ」:「ガス室利用による最終解決について、参加者全員から同意を得て会議を終える」「倫理面」で懸念を示していたクリツィンガーからも同意を得、一同を鼓舞して会議を終了させる。

Epilog「エピローグ」:「概ね満足そうに互いを労いつつ解散する一同」、「ミュラー、アイヒマンと共に会議の成功を喜ぶハイドリヒ」
和やかに雑談しつつ、「参加して良かった」などと言いながら去っていく参加者たち。
ハイドリヒ自身も、「最終解決」を国家保安部主導とすることに成功し、具体的な方法についても賛同を得たことで、成功だ、目的は達した、と満足そうに語る。

Image2「ファイナルイメージ」:「ハイドリヒが車で去った後のヴァンゼー別荘」静かな別荘の外観が移され、その後テロップのみで「国民社会主義者(ナチス)の支配下で ユダヤ人600万人が殺害された」と表示される。

【作品コンセプトや魅力】

歴史資料としての議事録を元に制作されたノンフィクション映画であり、エンタメ作品というより記録映画的な側面の強い作品として、意義深さを感じる。勿論完全再現とはいかず創作されている部分もあるだろうが、過度な演出や演技、またBGMを一切排し、リアリティを追求しようとしている。淡々とした作風故に視聴者の集中力が試されかねないが、その淡泊さこそが議論内容とのギャップとなり、その場で起こっていること、歴史的事実として起きてしまったことの恐ろしさを浮き彫りにしている。社会全体が誤った方向に進む時、きっとこうした会議の存在があるはずで、それは我々と隔絶された到底理解できないような人間たちによって推し進められる訳ではなく、誰でも加担し得るような流れや空気感の中で進行していくことを示唆する作品といえる。

【問題点と改善案】(ツイストアイデア)

実在する議事録を元に制作しているため、構成や展開を工夫することにも限界はあるだろうが、淡々としたノンフィクションなりにも構成上のセオリーに則っている部分があるのか等、確認したく分析対象とした。元となる議事録の内容までは把握していないため、評価が難しい側面もあるが、ひとまず頭から構成を確認していく。

元はドイツ本国でTV放送された、ノンフィクション長編ドラマである。実在の人物や出来事に関する知識が視聴者の中である程度は共有されている前提なので、人物や状況のセットアップは最低限となっている。主人公・ハイドリヒの中での迷いや葛藤などもほとんどなく、20%辺りとやや早めにPP1(会議の開始)を迎える。

冒頭から15人もの参加者が次々と登場するため、あまり知識のない視聴者は混乱しやすいだろう(初見時の筆者も然り)。ただしそうした状態でも、見進めていけばどのような話し合いが行われているか、またその恐ろしさはおおよそ理解できるようになっている。敢えてそうしなかったのだろうとは思うが、強いて言えば各人物の初登場シーンか会議開始直後には、せめて役職と名前だけでもテロップで出すなどの優しさがあっても良かったかもしれない。

優秀な役人や高官たちによる、至って冷静で理知的な会議が淡々と進むだけの内容であるため、物語としての起伏は非常に弱い。それでも構成的には思いのほか基本に忠実であった。バトル後半では主人公が主導権を握り、ちょうど50%辺りで良い雰囲気の中、MPらしきもの(昼食休憩)を迎える。再開後はシュトゥッカート次官との対立が深まり、75%付近でPP2(会議中断)に追い込まれる。そしてBBではハイドリヒにとって一番の目的であった、ガス室利用による「最終解決」に関して、一同から合意を得ることが命題となる。

よりエンタメ性を重視し起伏のある作品にするのであれば、バトル後半の順調な雰囲気をもっと露骨にし、MPをよりMPらしく盛り上げたり、フォールやBBでは激しく言い争わせる等、より明確に対立させて険悪な空気感を演出することはできたはずだ。その方がメリハリがついて視聴者の気を引くことができただろうし、分かりやすさも増す。しかし今作では、敢えてそれをしなかったのだと思われる。そうした分かりやすい作品作りをしてしまっては、制作陣が伝えたかった「ヴァンゼー会議の恐ろしさ」はむしろ霞んでしまうということなのだろう。下手をすれば見ていて眠たくなってしまうほどの、ありふれた会議らしい空気感こそが視聴体験をより生々しいものにし、状況の恐ろしさを際立たせると考えたのではないか。そもそも、感情に訴えかけるナチス映画は既に数多く存在する。そういう意味では、問題点や改善案を模索しづらいようにも感じる。

ただ強いて言えば、フォールとBBではより示唆的な話の運び方ができたのかもしれない。

フォール部分では主人公に立ちはだかる存在として、シュトゥッカート内務省次官が議論を難航させる。彼はユダヤ人とドイツ人の線引きの基準を問題視し、既存法律の定める内容から解釈変更することに異を唱える。シュトゥッカート次官の指摘はクリティカルで、彼の出す具体例をもとに突き詰めていくと「特定人種の殲滅」などという大前提そのものに無理があるという真理が浮かび上がりそうになる。議論の破綻が見えかけるのだ。倫理的・人道的に論外であることは勿論だが、合理性の面ですら滅茶苦茶な政策であることが露呈しそうになっている……と筆者は感じた。しかしながら参加者は誰もそのことに気づこうとしない。シュトゥッカート自身もユダヤ人虐殺そのものには何の疑いもなく、単に法律家として、自身が制定に携わった法律をないがしろにされることを懸念しているに過ぎない。

この、シュトゥッカート次官による具体的な指摘の先に見えてくる破綻の気配を、もう少し明確に際立たせても良かったのではないか。その意味で、「4分の1は疎開を免れ、2分の1の親戚は東に送ると? 4分の1ユダヤ人の兵士にどう説明を? 2分の1の親戚は貨車に乗り込むんです」は非常にキレのある発言だった。

挙句の果てには断種を提案するシュトゥッカートだが、彼自身は数週間後に子どもの誕生を控えているという始末。断種について衝突した直後のハイドリヒから、出産について言及され和やかに会話を終えるという皮肉な流れになっている点も上手い。

どちらかというとシュトゥッカート次官との対立が印象的である分、BBではフォールほどの「戦い」っぽさが感じられない。ハイドリヒにとっての大勝負はガス室利用政策に関する部分なので、題材としては確かにBBなのかもしれない。また、シュトゥッカートはあくまで法解釈の面から意見してきたのに対し、BBではクリツィンガー局長から「倫理」という言葉が飛び出す。最終盤にして、最もセンシティブな人道的観点が争点として浮かび上がるのだ。これにはBBっぽさを感じる。しかし、クリツィンガーが懸念した「倫理」というのは、あくまで虐殺を行なう側のことだけを心配したものだった。断種を提案したシュトゥッカートに続き、残酷な裏切りの展開だが、「BBっぽさ」を強めるという意味では、クリツィンガーの本意を明かすのにもう少し時間をかけ、倫理面に関する議論をさせても良かったかもしれない。ただしこの案もリアリティとの両立が難しく、現状の形が精一杯だったようにも感じる。

その他、気になることとしては、親衛隊中佐・ランゲの存在が思ったほど活かされていなかった点である。急遽代理で会議に参加することとなったランゲを、セットアップでハイドリヒが励ましているため、ランゲの言動がもう少しハイドリヒに対する加勢になったり、議論に影響を及ぼすなどの気配も感じていた。史実を大幅に捏造することはできないであろうから、本物のランゲがそこまで発言しなかったのであれば仕方なく、実際のところ大した発言はできない立場だったろうと推測するが、それにしてはセットアップが意味深すぎたかもしれない。不慣れな部下を励ますハイドリヒの、組織人としての真っ当さや人柄の良さを描写したかっただけかもしれないが、若干気になってしまった。

【感想】

初見時はナチスドイツに対する知識もあまりなく、最低限、義務教育レベルの状態で視聴したが、それでも作品としての重要性を強く感じた。

参加者は全員非常に優秀な組織人で、それぞれの思惑や意見の相違、ポジショントークによる衝突などはあれど、極めて理性的に話し合いを進めていく。誰も激昂せず、派手な言い争いもなく、故に分かりやすい盛り上がりや見せ場もない。しかしいかにも血の気の多い参加者や、けんか腰の人間を参加者の中に混ぜてしまうと、本作が伝えたいこととはむしろ反してしまう。

「優秀な人々が残酷な内容の会議を淡々と進める恐怖」、「誰も大前提を疑うことができないという過ち、その恐ろしさ」は、今作を見た者なら誰しも抱く感想であろう。その意味では、作品のねらいは分かりやすく、伝えたいことが確実に伝わる内容になっている。

しかし「ではどうすれば良かったか、解決策が提示されていない」という意見も一部で見受けられる。個人的には、この状況にまで事態が進んでしまうと、ここから「どうにかする」ことはできない、ここから解決策を見出すことは非常に難しいように思う。このような会議が開かれてしまっている時点で「詰み」であり、取り返しのつかない所まで来ているのである。自身がこの会議に出席していたとして、大前提を覆すような根本的な異議や問いかけをできる自信は全くない。今作を見て我々の振る舞いに反映できることがあるとすれば、日常生活の様々な瞬間、例えば知人との小さな雑談など、「ヴァンゼー会議」より遥か気軽に意義を唱えられる規模感の段階において、大前提を疑い続けることしかないようにも思う。

一方で、仮に「シュトゥッカート次官やクリツィンガー次官には、ユダヤ人虐殺への躊躇いがあった」という体で本作に向き合った場合はどうであろうか。本作における二人(と恐らく史実上の二人も)はそうではないが、仮にそういう本心があった場合、フォールやBBでの二人の指摘や反論は、多少なりとも状況をマシにした可能性がある。シュトゥッカートは断種というおぞましい代案を提示してしまったが、彼の指摘と理論自体は、ともすれば「内政混乱を避けるため」、「あくまでヒトラーのため」という大義を掲げつつ、虐殺の対象を少しでも狭めたり、歩みを遅らせたりする一助になったかもしれない。クリツィンガーにしても同様である。兵士の精神的負担を懸念する意見は、むしろガス室利用という、迅速かつ効率的な大量虐殺方法への肯定に繋がってしまったし、クリツィンガー自身もそれに賛同したが、やりようによってはやはり、ささやかな抵抗にもなり得た。そう考えると、取返しのつかない局面まで来てしまったとしても、その場に立ち会った人間にできることはまだある、という可能性すら示唆している作品なのかもしれない。ただただリアルな恐ろしい視聴体験をさせるに留まらず、状況を変え得た「提案」の部分を、もう少し分かりやすく示すこともできた可能性はある。

「好き」4「作品」4「脚本」4

(しののめ、2026.1.29)

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