考えすぎてしまう人へ(文章#46)
ビートに限らず、物語論を学び始めると考え過ぎて思うように書けなくなってしまう人がいるようです。
ビートに限らず、物語論を学び始めると考え過ぎて思うように書けなくなってしまう人がいるようです。
作者と読者は「作品」を通して対話します。この距離感でもある、「作品」に対する読者の態度について考えます。
上級編は非公開です。
セントラル・クエスチョンという言葉は『ハリウッド・リライティング・バイブル』</a>に出てくる用語。関連箇所を引用しておく。
「戦争は終わらせるより始めるほうが簡単です。自分の内面を見つめるより他人のせいにする方が簡単です。人との共通点を探すより、違いを見つけるほうが簡単です。しかし私たちは、単に簡単な道を選ぶのではなく、正しい道を選ぶべきです。」
今考えている「文学とは何か?」を書いてみよう。
「よい判断というものはバランスと前進を求めるものです。よい判断がなされなければ、いずれバランスが崩れ挫折します。」
作家としては向き合わなくてはいけない問題にも感じるので、現時点での考えをまとめてみる。
今後「物語分析会」における「分析」の客観性を高めるため、時間の使い方を分割していきます。
「分析とは何か?」ということを明確にしておきたいと思います。そのために、わかりやすいのは「感想」「批評」という言葉との違いを考えることではないかと思います。