準備室ではピリピリした空気が漂っていた。コンサートへの緊張感に混じり、レイコとクルス君を結ぶ線がピンと張り詰めているように、わたしには感じられた。
理由は分かってる。今朝、クルス君からの電話があった。
「明日、レイコと別れる。」
「…どうして?」
「どうしてって、言わなくても分かってるでしょ?」
「…。」
「サキちゃんのこと、好きだから。」
「…コンサートの後にしなよ?」
「いや、レイコ、何か知らないけど、終わったらすぐに帰るって言ってたから、先に言っちゃおうと思う…。」
「動揺するよ…。」
「俺だってこんな気持ちで、歌えないよ…。」
「…わがままだね…?」
クルス君がもう言ったのかどうかはわからないけど、いずれにせよ、わたしは準備室の空気が吸いずらくて、トイレに立った。
わたしは黒いマフラーで口を覆ったニナちゃんを見つけた。
「ニナちゃん?」
ニナちゃんは、わたしを見てすぐに目を伏せて、頭をしょんと下げた。
「来てくれたんだ?」
ニナちゃん、こくり。
「席、自由だから。行こ? 後ろのドアに近い席あるから。」
わたしはゆっくり歩いて、ニナちゃんを会場に案内した。
「この席で大丈夫?」
「…うん。」
「じゃあ、わたし行くね。」
「あの…。」
「なに?」
ニナちゃんは、一生懸命言葉を話そうとしていたが、時計の針がわたしを呼んでいた。
「ごめん、行かないと、またね?」
ニナちゃんはこくりと頷いた。
視力のいいわたしは、舞台の上からでもよく見えた。黒いマフラーを巻いたままのニナちゃん。わたしは、ニナちゃんが帰ってしまってないか心配だったが、それがいらない心配だったと思った。
がんばらないといけないのは、わたしの方だ。
レイコとクルス君は出る直前までもやもやした空気を出し続けていたが、会場の空気はそれを飲み込んで、一つの世界をつくった。
指揮者がそっと礼をして、振り返り、指揮棒を挙げた。
× × ×
「サキ、ちょっといい?」
コンサートの後、レイコがわたしを呼んだ。
「なに?」
「あたし、これから行くところあるんだ。」
「うん。いいよ、片付けやっとくから。」
「違うの…。あたし…モデルのオーディション受けに行くんだ。」
「へえ。すごい、がんばって。」
「あたし…小学校の時から憧れで、あたしなんかって思うんだけど、諦められなくて、どうせダメだろうけど、落ちれば諦めつくかなって思って…。」
わたしはレイコの手を持った。
「そんなの後で考えればいいよ。行きなよ!がんばって!」
「うん。」
レイコは走っていった。
わたしはレイコがオーディションの話をしてくれた意味がわかった。レイコも、ニナちゃんも、そう。今度はわたしの番なんだ。
「クルスくん、ちょっと話いい?。」
「いいよ。」
わたしとクルス君は、二人外に出た。クリスマスツリーが飾られていて、白熱の光が飾りつけられていた。
「俺、ちゃんと言ったよ、レイコに。サキちゃんのことが好きなことも。」
「イルミネーションだね。」
「ああ、これ? キレイだね…。」
わたしは、言った。
「わたし、クルス君のことずっと好きだった。」
「俺も好きだよ。」
「うんん。好きだった、の。何だかよくわかんないけど、付き合ったりはできない気がする。」
「なんで?」
「わかんないんだってば。何でかは。」
一つだけはっきりわかること。
それは、わたしの見たかったイルミネーションはこの色じゃないということ。
駅まで行くと、ニナちゃんが待っていた。
「どうしたの? レイコ待ってんの?」
「違う、サキちゃん待ってたの。」
「え? わたし?」
「ありがとう…さっき言いそびれたから…。」
「え? ああ…、ありがとう。来てくれて。」
サキちゃんの家はわたしの帰り道だったので、わたしはサキちゃんを送ることにした。
「悪いよ?」
とサキちゃんは言った。
「どうせ、通り道だから。」
「私、大丈夫だから。一人で帰れるから。」
「うん。でも、一緒に帰りたい気分なんだ。」
「そう、じゃあ、行こう。」
わたしの携帯が鳴った。
『もしもし、サキ?』
「終わった? オーディション。」
『うん。何か…すっきりした…。ねえ、サキ今どこ?』
「今、ニナちゃんちに向かって歩いてるところ。」
『え、ずるい。あたしも行く!』
わたしとニナちゃんは、駅まで戻ってレイコを待った。
3人で歩く冬の夜。
「今日、クリスマスなんだよね。」
レイコが言った。
「そうだよ。」
わたしは言って、シマッタと思った。
「サキ、クルス君と付き合うの?」
「え? 何で?」
「何でじゃないよ。知ってるんだから。」
「付き合わないよ。」
「まさか、あたしに遠慮してんの?」
「うんん。好きだったけど…。何か違うかなと思って。」
「そうなんだ…でも、ちょっとわかるかも。」
レイコとわたしはカラカラと笑った。
「着いたよ。」
ニナちゃんが言った。
「すごい!」
「何これ、キレイ!」
わたしとレイコは声を上げた。
ニナちゃんの家は赤と緑の光に囲まれて、夢の城のようだった。
「ああ、パパが趣味でやってるの。」
「趣味ってレベルじゃないでしょ? これ。いいな~」
レイコが言った。
「これ…昨日、夢で見た。」
わたしが、見たくて夢にまで出てきたイルミネーションはこれだったんだと思い、クルス君と付き合えない理由も納得した。
(了)