「悦子と晴郎」

 ゲラを校正していたので悦子は、その言葉を理解するのに少し時間がかかった。
「え、何ですか?」
「合コンって言ったの。行かない?」
 悦子はきりにいいところまで目を通して赤ペンを置いた。事務椅子をくるりと回して中島祐介を見上げた。中島祐介は片手の缶コーヒーを一口飲んでから、悦子の机に寄りかかった。
「また、人数合わせですか? もう行きません」
「まあまあ。悦子ちゃんも、そろそろ彼氏作った方がいいんじゃないとも思ってさ」
「余計なお世話です」
 有事社は小さな出版社で社員も三人ほど――悦子と中島祐介と社長の由井がいるだけだ。三人ともそれぞれに年が離れていて、それぞれの持ち場がある。
「誰か目当ての人でもいるの?」
「いませんけど」
「男なんていらない?」
「いらなくはないですけど」
「そうやって、尻込みしてるから出来ないんだよ。一生一人ここで更年期障害なおばさんになっちゃうよ」
「ひどいですね。そんなん嫌だな」
「でしょ? それにね。本当のことを言うと今回は悦子ちゃんに会わせたい人がいるんだ。今回は合コンって言っても二対二。俺は結婚してるし、相手の女友達は彼氏持ちだから要は悦子ちゃんとその男の子を会わせようって企画なわけ」
「ううん」
「どんな人か知りたい?」
「んん。はい」
 しぶしぶと正直に頷く悦子。そこへ由井が近づいてきて二人の肩に手を乗せて、
「私は仕事の報告が聞きたいな」
「はあい」
 中島祐介は親しげに嫌味な顔を作って席に戻り、悦子もまたくるりと椅子を回して赤ペンを拾った。
「悦子ちゃんの相手の話は、あとで私も聞かせてもらうからね」

 落ち着いた曲の流れるバーのカウンター席の椅子は高い。女は膝を組んで足かけに乗せているが、晴郎は両足ともぶらぶらさせている。
「ごめんね。こんな大層なお店でなくても良かったんだけど。落ち着かない?」
「いえ、平気です」
「そう? もっとリラックスして」
「はい」
 晴郎は膝の上から手をあげてグラスを飲んだ。そうしてからまた、膝の上に戻した。その様子を見届けてから、女は煙草に火をつけた。
「あの、話ってなんですか? それが気になっちゃって」
「そうね」
 女は煙を吸い込んで、もったいぶって味わい、吐き出した。
「あなた彼女とかいる?」
「いません」
「欲しい?」
「ええ、まあ」
「どんな子がタイプ?」
「あの、真面目な子が」
「私とは正反対の」
「いや、そう言う意味じゃないんです」
 女が声を上げて笑った。
「あなたにぴったりの女の子がいるのよ。私の大学の同級生の会社の子なんだけど」
「はあ」
「会ってみない? 真面目な子よ。出版社だし」
「ええ」
「気が乗らない?」
「いえ、そんなことはないです」
「じゃあ、話進めていいかしら? 来週の土曜の夜あたりで」
「お願いします」

 土曜日は曇り空のまま日が落ちた。座敷の席――といっても、それほど高級ではない店で中島祐介と悦子は並んで座っていた。向かいには二人分の席が空いている。
「遅いね」
「はい」
 悦子の声は掠れてほとんど声になってなかった。
「あれ緊張してるの?」
「しますよ」
「どうして? 前はあんなにはしゃいでたじゃない?」
「あの時は人数合わせってわかってましたから」
「ふううん。そんなもんかね」
 中島祐介のケータイが鳴った。
「悦子ちゃん、ちょっと、ごめんね。もしもし? どうしたの? 遅いじゃん」
 相手は中島祐介とこの場を作った女だった。悦子は気にしないようにとあらぬ方向を見ていたが耳ではしっかり電話の会話を盗み聞いていた。中島祐介がケータイを切って悦子に、
「なんか。来れなくなったって」
「はい」
「あ、俺の友達がね。晴郎君はもうすぐ来るって」
「はい」
「どっきりした?」
「しません」
 つんとした悦子の頬はしっかり薄紅くなっていた。

 しばらくして晴郎がやってきた。走ってきたらしく謝りながら言葉の途中途中で息を整えている。
「まあ、いいから座ってよ」
「はい」
 晴郎は座って、おしぼりで手を拭いた。こめかみに流れる汗をおしぼりを置いてから手でそうっと拭った。
「晴郎君ね」
「はい」
 晴郎が顔を上げる。晴郎の顔も少し紅い。
「で、悦子ちゃん」
「どうも」
 初めて二人の目があった。二人とも照れて俯いてしまった。
「どう?」
 中島祐介がどちらともなく二人に言う。
「え?」
 晴郎が困った顔をする。それを見てとった悦子が、
「もう、何がどうなんですか?」
 いささか力を込めて中島祐介の体を押した。普段の悦子では考えられない照れようだった。
 その後、二時間ほど三人で食事をしてお開きになった。

 駅までの道を中島祐介と悦子が歩いていた。
「どうだった?」
「ええ。まあ」
「まあって?」
「まあ、いいじゃないですか、そんな話は」
「何言ってんのさ。今日は何の会合よ? それにね、俺は社長に報告しなくちゃいけないんだから。これは仕事なの」
「はいはい」
「悪くはない、って感じだね」
「ええ。悪くはないです」
 緩んだ悦子の横顔はそれ以上のものを語っていた。
「そっかそっか。あっち次第か」
「どうでしょうかね」
「大丈夫。悦子ちゃん可愛いから」
「いつもお世辞、ありがとうございます」

 晴郎は先輩の女と、今度はいくらか晴郎もくつろげる店にいた。
「そっか。それは残念だわ」
「ええ」
「正直、好みじゃなかった?」
「そんなことないです。そんなことは。本当に」
「そう? じゃあ何でよ?」
 女は晴郎が話しやすいようにと煙草をつけて自分の興味を逸らした。
「はい、いえ、悦子さんにはもっとふさわしい人がいると思うんです」
 晴郎の頭には中島祐介が浮かんでいた。
「そうかしら? あなた達、とてもお似合いだと思うけど。あっちもいいって言ってくれてるわけだし」
「ええ、でも、きっと違うんです」
「そう、まあ、仕方がないわね。無理強いするわけにもいかないし」
「すいません」
「いいのよ、謝らなくたって、あなた、真面目ね」
「すいません」
 女はぽんぽんと軽く晴郎の肩を叩いた。
(了)

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