小説は何文字から書けるか?

Twitterとnoteで100文字小説というシリーズを連載していますが、「意味がわかるとゾクゾクする超短編小説 54字の物語」というのがテレビで紹介されていたと、しまうまさんから聞いてチェックしてみました。
今回はそこから感じた文字数と物語の関係について考えてみようと思います。

そもそも、僕が100文字小説を始めたきっかけは、ある脚本家の先生の授業を受けたときに140文字小説というのを課題で出されたことです。いまのTwitterは140文字でないことと、ツイートでの読まれやすさを意識して画像形式にしよう、それならハガキサイズにして「ハガキ小説」としてみたましたが、画像ではサイズ感が伝わらなかったので「100文字小説」に落ち着きました。

100文字はかなり短いだろうという自負もあったのですが『54字の物語』ときいて「うっ、負けた!」と率直に感じました。一番、気になったのは「9マス×6行=54字」という字数の意味でした。作者の方は企画作家の方らしいので、CMとかコピーライト用のフォーマットなのかな?

内容について感じたことは物語ではあって小説ではないということでした。ここからが今日の本題です。
アラン・ダンダスの物語の最小単位としても以前にも書きましたが、物語には「不均衡」→「均衡」という構造が必要です。

たとえば「刑務所から男が脱走した」というのはニュースです。構造としては「不均衡」だけです。だから、これだけで物語を終わらせることはできません。逃亡者が「捕まる」か「死ぬ」か「亡命して逃げ切る」などして「均衡」がこなくては終わらないのです。あるいは「男の脱走」を「均衡」として構成するなら、その前の「不均衡」の段階が必要です。「妻を殺した冤罪で逮捕された」という不均衡から、自由を求めて脱走したのなら成立します(言わずもがな『ショーシャンクの空に』です)。

このように物語と呼べるものには最低限でも「不均衡」と「均衡」というビートが必要です。
ちなみに『54字の物語』の中では「不均衡」のみが提示されているものがあります。この意味わかりますか?という投げかけのようなもので、ページをめくると素敵なイラスト付きで解説が書かれています。
これはミステリーの構造では「不均衡」=謎、「均衡」=真相とおくのと同じです。もっとわかりやすいのは、クイズと同じです。
「男は死ぬほど腹が空いていた。今ならどんな苦手なもので食べるつもりだった。だがその丸くて黒いパンはたべられなかった。」(※ぴったり合わせるのがルールらしいので54文字にしました)
これは「パンはパンでも食べられないパンは?」→「フライパン」を54字の形式に言い替えただけです。
ログラインを作るのと同じなので量産も簡単です。

54字より短いものと言えば、31文の短歌、17文の俳句が浮かびます。

「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
物語としての構成は持っていないように思えますが、「古池や」が静けさを想像させるとすれば「均衡」から始まります、そこに「水の音」という「不均衡」が起きると感じると物語性が感じられます。
もう一句、芭蕉から。

「夏草や 兵共が ゆめの跡」
これも風に揺れてる夏草の静かさと、「つわもの共」の合戦の鬨の声などが想像されると「均衡」や「不均衡」のようです。
明確な物語ではないけど「物語性」を感じさせるからこそ名句なのかもしれません。また短い言葉から感じて想像することが俳句の楽しみでもあります。
こういう意味では17文字でも物語は作れると言えるのです。

さて、小説に戻ります。
物語が小説になるためには何が必要なのでしょう?

1つの答えとして形式的なことを考えてみます。
小説は「セリフ」「地の文」から成り立っています。忘れがちですが「段落」も重要な要素です。
こういった小説としての体裁を整えていることが1つの要素です。

もう1つの答えとして「描写」があることと僕は考えます。
説明と描写の違いについては以前も書きましたが、説明だけで書いた文章が小説に見えるかどうか書いてみます。

 ある会社員の男、43歳は妻を殺した容疑で逮捕された。
「俺は冤罪だ!」
と、男は主張したが判決は有罪。懲役40年だった。
それから男は看守の目を盗みながら、こつこつと壁に穴を開けて、自由を求めて脱走したのだった。

形式は守りましたが、小説というよりはWikipediaのあらすじのようです。
では描写をするとどうなるか?

 それは唐突に男の身にふりかかった悲劇だった。
 男は玄関に鍵を差しこんだ瞬間、両脇から取り押さえられた。警察官だった。
「妻が死んだ?」
 自分にかけられた容疑を聞いて、鼻で笑った。
「おい、何の冗談だ? サプライズパーティーか?」
 その日は男の誕生日だったのである。
「詳しくは署で聞こう」

こんな風にワンシーン、一動作ずつ描いていくことが描写であり、小説です。
この先、50枚ぐらいで終われば短篇小説ですし、500枚続けば長編小説です。
10枚以内であればショートショートと呼ばれます。
長さは重要ではありませんが、描写は重要です。

ショートショートではオチが重視される傾向があります。
けれど「あっ!」と驚くオチなどはミステリーのトリックのようなもので、量産するのは難しいのです。
数を重ねるとたいていどこかで見たようなオチになっていきます。「幽霊」「宇宙人」「夢オチ」などに走りがちにもなります。
ジャンルの違いもありますが、オチていなくても描写されていれば、それは小説と呼べると僕は思います。

文学的ショートショートのお手本のような川端康成『掌の小説

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