成長物語と成長しない物語

主人公が成長する物語を「ビルドゥングスロマン」などと呼び、そのプロットはヒーローズジャーニーの構造に、通過儀礼としての心理学的な解釈を加えて完成されていると言えます。ここでは主人公よりも構造が優位にあります。主人公は成長する前の未熟な要素をもって旅に出て、旅を終えたときには変化しています。最終的に変化しない結論を選ぶとしても、変化を迫られるイベントに遭遇します。細かくは「プロットを考えるシリーズ」などを参照ください。

プロットのタイプによっては変化しない主人公もいます。その好例はミステリープロットの探偵役の主人公で、主人公は成長のためではなく「事件解決」のために旅にでて解決をすれば物語は終わります。映画では併行して成長が描かれることもありますが、一話完結の連続ドラマのようなつくりでは変化はしません。来週には次の事件が起こるのです。連続ドラマでは職業モノと呼ばれるように、医者であったり弁護士であったり、プロフェッショナルな職業の主人公の元へ事件が起きて解決することを繰り返すのです。

ここで、キャラクターについて考えます。
シンプルに「キャラクター=創作上の人物」と定義して、外見などの外面的な要素と、性格や感情などの内面的な要素、それからその中間に設定があると考えてます。

外面的な要素は、アニメやマンガであれば人目見ればわかります。これについて言うまでもありません。小説の場合、服装や愛用のアイテムで雰囲気を作ることは可能ですが、挿絵がない限りは、共通認識はえられません。そのため、映像化されて役者が演じたときに自分の想像と合う、合わないといった感触を持つことになります。ラノベ小説でははじめから表紙などにキャラクターが描かれている点では、マンガとの中間といえそうです。

設定は、年齢や職業、スキル、家族構成など。そのキャラクターの周辺要素です。ランドセルを背負っていれば小学生とわかるし、ファンタジー世界のキャラクターであれば武器や衣裳、耳が尖っているエルフといった身体的な特徴でも表現できます。これらの要素は外面、内面の双方から影響を受けるので中間に位置するといえます。

内面的要素は、育った環境やポリシーといった設定からの影響も受けるし、情熱的やクール、天然といった性格設定そのものである場合もあります。主人公が旅をして成長する物語では、この本質的な部分が変化することです。旅を通して成長を強いられるのです。

たとえば、「両親の離婚」という旅をする主人公であれば、幸せな家庭から始まり、離婚の危機を迎え、それに対する葛藤を経て、受容して、新しい自分と成長していく。
一度、成長した主人公は、旅をする前の自分に戻ることはないので(通過儀礼を経て大人になって者は子どもには戻れない)、連続ドラマのように次週、また別の旅を繰り返すことはできないのです。

話をプロットに戻します。
ミステリーのように「事件解決」するプロットであれば、主人公は成長を強いられません。成長しないからこそ物語が続くともいえます。
『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』といった作品では成長もしなければ、基本的には年もとりません。アニメには「日常系」と呼ばれるようなジャンルがありますが、こういった構造を「日常系プロット」と呼んでおきます。

これらの物語では毎回、何らかの事件は起きます。「お正月」や「ひなまつり」だといった季節的なイベントであったり(ただし通過儀礼である卒業式や葬式は描かれない)、キャラクターが病気になる(しかも風邪程度)といった事故的なイベントとか、友人とケンカするといったか成長を強いる旅を匂わせるものもありますが、結局は仲直りしたり勘違いであったとかで、元通りになります。

ビートとしては旅の始まりにあたる「プロットポイント1」、旅の終わりにあたる「プロットポイント2」はありますが、それ以外のヒーローズジャーニーに必須のビートがほとんどありません。代わりにあるのは感情表出としての「ビート」や、笑いとしての「ビート」です。

「ビート」の本来の意義は観客を飽きさせないために変化をつけることだけです。成長物語であるモノミスやヒーローズジャーニーでは、主人公を変化させるためにビートに意義を重ねていきますが、変化を強いない「日常系プロット」においては、試練にあたる「バトル」も決断する「死」も必要ありません。

成長する主人公は感動を生みます。スポーツでどん底から這い上がった選手に感動するのと同じです。
では、成長しない主人公は何を与えるのでしょうか?

それは「安心」です。
幼児向けのアニメを想像してみてください。その世界には根本的な悪者はいません。出来心などから問題を起こしてしまうことはあっても、取り返しのつかない過ちをけして犯しません。だからこそ元通りにもどれます(変化しないでいられる)。幼児にとっては未知なことだらけの現実世界を間接的に学ぶ場ですが、大人がそれを楽しむとしたたら現実逃避です。心理学の退行の一種ともいえるかもしれません。

また「ノスタルジー」とも言えます。それぞれの作品で描かれる時代や家族観をなつかしむこと。また、変わらない時間を生きている物語の世界に浸ることで、現実逃避の役目も果たしています。

これは現代における物語が果たす役目の一つだと思います。その背景にあるのは現実生活での不満や鬱屈であるのかもしれません。

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