二流の作家(文学#72)

物語を書く人、書こうとしている人はすべて「作家」である。

その中で、収入とか原稿料といった基準で見て、

専業で生活していける「プロ」、

別の仕事と兼業をしている「セミプロ」、

仕事をしたことがない「アマ」、

といった、ざっくりとした分類があるだろう。

けれど「プロ」や「アマ」と作品の質は必ずしも正比例しない。

「プロ」でも面白くないものがたくさんあるし、「アマ」でもすごいものを書く人がいる。

もちろん、そのすごいものを書く「アマ」はデビュー前の「プロ」ということも多く、おおよそは比例すると思われている。

「面白い物語」=「商品価値の高い」ということになり、収入につながっていく。

だが「これは必要条件ではあるが十分条件ではない」というようなもので、

「商品価値が高い」≓「面白い物語」であり、物語が面白くなくとも、さまざまな付加要素で売れているものがある。

このことを「作家」という視点で考えてみると「売れている」とか「プロ」であることが良い「作家」ではない。

つまり「商品価値の高い」作品を書ける作家が、いい作家とは限らない。

では、いい作家の条件とはなんだろうか?

その本質は「パッション」と「テクニック」(思いと技術)の有無で分類できると思う。

パッション
ある ない
テクニック
ある 一流 二流
ない 二流 三流

三流作家

「パッション」も「テクニック」もない作家。

これは主に初心者である。

何か書きたいという衝動に突き動かされて、物語を書こうとしたり、実際に書いてみるが、まだ「本当に何を書きたいか?」「書くべきなのかか?」が掴めていない。

それは「パッション」が、まだ初期衝動で、物語を通して世界に影響を与えたいというところまで燃えていない。

三流作家が書く物語は、テーマがありがちで弱く、どこかで見たようなものばかり。

「自分」という誰にも代えがたい一人の人間として紡ぐべき物語を見つけられていない。

「テクニック」もないので、同じテーマで、もっと手練の作家が上手く書いているのだから商品価値も低い。

それでも書きつづけてさえいれば「テクニック」はある程度、身についてくる。

「テクニック」しかない二流作家

「テクニック」が身につくと、それらしい物語が書けるようになる。

これが「商品価値」まで高まればデビューはできる。

何かの拍子に、大ヒットしたり映像化などされて「プロ」として評価されていく。

面白くない作品ばかり書いてても、知名度だけが先行してプロとして続けていける人もたくさんいる。

世の中の多くの人は、生活のために「仕事」を持っている。

それが、自分の価値観に合わないことがあっても、たとえば、プラスチックが環境によくないとわかっていたりしても、生活のため、家族のためと割り切って「仕事」に従事する。

その物語に、時間やお金を使う程度に、観客を楽しませるだけの「テクニック」は持っていれば、

「仕事」として物語を書き、エンタメを提供しているだけの二流作家にはなれる。

だが、二流である。

「パッション」がなければ深い感動は生めない。

「パッション」しかない二流作家

一方、「パッション」が先行する二流作家もいる。

自分なりの書きたいテーマを「パッション」として燃やしていて、その点では強く訴える物語を書ける。

だけど「テクニック」が未熟なので、観客を楽しませる能力に欠ける。

ファンはついても、大衆受けはしにくい。

「テクニック」が身につけば、そのテーマを、もっと観客に投げかけられるが、技術が未熟なのでブレてしまっていたり。

「パッション」にせよ、「テクニック」にせよ、どちらかを持っている二流作家の作品は、もったいない。

けっして悪くないけど、もっと良くできるのに、と思わせる作品が多い。

一流作家

その作家にしか書けない「パッション」があり、それを表現しうるだけの「テクニック」もある一流作家。

こういう作家の書く物語は、観客を感動させる。

感動させることができれば、必然的に「商品価値」も高くなるから、一流作家はやがて「プロ」になっていく。

こんなことを書いていると、僕自身が一流作家だと言っているようにみえるが、僕は二流。「パッション」しかない方の作家である。

物語を通して世界を変えられるとバカみたいに信じている。その思いだけはある。

「テクニック」については、少しは持っていると思ってしまいそうなときもあるが、上を見れば、まだまだ未熟だ。

見ていない名作映画や、読んでいない古典など山ほどある。

新しい作品も取り入れなくていけない。

「テクニック」は常に進歩したり、時代に合わせて変化している。完成はない。

自分は一流作家だなんて思ったら停滞の始まり。

一流は目指すべき理想像に過ぎない。

精進して、書いて読んで見て感じていかなくてはいけないと思うのである。

緋片イルカ 2023.2.1

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