My Story と Our Story(文学#51)

単純に和訳すれば、My Story は「わたしの物語」、Our Storyは「わたし達の物語」。

今回は、この言葉から、物語の役割を考えてみたいと思います。

「My Story」を書く作者

「売上げ」という観点から離れるため、ネット小説で考えてみましょう。

ある作者が、ある小説を、ネットに投稿したとします。

それを読んだ読者が「キャラクターにリアリティがない」とコメントしたとします。

がんばって書いた小説に、ネガティブなコメントがつけば、嫌な気持ちになるのは当然です。コメントの言い方もあるでしょう。

それでも、最終的にそのコメントを「批判」や「嘲笑」と感じて、聴く耳を持たないのであれば、その作者が書いてるのは「My Story」です。

「これは私の作品だ」「私の描いた作品にケチをつけるな」と思っているのでしょう。

物語では、作者の世界、オリジナリティといったことも大切ですから、決して悪いことではありません。

けれど、その物語は閉じているのです。閉じた作者は、閉じた物語を書きます。

それでも、その世界に共感する人がいれば、それでいいのです。

最初に言いましたが、無料のネット小説です。

読みたい人は読まなくていいし、一人でもその作品を好きな読者がいればいい。その一人の読者が、作者自身であってもいいのです。

この作者に「ああしろ、こうしろ」とアドバイスするのは善意のようで、読者による価値観の押しつけにもなりかねません。作者(とファン)とっては余計なお世話です。

「Our Story」を書く作者

「My Story」を書く閉じた作者に対して、積極的に周りの意見に耳を傾けていく作者もいます。

ネガティブなコメントをつけられたとしても、相手の言い分を聞く。

なるほどと思えば改善し、ちがうと思えばきちんと無視する(この判断は難しいのですが)。

そういう作者は、開いた作者と言えそうです。

「みんなに楽しんでもらいたい」「作品が良くしたい」と思っているのでしょう。

こういう作者の物語は、作者だけのものではなく、みんなのものという意識があるのです。「Our Story」です。

みんなで創る物語と言っても良いかもしれません。

一人だけの世界である「My Story」よりも面白くなりそうな感じはします。

しかし、集合知には欠点もあります。

「三人寄れば文殊の知恵」でも三百も集まると「烏合の衆」ともなります。

科学の革命的な発見のように、何千、何万と数で寄ってたかって考えても、解けない難題を、一人の天才が解いてしまうのです。

数が多ければいいというものではありません。

「Our Story」を書く作者には、周りに流されないだけの、確固たるものがなければ、中途半端になってしまいます(リレー小説のような企画ものが、たいてい破綻するのはこのせいでしょう)。

その点では、閉じた作者と同じような頑固さが必要なのです。

ライターズコア

作者が周りに対して、閉じていようが、開いていようが、流されない中核(コア)が必要です。

キャラクターをブレさせないための、その人物の中核をキャラクターコアと僕は呼んでいますが、作者にも同様にライターズコアがあると思います。

自覚するのは簡単なことではありませんが、たくさんの作品と向き合っているうちに、必ず浮かび上がってきます(他人からは容易に見えたりもしますが)。

ライターズコアは、生きている人間が、物語を書こうとする中核であり、それは、作者にとっては人生の意義に近いでしょう。

人はみな、悩みながら生きているのです。

その悩みと真剣に向き合っている物語であれば、作者が開いていようが、閉じていようが、必ず誰かの共感をえます。

反例として、コアのない物語を考えてみると、よくわかります。周りに流されていてコアのない物語です。

そういった物語は、たとえ一時的な人気や売上げがあったたとしても、数年後には忘れ去られます。消費されるだけの物語です(物語を商品productにしているだけで、やがて捨てられ、がらくたjunkになるのです)。

コアのある物語は、古典として語り継がれて、今も読まれています。

教科書に載っているからタイトルだけ知られてるようなものではなく、今も、たしかに読まれているものがあるのです。

時代背景は違えど、作者が向き合ったコアは、今も昔も変わらないのです。

緋片イルカ 2021/05/28

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