文学を考える10【尾崎放哉の蟻】

尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)

尾崎放哉(おざきほうさい)「咳をしても一人」などの句で知られる自由律の俳人。
1885‐1926。現在の鳥取市に生まれる。本名・秀雄。東京帝国大学法学部卒業後、東洋生命保険株式会社に入社。旧制中学時代から句作を始め、一高俳句会に参加、萩原井泉水の「層雲」に寄稿するなど、自由律の俳人として句作を続けた。前途を嘱望されたエリート社員だったが、家族も仕事も捨て、流浪の果て、孤独と貧窮のうちに小豆島で病死。享年41歳。その破滅型の境涯は、同時代の俳人・種田山頭火と並び、いまなお人々に感銘を与えつづける。
(以上、Amazonの商品説明を要約)

海のあけくれになんにもない部屋

尾崎放哉の句からにじみ出る孤独感は現代人に通じるものがある。
アパートで独り暮らしの末、孤独死してしまう老人のつぶやきにも聞こえるし、周りになじめず孤独をかんじて生きている若者にも通ずるものがあるだろう。
やっぱり人は独りでは生きられない。そんな考えが浮かんでくる。

たった一人になりきって夕空

高波打ちかへす砂浜に一人を投げ出す

放哉はいつも一人である。独りの自分を客観的に描写するところが一層に孤独感をひきたてる。

げっそり痩せて竹の葉をはらってゐる

庭を掃除する己のグチなどは語らない。

わかれを云ひて幌おろす白いゆびさき

愛しい人を見送ったのだろうか。手を挙げて「では、また」などど言いながら去っていく、その指先をいつまでも眺めていたのかもしれない。

蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る

文学的である。

なかでも蟻に関する句が気になる。以下に並べてみる。

空暗く垂れ大きな蟻が畳をはってる

蟻を殺す殺すつぎから出てくる

蟻が出ぬやうになった蟻の穴

かぎりなく蟻が出てくる穴の音なく

せわしき蟻のひとむれに蝉が死にゐたれ

海原漕ぎ出でし船端這う蟻

蟻が何を象徴するのか?と分析すれば評論が書ける。もちろん小説にもできる。
読者の想像力や感受性を刺激する「文学性」「作家性」をもっているといえる。

一番好きな句は

こんなよい月を一人で見て寝る

●書籍紹介

(緋片イルカ2019/04/18)

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