情動レベルと感情描写①注意を向ける(キャラ#51)

この記事は連載記事です。

目次:
①注意を向ける←NOW
②声に出る/独り言
③二人会話
④複数人会話
⑤その他

まえおき

人間の行動には感情や目的が伴います。

厳密に、すべての人間の、すべての言動に伴っているかはわかりません。

ですが、少なくとも一般的な物語ではキャラクターたちは一貫した感情や目的をもち、それが読者や観客がわかるように描写する必要があるのです。

そうでないと、リアルな人間に見えず感情移入ができませんし、感情移入ができなければ感動も起こりません。

以下、言動の動機となる感情の強さを「情動レベル」と呼び、段階的にみていきます。

情動レベル1:注意を向ける

まずは「発話行為」=声に出す以前の動きから考えます。

たとえば、こんなシーン。

道を歩いている人がいる。

どこかで、物音がした。

その人は耳をこらし、物音がした方を向いて、状況を確かめようとする。

一般的な行動です。

この時に動いているのは感情というよりは反射的な警戒心のようなものです。

このレベルでの感情は、発話行為以前であるので、セリフではなくト書きで表現することになります。

脚本例:
〇路地(夜)
  太郎が歩いている。
  銃声のような音。
  太郎、足を止めて辺りを見まわす。

ト書きは、カメラを通して見てもわかる「太郎の動作」を書くものです。

その動作をみて、太郎がどんな気持ちかを観客ないし読者にわかるように書かなくていけません。

耳をそばだてる動きは映像的に分かりづらいので顔や体ごと動かすか、顔のアップで目線を動かすと伝わりやすいでしょう。

演出が巧みであれば繊細な描写も可能です(ミニプロット的になるとも言えます)

しかし、脚本で細かく指定しても伝わりづらくなることのが多いでしょう。撮影段階でキャストが変わることもあれば、シーン自体が変わってしまうこともあります。微に入り細を穿つような描写をする必要はありません。

むしろ、脚本として描くべきはアークです。キャラクターアークがしっかり描けていれば、細かい描写をしなくても、自然と演技も演出もキャラクターに沿ってくれるはずです。

ト書きの感情描写はショットの連続で見せるようにします。

脚本例:
〇路地(夜)
  太郎が歩いている。
  銃声のような音。
  太郎、足を止めて辺りを見まわす。
  視線の先には――
  倒れている人と、拳銃を持った男がいる。

「視線の先には――」は一般的なルールから外れる書き方ですが「見まわす」という動作は全身ないし上半身の写すショットになります(フルショット~ミディアムクローズショット)。

そこから「視線の先に――」と書けば、必然的に顔か目のアップ(クローズかスーパークローズ)に繋がるはずです。

ショットを想像して、基本的な編集リズムを理解していれば、このような書き方でも伝わります。

「ト書きでは主観的に書いてはいけない」と言われたりしますが、これは映像的でない書き方をする人に対しての指導です。「カメラに写せないものを書かないでね?」という意図です。

あえて厳密に、動きだけでト書きを書いた例をあげておきます。

脚本例:
〇路地(夜)
  太郎が歩いている。
  銃声のような音。
  太郎、足を止めて辺りを見まわす。
  太郎、一方向を見つめる。
  その方向には、倒れている人と、拳銃を持った男がいる。

おそらく映像としては同じですが、文章のリズムが悪く読みづらくなります。

脚本は設計図と言われますが、同時にも「読み物」でもあります。

読んでいて面白い方が想像力をかきたてることができ演出の質も上がりますし、文章のリズムとしては映像を見ているときのように流れるように読める方が、脚本らしいことは言うまでもありません。

上記のシーン、情動の動きは以下のようになります。

「太郎、足を止めて辺りを見まわす。」→ なんの音だ? どこだ?

「視線の先には――」→ あれか!

ショット、ト書き、心の動きがそれぞれ一致しているのです。

これを、長い文章で一気に伝えようとすると読みづらくなります。

脚本例:
〇路地(夜)
  太郎が歩いている。
  銃声のような音。
  太郎、足を止めて辺りを見まわすと、倒れている人と、拳銃を持った男がいる。

ショットの切れ目が不明で、文章として説明的にもみえます。

好意的に読めば「じっくりと長回しで太郎の動き」を映してから、カメラをパンしていくと「倒れている人と拳銃の男」が映るような演出にもなりそうです。ミニプロット的な演出です。

基本を理解できていない初心者はやらないで欲しいところですが、描写を込めた脚本の書き方もあります。

脚本例:
〇路地(夜)
  何かが起こりそうな夜道を、一定の歩幅を保ちながら歩いている太郎。
  突如、鋭い銃声のような音が響く。
  太郎は足を止め、辺りを見まわし、ある一点で視線を止める……目を見開き……その視点の先には……倒れている人と、拳銃を持った男。

など、全編にわたって雰囲気を描写していけば「何かを起こりそうな夜道をどう表現するか?」とか「なぜ太郎は一定の歩幅を保つのか?」と考えて演出します。

「視線を止める……目を見開き……その視点の先には……」はさきの例で示した説明的にみえる長いト書きとは別物です。三点リーダーの多用は明らかに意図的だからです。

このようなミニプロット的な脚本は、オリジナル脚本であるかどうかや演出家との相性にもよります。

ショットや編集の考えをもっていない人がいると、脚本が脚本の役割を果たさないことすらあり得ます(原作ものであれば、そんな脚本は不要です)。

しつこく書きますが、脚本家が書くべきはカメラの演出よりも感情ドラマです。

ここぞというシーンならともかく、シンプルな書き方で充分だといえます。

「銃声のような音」というト書きは「ような」とありますが、結果的に銃声だったのでSEとしても銃声を入れることになります。

それなら最初から「銃声」と断定してもいいのですが、読み手と太郎の気持ちを重ねるためにわざと「銃声のような」と書くのです。

脚本例:
〇路地(夜)
  太郎が歩いている。
  銃声のような音。
  太郎、足を止めて辺りを見まわす。
  視線の先には――
  ゴミ箱を漁っている犬。
  太郎はまた歩き出す。

この場合は結果的に「ゴミ箱を漁る物音」でしたが、読者(観客)は犬を見るまではわかりません。

ですが「銃声のような」という書き方によって、読者の緊張感を煽れますし、太郎も「もしかして銃声?」と思ったのだと表現できます。

SEとしても「銃声のように聴こえるゴミ箱を漁る物音」を工夫してくれます。

このように読み手の気持ちを煽ることも「読み物」としては大切です。

ただし、煽ったところでストーリー上に意味があるのかも大切です。

無意味なイベントの羅列は、たとえ面白くても、物語全体としては何も意味がないことがあります。

邦画のコメディなどに多いですが、コントのようにシーン単位で面白さが満載でも、全体としてアークが描かれていないため、映画としては物足りなさが残る場合があります。

バランスを考えながら、アークをしっかりと維持した上で、遊びを入れるべきです。

何も起こらなかったように見えて、実はフリになっているなどのテクニックもあります。

脚本例:
〇路地(夜)
  太郎が歩いている。
  銃声のような音。
  太郎、足を止めて辺りを見まわす。
  視線の先には――
  ゴミ箱を漁っている犬。
  太郎はまた歩き出す。
  犬の鳴き声。
  太郎、振り返る。
  ゴミ箱の犬が消えている。
太郎「?」

「犬が消える」というミステリーを煽るシーンになります。宇宙人や超常現象のフリかもしれません。

ストーリーの本筋に関係なく、ただサスペンスを煽るだけの演出であればスピーディーにいく方法もあります。

脚本例:
〇路地(夜)
  太郎が歩いている。
  突然、背後から銃声音。
  太郎、振り返る。
  倒れている人と、拳銃を持った男がいる。

脚本は時間に制限がある(ページ数に制限がある)ので、無駄なシーンが増えると、クライマックスなど見せたいシーンを書く幅がなくなってしまいます。

面白いからと、あれもこれもと詰め込んでいると、アークが描けなくなってしまうのです。

<目次:
①注意を向ける
②声に出る/独り言←NEXT
③二人会話
④複数人会話
⑤その他

イルカ 2023.03.22

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