書籍『息子が殺人犯になった』スー・クレボルド(読書メモ)

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一個人の感想

この人の言葉通りに受けとるのではなく、言葉の向こうにいるこの人の特徴を掴みたいと思った。二分法的思考をするタイプのように感じた。レトリックでいうと「Aかもしれない。しかしBである」という構文が多く、論点がいったりきたりで進まない印象を受けた。ところどころにある場違いなメタファーも気になった。言葉をもてあそんでいる印象を受ける。矛盾もしているし、ただでさえ文字数が多いが同じような感情の繰り返しに辟易する。その中で、強くでている主張は殺人犯には脳障害と不安性を抱えていて自殺志願者が多いというところからの、自分の活動の話。医師の言葉の引用があるが、専門外の人間による論理武装にも見える。そういったぐるぐる思考から、この人のおかれた状況の厳しさが窺える。息子との関係で、いくつか気になった箇所を引用しておく。

 別のシーンでは、ディランは母親に過ぎ越しの祝いに無理矢理参加させられるとエリックに不平を言っている。このシーンを撮ったのは、近所の人たちも呼んで伝統的な過ぎ越しの食事を行おうと私が決めて、その予定を決めるために、息子たちに仕事のスケジュールを訊いた週末だった。このときディランの答え方が大人げなくて利己的だと私は思った。彼は参加したくないと言ったのだ。テーブルについている者の中でもっとも若い人が儀式の一部である朗読をすることになっているのだが、彼はそれが恥ずかしいというのだ。
 私は考え直してほしいと言った。「あなたがこんな祝日には意味がないと思っているのは知っているけど、私には意味があることなの。いい会食にしたいの。やってくれるわね?」彼がわかったと言うと、私は礼を言い、感謝していると伝えた。それなのに、彼はビデオでエリックに、出席しなければならないことへの不満を述べていた。(p.188)

 その春、私はディランと最大のけんかをした。その日は母の日だった。ディランと過ごした最後の母の日だったのに。いまでも思い出すとつらい。
 正確には自分が何に腹を立てたのか覚えていない。私は息子二人とともにとってひどい年であることに心を痛めていたし、ディランがずっと反抗的で態度が悪いことに怒りを感じていた。彼が母の日を忘れたことにひそかに傷ついてもいた。私が彼の態度を責めると、彼は私にちゃんと返答せず、なにか仲間うちで通じる言葉でふざけているように聞こえた。失礼な態度に思えた。
 嫌になった私は、彼につっかかった。私は彼を冷蔵庫に押しつけ、片手で押さえつけた。それから彼を指さしながら、母親として厳しく説教した。大声を出さなかったが、自分勝手でひねくれた態度をとるのをやめなさいと厳しい声で命令した。「世界はあなたの周りで回ってるわけじゃないのよ、ディラン。家族のことも少しは考えてほしいわ。そろそろ自分の役割を果たすべきよ」それから私は彼が母の日を忘れていることを告げた。
 私は説教しながら、彼の肩を思い切りつかんでいた。このとき彼を押し離すのではなく、抱き寄せればよかったと後悔している。きっと、死ぬまで後悔し続けるだろう。
 やがて、ディランが静かな、警告するような声で言った。「押すのはやめて、ママ。俺、腹が立ってきた。どうやって抑えたらいいのかわからないんだ」それでじゅうぶんだった。子どもにこんなのふうに接するなんて私のやり方ではなかった。こんなにひどく衝突してしまったことに驚きながら、私は引き下がった。これほどひどいけんかは十七年間ではじめてだった。(p.275)

ほかに、思考がみえると感じた箇所をいくつか。

 宣誓証言を裁判の手続きとは別に述べるもので、我々に対する訴えが陪審員裁判に進んだときには、原告は訴訟に必要な情報を集めるために使うことができる、と弁護士が説明してくれた。トムと私とハリス夫妻はそれぞれ、堅く団結した被害者の遺族たちの前で、一日かけて質問に答えた。私たちはディランとエリックが殺した生徒の親たちと対面して座った。彼らの目には悲しみが浮かんでいた。それは私の息子のせいなのだ。そう思うと私はおそろしかった。
 経済的な破綻についてはもうあきらめていた。メディアは我が家を裕福な家庭と報道したが、それは私の祖父が成功した企業家だったせいもある。しかし彼は遺産をすべて慈善団体に寄付した。私たちの家は、テレビで流れる空からの映像では、広大な敷地の豪邸に見えるが、本当はぼろ家だった。私たちは家を失い、破産宣告をした。そんなことはこれまでの苦しみに比べたらなんでもない。
(中略)
私がたしかに知っているのは、ディランは育てられた環境にかかわらず、大量虐殺に加担したのであり、環境のせいではないということだけだ。私が知らなかったのは、これを彼が殺した人たちの家族にどのように伝えれば、わかってもらえるかだった。わかってもらえたとしても、彼らのつらさを軽くできるわけではない。どんなことをしてもそれはできないのだ。(p.340-343)

 私は被害者それぞれの家族に手紙を書いた。その後、私が連絡することでまた被害者家族をつらい目にあわせないよう、引きこもった。本当はなによりも彼らとつながりを持ちたかったのに。私は彼らが亡くした大切な家族の名前を毎日呪文のようにとなえていたのに、連絡の手段は弁護士経由か互いのことをニュースで読むことしかなかった。
 私はその距離を埋めたかった。私は他の暴力事件について勉強した結果、犯人の家族が被害者と顔を合わせて謝罪し、涙を流し、抱擁して話すことができれば、トラウマをかなり減らすことができると知っていた。そんなに思い描いた通りにいかなくても、お互いの人間性を認め合うことがいちばんの道だ。そのやりとりは確実につらいはずだが、私はどうしてもそうしたかった。(p.344)

 私は生まれつき教師が向いていると思う。私は知っていること、大事に思っていること、好きなことをすべて子どもたちに教えた。
(中略)
 私たちはすべて正しくやれたわけではない。これまでに調べたことから、ディランへのもっとよい接し方があったことがわかった。説教ばかりしていないで、もっと彼の話を聞けばよかった。彼と一緒にいるとき、沈黙を自分の言葉や考えでうめないで、黙ってそばにいればよかった。彼の気持ちを聞き出そうとするのではなく、尊重すればよかった。そして彼が話したくないときの疲れてるとか宿題をしなければならないとかいう言い訳を、なにかがおかしいと思うときには、信じなければよかった。彼と暗いところに座り、彼がなんでもないと言っても、心配だと言い続ければよかった。他のことなどすべてやめて、彼のことに集中し、その気持ちを探り、もっと話をするよう、うながしていればよかった。そして自分がそうしていないことに気づけるぐらい。ちゃんと彼のことに集中していればよかった。
 こういう後悔はあるが、ティランガなにかおそろしいことを計画しているという明らかな兆候はなかった。(p.350-351)

 トムは私が自殺予防の活動に熱中していて、意見が異なってしまったことを残念に思っていたので、私が殺人後の自殺について調査することにさらに強い抵抗を感じていた(彼はパネリストたちをアダムス・ファミリーと呼んでいた)。彼は私が前進しようとしないと思っていたのだろう。ときどき私自身、彼の言う通りだと思う。私は思春期の脳や自殺や殺人後の自殺や生物学的観点から見た暴力に関する本を集め、不都合な真実や不愉快な事実を追い求めていた。
 おそらく、この行動には償いの気持ちも含まれているのだ。それに自分を守りたいという気持ちも。最も悪いことを先に見つけだしておけば、不意打ちされることはない。しかしその根底には、どうしても知りたいという強い思いがあった。私の家で育ったディランがどうしてあんなことをできたのかを。(p.359)

 それでもディランとエリックのしたことは理解できない。地球上の誰かがあんなことをするなんて理解できないし、ましてや自分の息子がそんなことをするなんてまったく理解できない。彼の死が自殺であるという面を強調して考えるのは、つらいが簡単だ。しかしディランは人を殺したのだ。私はそのことには一生慣れないし、乗り越えることもできない。(p.363)

緋片イルカ 2023.3.20

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