「人間のナゾ」(キャラクター論45)

よく物事を多角的にみようとするとき「5W1H」を考えると言われます。
When, Where, Who, What, Why, How
いつ、どこで、誰が、何を、何故、どのように。

この中でもキャラクターを掘り下げるには「ナゼ」が重要です。

そこのことについて考えてみます。

人を見たら「ナゼ?」と考える

先日、公園を歩いていました。芝生のあるひらけた公園なのですが、ブルーシートを敷いてお弁当を食べているお母さんと男の子がいました。男の子は小学校低学年ぐらい。時間は夜の8時頃です。自転車が一台停まっていて、ライトを外して照明代わりにしていました。ちょっとしたキャンプのようで微笑ましく思いました。

しかし「微笑ましいなあ~」だけでは物語は生まれません。

こういう時にこそ「ナゼ思考」を働かせてみます。なるべく安直に答えていきます。

Q:ナゼそんなことをしているのだろう?
A:男の子が絵本か何かで見て、キャンプしたいと言ったから。

Q:ナゼ公園でしているのだろう?
A:キャンプ場に行けないから。

Q:ナゼ行けないのだろう?
A:母の仕事が忙しくて時間がないから。

Q:ナゼ母の仕事が忙しくて時間がないのだろう?
A:シングルマザーで働かなくてはならないから。

Q:ナゼ、シングルマザーなのだろう?
A:離婚したから?

少しずつ設定ができてきます。ナゼに対する答えをあえて安易にしていますが、途中で特殊な答えが出てくれば、別の物語に派生していきます。
たとえば「離婚したから」ではなく「死別したから」だったらどうでしょう?
とうぜん「ナゼ死別したのだろうか?」の答えも変わります。
「事故」なのか「病死」なのか「自殺」なのか、あるいは「妻が殺した」のか。

ひとまず「離婚したから」に戻して続けてみます。
安易な答えでも、子供の質問みたいにしつこくしつこく「ナゼ」を続けていけば、キャラクターが生まれてくることを示します。

Q:ナゼ離婚したのだろう?
A:夫がDV夫だったから。

Q:ナゼ夫はDVするようになったのだろう?
A:夫がダメな夫だったから。

Q:ナゼ、ダメな夫だったのだろう?
A:育ちが悪かったから。

Q:ナゼ育ちが悪かったのだろう?
A:貧しい家庭で育ったから。

Q:ナゼ貧しい家庭で育ったのだろう?
A:夫の父親も働かなかったから。

Q:ナゼ夫の父親も働かなかったのだろう?
A:そのまた父親も働かなかったから。

Q:ナゼ、そのまた父親も働かなかったのだろう?

ループしてきました。少しだけ質問を変えます。

Q:ナゼ、この家系の男は代々働かないのだろう?
A:呪いかもしれない。

Q:ナゼ、呪われているのだろう?
A:先祖が罪を背負っている。

Q:ナゼ、罪を背負っているのだろう?
A:先祖が神社を荒らしたことがある。

やや、壮大になってきましたがオリジナリティはでてきました。
お稲荷さんの呪いみたいなファンタジーに仕上げてもいいし、先祖は神職だがケガレて破門されたなど本格的に仕上げてることもできます。ただ、先祖や親父のせいにして、頑張れない父親を家族が支える話にもできるかもしれません。

それが、面白いかどうかはともかく、オリジナリティが出てくるということをご理解ください。

ここまで15回のナゼを繰り返しましたが、おそらくすべてが僕と同じ答えになった人はいないかと思います。2~3回、訊いただけでは同じような答えでも、しつこく繰り返すことで、必ず違ったものが出てきます。質問に答える作者自身にも個性があるからです。作者のオリジナリティが出てくるのです。

人間という謎

ナゼを繰り返すことで、そのキャラクターの設定が掘り下げられていきます。創作論では「キャラクターの履歴書を作れ」ということがよく言われますが、その人物のキャラクターコアは履歴書を考えるだけではわかりません。就職活動や推薦入試でも面接があります。それは履歴書では見えない、その人の本質のようなものを見ようとしているのです。設定としての履歴書は、コアを掴んだ後で、辻褄を合わせていけば可能です。

では、その人間の本質とは何でしょうか?

ナゼ、じぶんは失敗ばかりするのか?

ナゼ、あの人はいつも幸せそうなのか?

ナゼ、やめたいのにやめられないのか?

ナゼ、いけないとわかっているのに、してしまうのか?

人間の心は不思議です。

自分でも理解できない「ナゾ」を抱えて生きています。

どこまで問いかければ、答えは出るのでしょうか?

ソクラテスの問答法のように、ナゼを繰り返せば繰り返すほどに「わからない」「無知」であることに気がつくかも知れません。

精神医学は幼少期のトラウマのせいだと言うかもしれません。
生物学者は遺伝と言うかもしれません。
占い師は前世に原因があると言うかもしれません。
宗教家はすべては神の御心だと言うかもしれません。

どれも正しいかもしれませんが、正しくないかもしれません。

読者は答えを求めているのでしょうか?

エンターテイメントではそうでしょう。軽いミステリーであれば犯人には悲しい過去や恨みなど、わかりやすい動機があって、読者は犯人に同情しつつも「犯罪はよくないよな」などと安心していればいいのです。

しかし、人を不安にさせる物語もあります。もしかしたら「犯人と同じ罪を犯してしまう可能性は誰にもであるのだ」と考えさせるような作品です。

作者が答えを出し切れなくとも、解き明かそうとする試みは、読者の興味をひくでしょう。

しつこくしつこく「ナゼ」と問いかけて、自分の作品や登場人物に向き合い、真摯に物語ることは作者の使命でもあるのです。

緋片イルカ 2020/03/11

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