今、SSFF2025が開催されている。
ショートフィルムは、そもそも好きだし勉強にもなるので、ライターズルームでも積極的に見るように言っている。
中には見るからに低予算の映画があって、どうしてもショボく見えてしまうのだが、それは「予算がないから」だけではないと思う。
一般人はテレビや映画などプロレベル作品=最低限予算がかかっている作品を普段、目にして、それが普通だという基準で見てしまうので、低予算映画を見ると、素人でもすぐに感じる。具体的に、どこがどう低予算だとか言えなくても、直感的に「ショボい」と感じてしまう。
映像作品で目立つのは1スジ、2ヌケ、3ドウサ。
なので「脚本」「演出」「演技」である。
映画祭の応募者にはアマチュアや学生もいるので、低予算なのは仕方がない。
クオリティを上げるために「予算をかければいい」というのは一理あるが絶対の答えではない。
例えば、予算10万の映画を、100万で撮れたらクオリティが上がるのは間違いない。
けれど、10万から100万で予算が10倍になったからといって、クオリティも10倍になる訳ではない。
監督が有能なら10倍以上のクオリティを出せるかもしれないし、無能であれば無駄使いして上がってないということもある。
10倍以上のクオリティを出せる監督であれば、最初から10万の予算しかなくても、100万並のクオリティを出せるかもしれない。
あくまで、説明のための単純計算の話だが、創意工夫できるかは、映像クオリティに大きな影響を与える。
脚本を含めたプリプロで創意工夫するのは、とても重要。
動き出してしまうと、お金はどんどんかかるので、その前段階で、しっかり計画を立てておけば、予算を抑えることができる。
こんなことは、映像計画に限った話ではない。個人の旅行とか、何か資格でもとろうと勉強するとかでも同じ。
どこにお金をかけて、どこは節約するか。
ハリウッドの大作映画は、もちろん驚くような予算がつくが、無限にあるわけではない。
この予算をかけておいて「この程度?」という疑問の映画もあるし、逆もまたしかり。
自分が監督だと考えてみる。
自主映画で10万しか予算がない。
クオリティを上げるために、100万の予算が欲しい。どうすればいいか?
素人にできることは限られている。
知り合いやクラウドファンディングを頼るか、身銭を切るしかない。
要は、他人に出してもらうか、自分で出すかの話。
他人に出してもらうというのは、商業作品にスポンサーがつくのと構造的には変わらない。
例えば、自分が「払う側」だと思ってみる。
見ず知らずの人が映画をつくるので1000円カンパしてくれと言っていて払うか?
払う側からしたら、たった1000円でも、捨てるようなものなので、ランチでも食べた方がいいと思えば払わない。
街中で募金を呼びかけている人を想像してみる。その活動に共感できれば払うかもしれない。
その映画が「面白そう」「良い企画だ」と思えれば、1000円ぐらい出してあげるかと思う。
あるいは友人であれば、財布の紐は緩くなる。企画が微妙でも「あいつが頑張ってるなら、1000円ぐらい」と。
1回や2回はいいけど、新作をつくるために何度も無心されたら、払う方もサブスクでも払ってるような気分になってきて、離れていく人も出てくるだろう。
「何で、お前を支えつづけなければならないんだ」という気にもなるし、映像制作に理解がある人でも「こっちも払うんだから、もっと良いもの作れよ」となるかもしれない。
個人の収入レベルには差があるので、ポンと「10万ぐらい出してやるよ」という人もいるかもしれない。
そんなタニマチみたいな知人がいる制作者は恵まれすぎているが、予算だけがクオリティに関わらないのは説明した通り。
払った以上の儲けが出るなら、払う人はいくらでもいる。それはプロの制作にスポンサーが付くのと同じ。
結局、誰かにお金を出してもらうということは、善意の寄付や募金か、相手に経済的効果もしくは同等の満足度がなければいけない。
では、身銭を切るときはどうか?
100万円ぐらい、本気であれば自腹で払える範囲です。副業やアルバイトして、100万円の貯金をつくるのと同じ。
計算してみたら、東京都の平均時給1452円で100万貯めようとしたら688時間。
サラリーマンが土日の休みを、バイトに8時間×2日=16時間使うとしたら、43週=301日。休みなしで働いて10ヶ月かかるが、全然やれない数字ではない。覚悟があれば。
でも、具体的に計算してみると、これだけの労働をして100万をかける価値のある作品なのか?という疑問が監督自身にも浮かぶはず。
それでも撮りたい=身銭を切ってでも撮りたい作品だと思えるなら個人の自由だし、その覚悟は、素晴らしいと、僕は思う。
覚悟がないのを隠して、美辞麗句を並べて、安直にクラファンしてる人間よりは魅力的。
作品のクオリティとは別に、クリエイターの生き様としては魅力がある。矛盾するようだが、そういう人になら払ってあげたいというタニマチも出てくるかもしれない笑
いずれにせよ、覚悟があるクリエイターは創意工夫する。
苦労してる方が良いといった精神論を説くつもりはないが、一般的にタニマチがくれた100万より、688時間働いて稼いだ100万のが、重いだろう。
これだけ、苦労して撮るんだから、少しでも良い作品にしたいと、自然にそう思うはず。
そういう態度で、創作・制作をつづけている人は必ず成長していく。
最初は、技術不足でクオリティの低いものしか作れなくても、「次はこうしよう」失敗を糧にと成長していく。
タニマチの100万で撮っていても、向上心があって、自分の目指すものに到達できていないと感じれば、成長していく。
苦労してるかかどうかの問題ではなく、向上心があるかどうかの問題。
向上心があれば、どうすればもっと良くなるかを自主的に勉強もする。「オレ流」に拘ってる暇はない。
プロでも、そこそこのファンができて、仕事が回っているせいで成長もせず、向上心に欠ける人がいる。
その向上心や、良いものをつくるという覚悟や気概のある人の作ったものは、低予算でショボい部分がたくさんあっても、どこかに光る部分がある。
それが見える作品は楽しいし、その片鱗すらない作品はショートフィルムのたった10分でも長く感じて苦痛。
これはただの個人的なぼやきだが、いいオッサンのクリエイターが、どうしてこうも女子高生の青春なんかを描きたがるのか?
それは、誰に何を伝えたい作品なのか? 自己満にしか見えない作品は苦痛だ。
だけど、その苦痛をしょっちゅう感じるからこそ、光るものを見つけたときには嬉しくもなる。
玉石混交はショートフィルムの魅力でもある。
いろんな作品を見ることで、自分自身の糧になることも多い。
イルカ 2025.6.7