他人のために書くということ(三幕構成46)

物語には「自分のために書く物語」と「他人のために書く物語」があります。

わかりやすさのため、あえて極端に言えば、自分のためとは「趣味」、他人のためとは「仕事」です。

もちろん、趣味であっても、読者に楽しんでもらいたいと思えば他人のためになりますし、仕事だからといって自分の創作意欲が充たされることは言うまでありません。両者には重なる部分があり、厳密に切りわけられるものではありません。

それでも、それぞれの「目的」や「目標」によって、求められるレベルや過程が大きく変わります。

「自分のための物語」であればレベルなど関係ありません。好きに書けばいいでしょう。むしろ、好きに書かないで、何が楽しいのでしょう? 誰に何と言われようが自由に書けばいいのです。それこそ趣味の醍醐味です。

それは、レベルが低いこととイコールではありません。

他人の影響が少ない場合は、読みづらさや難解さが増す傾向はあると思いますが、その反面、ガラパゴス化して独自の進化を遂げる可能性もあります。そこまでいければ立派なアーティストです。

「他人のための物語」では、「他人」の規模が拡大するにつれて求められるレベルが高くなっていきます。

友達や身内ばかりの同人サークルであれば、まだ趣味の延長です。狭いグループ内では社交辞令も含まれるでしょう。「お稽古ごと」のように成長を楽しむ集まりであっても趣味です。スポーツでいえばアマチュア。プロを目指している訳ではないでしょう。

お金を貰い出したらプロなのか、それだけで生計を立てていたらプロなのか、人によって考えはあるでしょうが、ともかく、原稿料をもらったり、販売するレベルになると、物語を「商品」とした、生産者と消費者の関係が生まれてきます。

消費者は金額に見合った満足感を得られなければ離れていきます。

物語はサービス業なので、お金をもらっていなくても、時間を消費させるので、つまらなければダメです。

例えばポケットティッシュを無料でもらって文句を言う人はほとんどいないでしょうが、無料だからといって2時間かけて「お話」を聞かされて、それがつまらなかったら「時間の無駄だった」と思うでしょう。弁護士やカウンセラーを考えれば、他人に、相談や話を聞いてもらうだけでも金額が発生します。

「他人のために書く」ということは「相手にどれだけ価値を提供できるか」ということと同義なのです。

お金や時間を使う価値がなければ、その作家の作品は「もう二度と読まない」「二度と買わない」と思われてしまいますが、消費した以上の感動を提供できればファンになってもらえる可能性もあります。

こういったファンを作っていける物語を書ける人が「仕事」として、書いていける人になっていくのです。

自分のためなのか、他人のためなのか、「目的」の度合いによって、創作の仕方も求められるレベルも変わります。

このことを、きちんと自覚することは、書く上でも、他人に意見を求める上でも重要です。

緋片イルカ 2022/02/27

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