重要なのは、病から癒えることではなく、病みつつ生きることだ。
(カミュ『シーシュポスの神話』)
今回はアルベール・カミュのことばの効果を考察してみます。
「Aではなく、Bである」
Aという前提を否定することで、Bの正当性を主張する論理構造です。Bに主張したいこと、Aにその対となる意見を入れることで応用できます。
たとえば、
「重要なのは、量ではなく、質だ」
「重要なのは、売上げではなく、満足度だ」
「重要なのは、結果ではなく、過程だ」
これらは、簡単にひっくり返すことができます。
「重要なのは、質ではなく、量だ」
「重要なのは、満足度はなく、売上げだ」
「重要なのは、過程ではなく、結果だ」
ビジネスやスポーツの世界では売上げや結果などが重要視されます。
「~はもう古い、これからは~だ」
など、真新しい言葉を変えれば、新書のタイトルにできそうです。
「~しなければいけない」という思い込みの打破
あらためて、カミュに言葉にもどると、Aでは「病から癒えること」が否定されています。
フランス語はわからないので「病」という単語が「心の病」、「体の病」どこまでを含むのかわかりませんが、心身どちらでも弱っている人は「元気になりたい」「癒えたい」と誰でも思うものです。治る可能性のある人であれば、早く治りたい、がんばろうとポジティブに捉えることはできますが、先の見えない治療、あるいは不治の病に冒されている人にとっては、そういきません。
「がんばれ」というメッセージが鬱病患者には苦しみであるように「病を癒やさなくてはならない」という思い込みが本人を苦しめるのです。
病は悪いもの、治すものという一般論が、その思い込みを後押しします。治療薬を開発しているような人にとっては、打破すべき悪者でしょうが、人間にはどうしようもない不条理を前にしたとき、多くの人は死を覚悟して立ち向かおうとはなかなか思えません。
「病から癒えなくてはいけない」という思い込み(A)を捨てて、「病とともに生きる」という価値観(B)の提示がこの言葉にはあります。
「~しなくてはいけない」という思い込みがある人ほど、このことばに共感するのかもしれません。変わろうとしなくていい、「そのままでいい」という実存主義的なメッセージだと思います。
緋片イルカ 2020/04/09