次回の読書会より、分析だけでなくて創作の要素をとりいれていくことにしました。
「作品合評会」と称して参加者から作品の応募を募り、講評したりしてしていきます。それに伴い、書いてみたいけど、どう書いたらわからないという方へ向けたヒントを書いていきます。(第一回はこちら)
前回は句読点の打ち方を考えました。
そこで「。」をどこに打つか悩む人は少ないだろうと書きましたが、改行となると別です。段落分けとも言えますが、今回はこれについて考えます。
段落の意味
ここでも、学校で習った定義を考えてみると「内容のひとまとまり」で段落を分けるというようなことが思い出されます。
とくに論説文では、段落構成がどのようになっているかという問題があったりします(そして答えに納得いかない場合もある)。
小説のような物語では、シークエンスやシーンの違いになります。
長編小説では「第一部」「第一章」といった大きく章立てされる場合があります。それぞれ年代や舞台に大きな変化が現れていることが多く、分け方は、わりとはっきりしています。
各章の中でさらに「一」「二」「三」といった数字を立てる作家もいます。
それぞれの章で、主人公(視点)が変わる物語もあります。
そういった構成上の区切りとは別に、文章中での区切りになるのが「改行」や「一行空け」ではないでしょうか。
脚本の場合
脚本では、シーン(撮影場所)が変わるごとに、改行して「柱」を立てるというのがルールになっています。
シーンの中は「セリフ」と「ト書き」で出来ています。
「ト書き」は、地の文に似ていますがカメラに映らないことは書いてはいけないとなっています。
たとえば、
男「ああ、暑いな~」
冷たい炭酸飲料でも飲みたいと彼は思った。
と書いても「飲みたい」という気持ちはカメラには移らないので観客にはわかりません。モノローグ(心の声)で言わせてしまうという手法もありますが、映像的に見せるのであれば、
男「ああ、暑いな~」
自動販売機から出したコーラをごくごく飲む若者がいる。
男、ポケットから財布をとりだす。
とか、やれば映像的に伝わります。
このとき「コーラをごくごく飲む若者」は別の役者が画面に映り、位置も違うので、ショットが変わります。
そして、「ポケットから財布をとりだす男」に、また画面が戻るときも、ショットが変わります。
このようにショットごとで改行するというのが暗黙のルールです(実際はほとんど守れていませんが笑)。
小説で改行する
脚本のショットに合わせて改行するのを、小説に応用すると、視線の動きに合わせて改行するとなります。
公園にはたくさんの人がいる。
キャッチボールをしているのは小学校四年生ぐらいの男の子と父親だ。子どもが投げたボールは地面にバウンドして、あさっての方へ転がっていった。父親は走っていって拾うと、肩を上げて投球フォームを見せて指導している。真剣なまなざしの少年が頷くと、父親はボールを返す。
桜の下ではレジャーシートを敷いて、サンドイッチを食べている女の子がいる。顔と同じぐらいの大きさのサンドイッチをずんぐりむっくりの両手でつかんで頰張っている。口の周りについたパンくずを母親が微笑みながらぬぐってやる。
鉄棒では老人がぶら下がっている。両手を上げても届かない高さの鉄棒があって、ジャンプしてつかまった老人は蓑虫のようにじっとぶら下がっている。頭の中で数字を数えているのだろう。
「キャッチボールの父子」「サンドイッチの母子」「鉄棒の老人」と視点が移るごとに改行を入れました。
けれど、この公園の描写が、物語上で重要かどうかという問題は問われます。
上の文章では、視点の主(主観・語り手)はベンチにでも座って眺めているようなかんじになりますが、これが自転車に乗って、公園を通過しているのであれば、上の文章では不自然になります。視点の動くスピードに描写される時間が合っていないからです。
公園にはたくさんの人がいる。キャッチボールしている男の子と父親だ。桜の下にはレジャーシートを敷いてサンドイッチを食べている女の子と母親。鉄棒では老人がぶら下がっている。
僕は公園の出口に向かってペダルを踏み込んだ。
こちらの文章では公園にいる人々がシャッターを切るように「パっ」「パっ」と一行で流れていくかんじがします。それによって、視点に動きが出ます。
「僕は公園の出口に向かって~」のところで、人々に向けた目を、自分の進行方向に向け直して、気持ちが入ったかんじが出るため、改行を入れました。
エンタメ小説では、一行ごとに改行を入れて下のようになるかもしれません。
公園にはたくさんの人がいる。
キャッチボールしている男の子と父親。
桜の下にはレジャーシートを敷いてサンドイッチを食べている女の子と母親。
鉄棒にはぶら下がっている老人。
僕は公園の出口に向かってペダルを踏み込んだ。
改行が多いと、読み手のページをめくる手が早くなるので、読んでいてスピードを感じます。
改行をつくる心
最後に井上ひさしさんの言葉を紹介しておきます。
このサイトでは何度も紹介している本からの引用ですが、わかりやすいのでまた引かせてもらいます。
「段落」について、ここで少し説明しますと、これは感覚の問題です。この段落のつけ方で、物を書く人の才能が、ある程度計られます。
段落とは内容が繋がり合ったひとまとまりのことです。(中略)
読み手にとって、どうやったらわかりやすくなるか考える。ここで改行したほうがいい、そう思う心が段落をつくる心です。
この段落をつくる心を養うには、たくさん本を読んで、自分の気に入った段落を書く人を見つけて、その人のやりかたを勉強するほかありません。(『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』)
池波正太郎さんの小説は、やたら改行が多いですね。
あれは別に原稿料を稼ぐというのではありません。(笑い)改行が独特のリズムをつくり、それが読者に、いい感じを与える。
池波さんの小説は愛読者がたいへん多いのですが、優れた書き手というのは自分と読者の関係のなかで段落をつくっていく。(『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』)
いわずと知れた『剣客商売』などの時代小説作家ですが、食を題材にしたエッセイも多くあります。
池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』
閃いたら、勢いで書こう!
何かひらめいくものがあったら、考えすぎずに書いてみることをオススメします。
どこかで見たことあるようなアイデアでも恐れる必要はありません。
作品には必ず、作者の視点が入るので、同じアイデアでも全く同じになることはありません。恐れずに書きましょう。
一番、大切なことは書き上げることです。
書き上げなければ、誰かに見せることもできません。
すてきな作品ができましたら、ぜひ「作品合評会」にご参加ください。お待ちしております。
緋片イルカ 2020/08/01