前回の分析会より、ライター志望の方々には作品を「採点」してもらうということを始めました。
その項目と意図を解説しておきます。
3つの項目
・項目はそれぞれ5段階評価。5が最良。4.5のような小数評価は禁止。
「好き」:作品に対しての個人的な好き嫌い。主観的な評価。
「作品」:作品全体に対しての総合的・客観的な評価。レビューや興収を参考にしてもよい。
「脚本」:作品についての評価から、脚本だけを抜き出したような評価。
主観と客観をわける意味
「好き」と「作品」の違いは、主観的評価と客観的評価の違いです。
一般のお客さんは、これを混同しています。
「好き」なものを名作と言ったり、流行っているからと「好き」な気になってる人もいるかもしれません。
クリエイターであろうという人は、この主観と客観の区別はできるようにすべきではないでしょうか?
主観的に「好き」というのはクリエイターとして大事なセンスです。
創作は簡単な仕事ではないので「好き」なしでやるには割に合わないこともあるでしょう。
反面、「好き」だけでは「仕事」にならないことも想像もつくでしょう。
ときには「好き」を圧さえて「作品」の質を上げなくてはいけないこともあるし、仕事でも部分的に「好き」を入れなければ創作の本質すら失いかねません。
脚本の役割を見抜くこと
「作品」と「脚本」を分けることは、脚本家にとって必要な能力です。
映画は総合芸術なので、様々な役割分担があります。
「1:スジ、2:ヌケ、3:ドウサ」という言葉があります。
作品に1番影響を与えるのが、話のスジ=脚本。2番目は映像のヌケ=ショットやリズム(カメラマンや編集)、3番目はドウサ=役者の演技です。
この他に、予算規模や企画(プロデューサー)、衣裳、ライティング、音楽は作品の質に大きく影響すると言えます。
もちろん、エンドロールにあるように、とても多くのスタッフが、様々な部署で支えています。興収という面では宣伝部も影響するでしょう。
そういった全体を方向付ける(ディレクション)するのが監督です。
こういった裏側を想像できていれば「興収がいい=良い映画」といった単純な評価など出来ないことがわかるはずです。
「作品」の中から「脚本」の良し悪しを抜き出して考えることが、脚本家にとって必要なことは言うまでもありません。
「脚本」の役割は何なのか?
たとえばト書きにやたらとキャラクターの衣裳について、色や形や、ブランド名などまでが詳細に書き込まれたとしましょう。
それは「衣裳係」の仕事ではないでしょうか?
かといって、衣裳については何も書かないのがいいかというと、そういう訳でもありません。
「脚本」は設計図なので、ある程度のト書きがないと「衣裳係」が仕事をできません。
ましてや、ストーリー上、その衣裳が意味をなすのであれば、しっかりと書かなくてはストーリーが成立しません。
そう、脚本は「ストーリー」の責任者です。
プロットとしての「ストーリー」であり、キャラクターとしての「ドラマ」の責任者です。
監督や役者さんの人気で興収が良くても、面白くなかったとしたら、大きな責任は「脚本家」にあるのではないかと思います。
脚本というのは、それぐらいの責任感をもって書いて欲しいと思うのです。
「作品」として面白いから、「脚本」もいいなど、他の部署の手柄を奪っているようなものです。
「作品」と「脚本」の採点を分けてできるようになることは、「脚本」の役割を理解するということでもあるのです。
採点する意義
採点するいうこと自体が「主観的」だと思う方もいるかと思います。
もちろん、主観的です(言うなれば人間の判断など、すべて主観的です)。
それでも、客観性をもたせていく作業が採点することです。
「この作品はすごく面白いなあ~」「こっちはめっちゃ面白い」「これもなかなか面白い」
そんな感想を言っていても、基準は定まりません。
これは4点、こっちは5点と、独断であれ採点をこなしていくことで、基準がでてきていきます。
数字にしたことで比較ができるようになるのです。
作品に対して評価すると同時に、自作についても評価することで、プロと自作を同列に評価することができます。
プロの作品を4と評価していて、自作も4と思えるようになったとき、(自分の中では)プロのレベルに到達していると言えるのです。
チームで採点する意義
チームで評価する意義は、レビューと同じです。
1人が★5を付けるより、100人が★5を付ける方が信頼できます。
また、自信がなくて自分では★1ばかりつけていても、周りの人の評価が上がっていけば、腕は上がってきている証拠になります。
自分が★4だと思っていても、周りの人が評価していないのであれば、自分の採点基準を疑うべきです。
チームで、お互い評価していくことで「採点する」ということ自体が意義あるものになっていくのです。
現時点での最高傑作
他者からの、自作への評価が悪かったとしても、自己評価で「好き:5」「脚本:5」を付けられるような作品が書けたとしたら、それは、自分にとっての最高傑作でしょう。
現時点での実力を出し切ったと言えるでしょう。
この裏を返すなら、自己評価で1や2を付けるような作品は、全力を出し切っていないと言えます。
もっと直せるのではないですか?
5にいくにはどうしたらいいのか、自覚していますか?
言うまでもなく「★1」のものを100本書ける能力など無意味です。
「★5」のものを1本書ける能力の方が求められるのです。
自己評価で、低評価がつづくのは、取り組み方自体に問題があるのではないか?と見直すきっかけにしてください。
緋片イルカ 2022.12.4