アラン・ダンダスの物語の最小単位

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アラン・ダンダスはネイティブアメリカンの民話を構造的に研究しました。「民話の構造―アメリカ・インディアンの民話の形態論」は絶版になっていますが図書館で見つけられます。

本のなかで、物語に関して2つ重要なことを書いています。

1つは、ウラジミール・プロップの31の機能「ビート(モチーフ素)」には、フリとウケのように二つで関連するものが多いということ。例えば、この森に入ってはいけないという「禁止」があれば、必ず入ってしまう「違反」があります。片方だけでは成立しないのです。「違反」のない民話には「禁止」もない。これは民話が語り継がれていくうちに、片方しかないビートは消えていくか、逆にもう片方のビートが足されていくためです。
アクションとリアクション、セットアップとペイオフ、フリとウケのように、言い方を変えると当然のように聞こえます。ミステリーで言えば、「謎」があれば「解決」があり、フリがない犯人があれば読者は怒るし、解決しない事件があれば未回収と言われます。このように物語のテクニックで考えれば基本中の基本ですが、ビートに関してこの関連性を見出しているのはアラン・ダンダスだけだと思います。
具体的にビートシートにでみてみると、「プロットポイント1」「プロットポイント2」が旅の始まりと終わりとして対になっているのは言うまでもありませんが「ピンチ1」「ピンチ2」「オープニングイメージ」「ファイナルイメージ」は初めから遂にして配置します。クライマックスの「ビッグバトル」はアクト2の「バトル」の延長でなければテーマが掘り下げられないことも解説しました。「ミッドポイント」で主人公を変化をさせるには、アクト1の「主人公のセットアップ」で何か問題点を抱えているように描いておく必要があり、ビッグバトルではその成長の証明をするのです。このようにビートの連結を意識していくことが、ただのエピソードの羅列ではなく有機的でムダのない物語創りへとつながります。各ビートの結びつきがしっかりしていれば、ダイヤモンドの炭素結合のように強固な物語構造になるのです。

もう1つの重要なことは物語の最小単位が「不均衡」→「均衡」であるということ。これは最小単位のビートと捉えることができます。「不均衡」とは「不足」か「過剰」のことだと書かれています。
たとえば「不足」は村の泉が水が涸れてしまうこと、「過剰」なら水が溢れてしまうこと。いずれも村に対する危機です。現代的な個人への危機として考えれば「お金がない」とか「パートナーがいない孤独」とかも不足といえますし、「過剰」は敵対者の登場も村にとっての過剰と捉えますので、ゴジラや地球に迫る隕石のようなものが含まれます。それの「不均衡」に対して「均衡」がもたらされれば物語は終了です。これも「事件が起きて」→「解決する」と言い替えてしまえば当たり前のことですが、これほど単純な言い回しで物語の最小構造を示しているのは、とても参考になります。ミステリーを書きたければ、まずは「謎」と「答え」を考えてしまえばいいのです。アクションものを書きたければ危機的状況を作ってしまえばいいのです。ハッピーエンドのラブストーリーを書きたければ「不足」している主人公を異性に出会わせればいいのです。そこから具体的にビートシートに落とし込んでいけば物語は自然に固まっていきます。「不均衡」→「均衡」という発想は、ビートシートの前段階として考えられるのです。

(緋片イルカ2019/01/17)

※参考
ロバート・マッキーは同じことを、主人公の側面から言っています。

実のところ、ストーリーにはただひとつの種類しかない。人類の夜明け以来、われわれは人から人へとさまざまな手立てで同じストーリーを語り継いできた。それを効率よく呼べば「探求」ということになる。すべてのストーリーは探求の形をとる。

ある出来事によって、人生の均衡がよいほうか悪いほうへ傾くと、もとへもどしたいという意識的欲求や無意識的欲求が生じ、敵対する力(内的、個人的、非個人的)に抗って欲求の対象を追う探求をはじめる。達成できるかはわからない。これがストーリーの中核にある。(『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』より)

2020/04/16追記

最小単位をビート理論に応用したもの→三幕構成の応用:ミニマムビートシート(WISビート)

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