ジョーゼフ・キャンベルの「宇宙創成の円環」

『千の顔をもつ英雄』の第一部は「英雄の旅」で、こちらに目次をリストにしました。「英雄の旅」はヒーローズジャーニーと呼ばれボグラーに引き継がれ、ハリウッド三幕構成のベースともなっている理論です(※当サイトで紹介しているビートシートは、ブレイク・スナイダーのビートシートをベースにしながら、キャンベルのモノミスなどに立ち返り、不足している部分を補ったものです。)

これに対して、第二部で描かれている「宇宙創成の円環(Cosmogonic Cycle)」では、英雄の視点からではなく、より大きな視点から「円環」が語られています。

宇宙の始まりから、神々が生まれ、英雄が生まれ、人間が生まれ、死んでいき、やがて世界は消滅する。

それらを、数々の神話への解釈から円環として配置して、輪廻転生にも似た「宇宙の一生」という、ひとつの視点を提示しています。

そこには「英雄の旅」を「ハリウッド三幕構成」として現代的にアレンジするうちに、失われた物語本来の「神秘性」へのヒントがあります。

以下、目次タイトルと引用、それらに対する補足を示します。安易に要約できる内容ではないので、興味のある方は書籍をお読み下さい。

第二部 宇宙創成の円環

第一章 流出

1 心理学から形而上学へ
2 普遍の円環
3 虚空から――空間
4 空間の内部で――生命
5 一つから多数へ
6 世界創造の民話

宇宙創成の円環は、通常、果てしなく繰り返される世界として表現される。生涯に眠りと目覚めの周期を繰り返すように、大いなる円環のたびに、通常、小規模な死が含まれる。(『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下』ジョーゼフ・キャンベル著、倉田真木、斎藤静代、関根光宏(翻訳)、ハヤカワ・ノンフィクション文庫。以下の引用すべて同)

「宇宙創成の円環」での死は神々の死や、英雄の死として描かれます。「英雄の旅」としては非日常の世界への旅立ちには死が伴います(黄泉の国への旅)。それらを心理学的や社会学的に解釈するのであれば、旅は通過儀礼であったり、依存状態からの脱出と変化であったりするのです。眠りを小さな死として捉えるならば、人間は毎日、無意識への小さな旅を繰り返していることになります。

宇宙創成のサイクルの第一段階は、形ないものが形あるものに様変わりするところを描いている。(中略)いっさいの虚空を超えた虚空を起点にして、世界を支える流出が展開する。

流出でまずはじめに起きるのは、空間という世界舞台の枠組みをつくること、第二にその枠内での生命の誕生である。生命は男と女という二つの形をとり、自ら命が再生されるよう両極化した。すべての成り行きを性に関する言葉で表現すれば、妊娠・出産である。

宇宙創成の円環が先に向かって回転すると、一つであるものが急に多数になる。同時に重大な危機が生じて、創られた世界はひび割れ、明らかに対立して存在する二つの面に分かれる。

こうしてみると、私たちは二つの様式の神話に直面する。ひとつはデミウルゴスの力が自ずと作用し続ける神話。もうひとつは、デミウルゴスが主導権を手放し、宇宙創成の円環が進展するのを妨害さえする神話。

世界(空間)をつくった神々が、ときに旧体制を固持する妨害者として立ちはだかる。円環を進める英雄が求められることになる。

第二章 処女出産

1 母なる宇宙
2 運命の母胎
3 救世主を孕む子宮
4 処女母の民話

創造者の父性的な側面よりも母性的な側面を強調する神話において、最初の女性は、世界の始まりの舞台の務めを果たし、別の段階であれば男性に割り当てられる役割を演じている。さらに、この女性が処女であるのは配偶者が目に見えず正体がわからないという理由による。

ヘロデ王のような人物(「頑固な自我を正しく抑えられなかった極端な象徴」)が人類を精神失墜のどん底へと連れて行くと、循環の超自然的な力が働く。ひっそりとした村で乙女が生まれる。(中略)彼女の子宮はいまはまだ原始の深遠同様に休んでいるが、機が熟せば受胎する力が備わっている。

第三章 英雄の変貌

1 原初の英雄と人間
2 人間英雄の幼児期
3 戦士としての英雄
4 恋人としての英雄
5 皇帝や専制君主としての英雄
6 世界を救う者としての英雄
7 聖者としての英雄
8 英雄の離別

私たちは前章まで、二つの段階について検討してきた。第一段階は、「創造されず創造する者」が神から直接流入して以降、その流動的で時間にとらわれない存在が神話時代に活躍するまでの段階。第二段階は、「創造されて創造する者」の登場から人類の歴史にいたるまでの段階である。第二段階に入ると、神からの流出は凝固し、人間の意識は収縮した。この段階になると、かつては目に見えていたものが見えなくなり、そこから二次的に派生したものだけが人間の小さな瞳に見えるようになった。そのため、宇宙創成の円環を進めるのは、見えなくなった神々ではなく、多少なりとも人間味を帯びた英雄たちである。その英雄たちの手によって世界は命運が決められる。そして英雄の登場を機に、創造神話に代わって伝説が人々の間で語られるようになる。

※「創造されず創造する者」=the Uncreated Creating
※「創造されて創造する者」=the Created Creating

本書第一部「英雄の旅」で、私たちは英雄の救済行為を第一の視点、すなわち心理学的とも呼べる視点から考察した。次に私たちは、それを第二の視点から検討しなければならない。第二の視点に立つと、英雄の救済行為は、本来は英雄自身が形而上の神秘を再発見し明らかにする行為であったために、まさにその形而上の神秘を象徴するものになる。

英雄の第一の任務は、宇宙創成の円環にける先行段階を意識的に経験し、流出の時代をさかのぼることにある。第二の任務は、流出の時代の深淵から生活の場に帰還し、造物主(デミウルゴス)的な力を潜在的に持つ者として人間世界の変化に寄与することにある。

各章のタイトルにある英雄の種類については割愛します。

第四章 消滅

1 小宇宙の消滅
2 大宇宙の消滅

非凡な力を持つ偉大な英雄とは、実は私たち一人ひとりなのである。それは、鏡に映る物理的な身体ではなく、内なる王である。クリシュナはこう宣言する。「私はあらゆる生き物の心臓に座す自己である。私はあらゆるものの始まりであり、中間であり、終わりである」この宣言こそ、個人が死を迎えるときの祈りの骨子となる。つまり個人は、生きているときに心の中に映されていた、世界創造神についての原初的な知へと帰っていくのである。

創造された個の形はおのずと消滅する。同じように、宇宙の形もおのずと消滅する。

さいごにエピローグの「現代の英雄」からの引用をします。

現代に生きる人間の課題は、絶大な統合機能を持つ神話――現在では「作り話」とされる――が語られていた、相対的に安定した時代を生きた人間の課題とは正反対なのである。かつて、意味はすべて集団の内部、巨大で無名のかたちの中にあり、自己表出する個人の中にはなかった。ところが現代社会では、意味は集団の内部にはなく、世界もない。すべての意味は個人の中にある。しかし、その意味も完全に見失われている。そのため現代人は、どこに向かって進めばいいのかわからない。自分を駆りたてるものが何なのかわからない。人間の意識と無意識の領域をつなぐ線はすべて断ち切られ、私たちは二つに分断されている。
 現代においてなされるべき英雄の偉業は、ガリレオの時代におけるそれとは異なっている。かつて暗かった場所は、いまでは光がさして明るい。ところが、かつて明るかった場所は、いまでは暗い。調和する魂が住まっていた、失われたアトランティスに、再び光りをともす旅に出る行為こそ、現代の英雄がなすべきことなのである。

緋片イルカ 2020/10/04

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