キャラクターアークとモノミス(中級編7)

三幕構成 中級編(まえおき)

三幕構成の中級編と称して、より深い物語論を解説しています。連載回数は未定です。思いつくことがある限りつづけます。

中級編の記事では、ビートを含む用語の定義や、構成の基本、キャラクターに対する基本を理解していることを前提としています。しかし、応用にいたっては基本の定義とは変わることもあります。基本はあくまで「初心者が基本を掴むための説明」であって、応用では、例外や、より深い概念を扱うので、初級での言葉の意味とは矛盾することもでてきます。

武道などでも「守」「破」「離」という考え方があります。初心者は基本のルールを「守る」こと。基本を体得した中級者はときにルールを「破って」よい。上級者は免許皆伝してルールを「離れて」独自の流派をつくっていく。中級編は三幕構成の「破」にあたります。

以上を、ふまえた上で記事をお読み下さい。

超初心者の方は、初心者向けQ&A①「そもそも三幕構成って何?」から、ある程度の知識がある方は三幕構成の作り方シリーズか、ログラインを考えるシリーズからお読みください。

今回の記事はとくに「プロットアーク」と「キャラクターアーク」の区別が前提となっています。用語の定義があいまいな人は「葛藤のレベルとアーク」(中級編1)などの記事をお読みください。

読書会でわかってきたこと……

以前、映画作品を分析する会を定期的につづけていました。月に一回の集まりで5年ほど続けていましたが、個人的に分析した作品は200作品ぐらいあります。

慣れてくると、初見で見た映画でも、たいていビートがわかるので、分析表を作っていないって映画を入れれば、1000以上にもなると思います。

映画は、それほどに構成がシンプルです。

それは、上映時間があるので必然的に長さが一定になり、構成が時間に縛られることになるからです。

また、三幕構成関連の書籍は多々あれど、実際に分析をしてみると、言っていることが当たったるものもあり、一部の作品にしか当てはまらないものもあり、また見落とされていることも見えてきたりしました。

その結果でバージョンアップしたビートシートが初級編で解説したものになります。

いまは僕自身が脚本から小説に転向したこともあって、現在は読書会(&合評会)として行っている勉強会では、主に芥川賞を受賞した文学作品を扱っています。

まだ5回と分析サンプルは少ないのですが、いくつかの共通点が見えてきました。

映画同様、分析表は作らないで読んだ本も僕の頭の中ではサンプルになっているはずです。

読書会でとりあげた作家はデビューからの代表作を読み通してもいるので、その中で、同じ作者でも芥川賞や三島賞などの候補に挙がるものと、挙がらなかったものでは構成上、テーマ上で特徴があるのに気づいてきました。

具体的には記事では書きません(そのテクニックは僕にとって商売道具になるので、いわゆる企業秘密というやつでもあります。オフレコの合評会では、その観点も踏まえて参加者の作品をブラッシュアップしているので、深く知りたい方はどうぞ読書会にご参加ください。)

今回の記事では、いくつかの発見から、まとめておいた方がいいと感じた「キャラクターアーク」のタイプについて説明します。

モノミスの再確認

キャラクターアークを考えるとき、モノミスとしてのの物語の捉え方がとても重要なので、再確認しておきます。

これは『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』のp.88にある図を模式的に表した図です(書籍の画像を貼りつけるのは著作権上、問題がありそうなので)。

けれどモノミスの本質がわかれば、これだけで十分です。

これは物語パターンの本質にあたります。

横一本線は日常と非日常の境界線を表します。

書籍に従えば、上半分が日常の世界、下半分が非日常の世界となります。

主人公(英雄)の冒険、すなわち「キャラクターアーク」は、この円の一部を切りとったものです。

それは数学でいう「弧」にあたり、だからアークと呼ぶのです。
(※一般的なハリウッド関連の書籍では「キャラクターアーク」はキャンベルのモノミスと関連した使い方はしていません。関数グラフでX軸は時間、Y軸はあいまいな感情の盛りあがりという図に描かれるアークとして捉えています→参考記事:「葛藤のレベルとアーク」(中級編1)

キャンベルの図では「聖婚」「父との和解」「神格化」「霊薬泥棒」が円の下部、時計でいう6時に書かれています。

「プロットアーク」のビートにあてはめるなら、ここが「ミッドポイント」にあたります。

PP1にあたる旅立ちは9時、PP2にあたる帰還が3時となっていて、

映画では「主人公のセットアップ」から始まっていくので、スタートは12時です。

つまり英雄の旅とは、12時からはじまり反時計回りにすすみ、9時を過ぎたところで非日常の世界に入ります。

円の最下部である6時でMPとなり、リワードを得て、日常の世界へ戻ってくる。

3時で日常の世界にもどり、変革をもたらすのです。

英雄によって変革された世界は、新しい日常となるのです。

モノミスの円環に、精神世界のモデルを重ねれば、下半分は無意識の領域となります。この連想は容易いかと思います。

英雄の旅が反時計回りに進むのは「宇宙創成の円環を遡ることが英雄の旅である」ということと関連しているのだと推測できますが、それについては別の記事で改めて書こうと思います。

プロットアークのビート

本来「プロットアーク」のビートには意義は必要ありません。

どんなイベントでもいいので、読者を飽きさせないように、定期的に「変化」をつけることです。

本質は、語り部の節や、打楽器による伴奏のようなものです。詩の反復法などの効果もこれです。

そこに物語上の変化、つまりモノミスの要素を重ねていくと、ハリウッド三幕構成となります。

ハリウッド三幕構成は、よくできた理論である反面、形式的になりすぎると、モノミスによる物語のダイナミズムが失われます。入門者にはとても、よくできたテクニックですが、それに従っているだけでは物語の本質を見損なう恐れがあるのです。これが初級と中級のちがいです。(参考記事:『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』に潜む3つの問題点(中級編6)

ある主の古典は内容的には優れていても、退屈な場合があります。これはプロットアークが古いためです。伝統芸能の「能」などが現代人には眠く感じるのはそれです。

一方、ハリウッドの大作映画では演出上、リズムがとても早く、見ている間は引き込まれるのですが、物語としては深みにかけるものがあります。個人的な印象ですが、クリストファー・ノーラン監督の映画などはそんな印象を受けます(キャラクターアークがないという意味ではなく、ハリウッド三幕構成レベルには機能しているので、演出がとても巧いという意味です)。

現代作家は「プロットアーク」と「キャラクターアーク」の両方をコントロールすることが求められます。

キャラクターアークのビート

ハリウッド三幕構成は、モノミスをベースにしているので、主人公は「行って、帰り、変革する」ところまでをビートとして取り込もうとします。

モノミスの円環でいうなら、主人公が12時からスタートして、一周して戻ってくるところまでを一つの物語で描こうとするのです。アークというよりサークルと呼んだ方が、しっくりくるかもしれません。

しかし、そこまで完成された物語はめったにありません。

キャラクターアークで描かれるのは、あくまでアークです。

たとえば「主人公が旅立つことができず、物語の最後の最後で、ようやく決断できた」というストーリーがあっても良いのです。

これは、円環でいえば、12時から9時の間のアークしか描いていないことになります(キャラクターアークはここでも、現代的にはプロットアークは入れる必要があります)。

ここまで読書会をつづけて気づいたのは、文学作品ほど短いアークを描くものが多いのです。一般的な言葉で言い換えれば、主人公の個人的な体験を描いたものが多いということです。

以下は、民話を題材に、いくつかのキャラクターアークの型を示します。なお、民話には結末などにいろいろなバリエーションがありますが、あくまで一般的に認知されてるバージョンとして用います。

シンデレラ型

行って、帰り、変革する型です。モノミスの円環でいえば一周する物語です。シンデレラは「舞踏会」という非日常の世界へ行き、王子の愛というリワードを得て帰ってきます。それによって、王子と結婚して「お姫さま」になるという新しい変革を起こします。円環を一周した物語になっています。この物語は、王子を主人公として見た場合、シンデレラとの出逢いが非日常の始まりとなり、王子はガラスの靴の持ち主を探すという旅に出るのです。現代的なシンデレラでは、主人公であるシンデレラを中心にストーリーを動かすために、シンデレラがはっきりと意志をもった女性となります。一方、民話としてのシンデレラでは、シンデレラと王子の両者がアークを持っていて、その結果として結婚に辿りつきます。これはラブストーリーとしての重要な要素を含んでいます。古典的な見方では、日本神話のイザナキ・イザナミの結婚の話にあるように「男性から女性をプロポーズするべき」というモチーフも見えますが、現代物語では、ラブストーリーは両者のアークによって進展するのだということが大切です。(参考記事:「ストーリー価値とアーク」(中級編2)

鶴女房型

行って、帰って、元に戻る型です。モノミスの円環でいうと12時~3時で止まってしまう物語です。助けた鶴が女房として現れる鶴の恩返しとしても知られる話です。これはラブストーリーではなく男が妻を得るという一方視点の話です。「機織しているところを除いてはいけない」という「見るなの禁止」を犯すことで妻を失います。同じモチーフはイザナキの黄泉の国めぐりや、ギリシア神話のオルフェウスの物語にも見られます。浦島太郎の「玉手箱」も構成が変形していますが、同一のモチーフと言えます。「禁止を破る」とはときに旅立ちのきっかけともなります。たとえば鶴女房が去った後の男が、寂しさから人間の妻を娶る動機になりえるのですが、物語が終わってしまうので、この型の話は失敗談のようにも見えます。民話の教訓的要素を強調した構成ともいえます。

星の銀貨型

行ったきり、帰ってこない型です。モノミスの円環でいう12時~6時までの半周で止まる物語です。グリム童話『星の銀貨』の分析として記事にしました。ハッピーエンドに見える話が多いのですが、非日常の世界に行ったきり帰ってこないという構図は、日常にいる人々には天国に行ってしまったとも見えるため、この型のストーリーはいわゆる「死亡説」の解釈が起きやすいものです。現代物語で喩えるなら「家出をした人間が、遠くで幸せに暮らすようなもの」です。一般的な倫理観が強い読者には、家族を捨てた主人公のように見えたり、その後の和解を求める気持ちがあって、現代物語としてはアンバランスに見えたりします(プロットアークを工夫することで解決できますが)。

眠り姫型

行かない型。モノミスの円環でいうと12時から~9時までで止まってしまう物語です。つまり旅立ちに失敗してしまうのですす。眠りについたいばら姫は、王子様が助けにくるまで100年も待つことしかできません。現代物語の主人公としては行動力に欠けるので構成上の工夫が必要になります。眠りは死を意味すると同時に、より深い精神世界へのアクセスと捉えることもできます。眠りという旅に出ているという解釈もできるのです。主人公は「旅立ちへの誘い」が来た時点で、もう逃げることはできないのかもしれません。

メシア型

変革者がやってくる型です。モノミスの円環でいえば3時~12時までの部分を、日常世界にいる者の視点で描く形です。英雄が旅した部分は省かれ、すでにリワードを手にした英雄が現れるのです。ブッダでいえば悟りを開くまでは英雄の旅、悟りの布教を始めるのがこのメシア型です。キリストでも同じです。(参考記事:「リワードというビート」(中級編4)

キャラクターアークの本質は「変化」

物語の本質は変化です。モノミスの円環でいえば、9時、6時、3時の地点が、大きな境界点となっているため、ここを通過しない物語はダイナミズムが不足するといえます。

たとえば、12時~11時ぐらい、日常の世界にいる主人公に、冒険への誘いくるだけの物語を描くと、それは長いシリーズの第一話のような話にしかなりません。その先の大きな旅立ちを予感させてこそ、成立するのです。

現代物語は小手先のテクニックでもある程度は「売れる」ので、プロットアークを身につければ職業作家としては成立しかねないところがあります。

「売れる」と「感動」はイコールではありません。宣伝効果などで売れても、感動しないものはたくさんあります。売れているのからアンチがいるという問題ではありません。

感動は、物語に内在する神秘性に触れることによって起こります。

テクニックとして説明するのであれば、キャラクターアークが描けているかということになるのです。

キャラクターアークが描けているかということは、つまりはモノミスの円環=人間の無意識領域にリンクしているかどうかになるのです。

(参考記事:ジョーゼフ・キャンベルの「宇宙創成の円環」

緋片イルカ 2020/10/01

次の記事 → 「無からの創成」と「無への到達」(中級編8)

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