プロットの形式⑤キャラクターコアとwant(中級編18)

この記事はミニプロットについて(中級編13)からのつづきです。

目次:
①プロットの尺度
②「クローズド・エンディング」と「オープン・エンディング」
③「外的葛藤」と「内的葛藤」
④主人公の数
⑤キャラクターコアとwant
⑥時間の扱い
プロットの形式⑦「因果」と「偶然」

能動的な主人公か? 受動的な主人公か?

今回もロバート・マッキーの『ストーリー』の引用から。

アークプロットの単独の主人公は能動的で活力に満ち、激化する葛藤や変化をくぐり抜けて、ひたすら目標を追い求める。ミニプロットの主人公の場合、無気力とまでは言わないにせよ、どちらかと言うと受け身で消極的である。この受動性は、『偶然の旅行者』のように、主人公に強い内的葛藤を与えるか、マルチプロット型の『ペレ』のように、主人公の周りに劇的な事件を配することによって補正されることが多い。(p.66)

ロバート・マッキーは、

アークプロット=能動的な主人公

ミニプロット=受動的な主人公

という説明をしています。

主人公の「能動的/受動的」は第三回の「外的葛藤」と内的葛藤」の記事で解説したことと関連します。

今回は、主人公の側から同じ問題を考えてみます。

主人公の「能動的/受動的」を、あえて簡単に捉えるなら「want」と「リアクション」で決まると言えます。
参考記事:キャラクター概論11「主人公のWANTとNEEDについて」

wantは主人公の目的を「~したい」という一言で捉えてしまうのがコツです。

本質的には後述するキャラクターコアまで考えるべきですが、シーンとして描くときのテクニックとして「~したい」で捉えてしまうのが簡単で、かつ、とてもパワフルです。

wantはストーリーの中途で変わっていきますが、まずは一本、明確なwantを捉えることから考えてみます。

「俺は海賊王になる!」みたいなものです。

これだけでキャラクターがとても掴みやすくなります。

アークプロットでは主人公がストーリーを強く引っ張って行くことが多いので、主人公のwantに対して障害となるイベントが発生し、外的葛藤が起こります。で説明したことに繋がります。

これを能動的な主人公とするなら、受動的な主人公とは「~したくない」というwantを持っているようなものです。

能動的な主人公であれば迷わずに決断して行動していくようなシーンでも、受動的な主人公では躊躇したり、逃げ出してしまったりといったリアクションをします。

受動的な主人公に対しては、逃げられないようなイベントが障害となります。

「敵を倒す」といった外的な葛藤より、「勇気を出して決断する」といった内的な葛藤が中心になりがちです。

受動的な主人公は、迷う分、行動が遅くなるため、必然的にストーリーのテンポも遅くなります。

アクションやサスペンス映画の刑事が、捜査を始めることに躊躇していたらどうでしょう?

キャラクターとして人間味があっても、アクション・サスペンスというジャンルにおいては不適切でしょう。

また、ロバート・マッキーの文章にある「主人公の周りに劇的な事件を配することによって補正されることが多い」というのは、迷う間も与えないようなイベントによって、受動的な主人公を動かしていくことです。

優柔不断な主人公でも、命の危機が迫れば、迷わずに逃げます。

こういったイベントでストーリーを動かしていくなら、受動的な主人公でもアークプロットになります。

反対に、前回の記事で説明したコントラストプロットなどは、ミニプロットでも能動的な主人公2人で構成されていることもあります。

必ずしもアークプロット=能動的、ミニプロット=受動的というわけではありません。

とはいえ、映画では時間の制限があるので、アークプロットの主人公に能動的になりがちなのは、ロバート・マッキーの言うところは的を射た指摘だと思います。

以下では、「能動的/受動的」に関わるwantについて掘り下げていきます。

wantの階層と変化

キャラクターのwantは1つとは限りません。

「ラーメンも食べたい」けど「お寿司も食べたい」、そんな風にいくつもの願望があるのはもちろんですが、この2つはまとめれば「何か食べたい」となります。

では、どうして食べたいのかと言えば「生きたい」からです。

日本のような平和な国で暮らしていると忘れがちですが、戦争やホラーやアクションといったジャンルでは主人公のwantが「生きたい」となることも、よくあります。

では「食べたい」と「生きたい」は同列かといえば、「生きたい」から「食べたい」のです。お腹が空いていても毒キノコは食べません。

このようにwantには「大小」があります。「深浅」と捉えた方が心理学的かもしれません。

大きなwantとして「海賊王になる」という主人公でも、それぞれのシークエンスごとに「仲間を助ける」といった小さなwantがあります。(※僕はワンピースは未読なので、そんなエピソードがある知りませんが)

マンガ連載やドラマでいえば、大きなwantは、シリーズを通してのwantともいえます。

小さなwantは、シークエンスごとに変化していきますが、大きいwantが変化することはあまりありません。

その意味では「キャラクターの性格」に近いものとも言えそうです。僕はキャラクターコアとも呼んでいます。

大きなwantの変化は、キャラクター自体が変化してしまうことです。安直に変えてはいけません。

「海賊王になりたい」と言っていた主人公(ルフィではありませんよ?)が、ちょっとした挫折で諦めてしまったら、観客・読者はどう思うでしょうか?

主人公の夢は、その程度だったのだと共感が薄れます。

落ち込んだり、立ち直ったりという展開自体はドラマチックですが、主人公のwantをフラフラさせると優柔不断か、躁鬱にすら見えるかもしれません。

突然「やっぱり、世界一のパン屋になる!」と言いだしたら、どうでしょう?

主人公のwantはテーマを背負っていることも多いので、その作品自体をぶち壊しかねません。

キャラクターコアとなる大きなwantは安直に変化させてはいけないのです。

では、たとえば、長いマンガ連載の中で、主人公が一度だけ「もう海賊王を諦めよう……」と思ったエピソードがあったとします。

そう聞いたら、観客・読者は「あの主人公に、いったい、彼に何があったんだ?」と興味を引かれませんか?

これこそが、キャラクターアークであり、アークプロットなのです。

主人公のキャラクターコアの変化を丁寧に描くには、それなりのイベントや心情描写が必要不可欠です。

アークプロットの形式で、主人公のキャラクターアークを描けば映画一本分かかります。

そのアークを凝縮したようなミニプロットを、腕のないライターが書けるわけがないというのは、この連載記事の初めから言っていることに繋がります。

コンプレックスなキャラクター

人間は単純なアニメキャラクターのとは違い、矛盾を抱えています。

「こんな仕事はしたくない」と思いながら「生活のためには仕方がない」と言って、嫌な仕事を続けます。

これをwantで表すなら仕事を「やめたい」「やめたくない(クビにされたら困る)」というアンビバレンスな状態です。

このキャラクターに「早期退職を迫られる」というイベントが起きたらどうなるでしょう?

「やめたい」と「やめたくない」の、どっちが強いwantなのか決断を迫られているとも言えます。

矛盾するwantを抱えた主人公を丁寧に描くことは、キャラクター描写の腕の見せ所です。

当然、外的葛藤しか持たない単純なキャラクターを描くよりも難しくなります。

ときには、ライター自身の人間観が強く反映されてしまうこともあります。

シャドウとの遭遇

大きなwantが変化することこそキャラクターアークだと書きました。

変化を別の言い方をするなら「自分の中により深いwantを発見すること」とも言い換えられます。

たとえば「金持ちになりたい」というwantを持った冷酷な経営者がいたとします。

幼少期に貧しい家庭に育ち「貧乏から脱け出したい」という動機が「金持ちになりたい」につながっているとします。

「ビジネスの世界は弱肉強食だ。同情はいらない」

と、他人の気持ちなど省みずに成功していった彼が、ある母子を切り捨てることに戸惑いを覚えたとします。

「これはビジネスだ。犯罪じゃない。俺は間違っていない。あんな親子、はやく切り捨てるんだ!」

損得は頭でわかっています。自分を納得させようとします。

やがて、決断をしなければ会社が大損害を受ける自体に陥る。

それでも、決断できない。

彼は、その母子に、幼き頃の己の姿を重ねていたのです。

心理学では、無意識に自分を動かしている存在をシャドウと呼びます。

この主人公は「金持ちになりたい」というwantを持っていました。

その動機は「貧乏から脱け出したい」からではなく、心の奥底では「貧しくて苦しんでいる母を助けたい」と思っていたことに気がつくのです。

自覚した瞬間、シャドウは光に照らされます。もはやシャドウ(影)ではありません。

こうして、彼は変化するのです。

その後の彼が、どういう行動をとるかは語らずとも想像できるかと思います。

こういったキャラクター変化、人間変化に対する視点をライターが持っていないと、本質的なキャラクターアークは描けません。

コズモゴニックアーク

中級編の記事なので究極のリワードについても触れておきます。

キャンベルの「英雄の旅」では「父親との一体化」という段階があります。

心理学的な解釈をするのであれば、これが「シャドウとの遭遇」です。

しかし、神話学的な解釈をするときには、より高次な存在「聖なるもの」との遭遇ともいえます。

それが何であるかは、言葉にできないものだと、これまでの記事でも書いています。

ここでは便宜上、「聖なるもの」と呼びましたが、別の呼び方にしても構いませんし、本質的には言葉で言い尽くすことはできません。
参考記事:「ヌミノーゼ」について

太古から、人類が物語というものを語り継いできた本質もそこにあると僕は考えます。

こういう「聖なるもの」との遭遇を描き、キャンベルのいう「父親との一体化」の次の段階、「神格化」に至る物語を「コズモゴニックアーク」と僕は呼んでいます。
参考記事:コズモゴニックアーク

これを意図的に描こうとするには、ライターとしては人間観以上の、世界観・宗教観・哲学とでも言うようなものが必要です。

わからない人にはわからないと思いますが、わかる人には、これだけの説明で十分に伝わっていると思います。もちろん、うさんくさい宗教とは無関係だということも、ご理解いただけるかと思います。

創作の面白いところは、作者が意識的に描こうとしていなくても、物語の行間から、にじみ出るように、コズモゴニックアークを辿っている作品があることです。

これは、芸術という活動の、本質的な価値でもあるのかもしれないとも思います。

抽象的な話になりましたが、さいごはテクニックについて触れていきます。

wantの描写

大きいものであれ、小さいものであれwantはあくまで設定なので、これを物語の中で伝えるには、シーンとして描く必要があります。

映画では、簡単で、それでいて強力な方法が「セリフで言わせること」です。

余談ですが、以前、あるテレビドラマのプロデューサーにこのことを話したら安易だと言われました。「説明台詞」との差を理解できなかったのでしょう。wantに関しては明確に言わせる方が効果的です。

セリフ以外の方法も後述しますが、その腕がないのであれば、セリフで言わせた方が圧倒的に効果的です。多くの観客をターゲットにするエンタメ作品であれば尚更です。

他のシーンでは「説明台詞」ばかり入ってるのすら気づかないくせに、wantをセリフにすることを頭ごなしに否定するのは、物語の本質がわかっていないからだと僕は思います。ちょっと恨み節が入りました笑

疑う人は、じぶんで作品の分析をしてみてください。

ハリウッド映画であればセリフに注意するだけでwantは簡単に見つかります。たいていは初登場に近いシーンでさりげなく言っています。

ディズニーやピクサーのアニメ映画には驚きますが、トップシーンで、それもモノローグで言わせていたりします。

これによって主人公が誰かもはっきりするし、共感もしやすくなっています。子供を対象とするアニメ映画では、これぐらいの分かりやすさや明確さが、ちょうどいいのです。

そのまま実写でやるのは、やりすぎと思わなくもないですが、効果的なのは確かです。

また、受動的や無口な主人公だと、性格的に、自分の夢や願望を人前で発言するような人物ではないこともあります。

「セリフで言わせろ!」とは書きましたが、こういったキャラでは注意が必要です。

発言しても不自然にならないような状況をていねいに作ってあげたり、周りの人間へのリアクションなどで、どう思っているか、はっきりと伝わるような描き方をするのです。

こういった描写を応用していくと、セリフでない表現方法になっていきます。

分析会でとりあげた『フリーバッグ』のワンシーンを思い出しましたが「絶対にセックスしない」と断言した直後のシーンでベッドシーンに入っているという表現がありました。「セリフ」とは別のwantを持っていることが構成で伝わる面白い例です。

『ドライブマイカー』の主人公もセリフで言っていませんが、主人公の性格が伝わります。この作品は受動的な主人公を考えるにはいい題材かもしれません。ただし受動的ゆえの描写なのか、ブレてしまっているかはていねいに分析する必要があると思います。
参考記事:映画『ドライブ・マイ・カー インターナショナル版』(三幕構成分析#50)

他に、どんな方法があるかは、どうぞ分析してみてください。いかにセリフで、それをさりげなく言わせているかということに工夫がみえると思います(面白い例があったら、ぜひ教えてください)。

説明ゼリフを書くようなライターは誘導ゼリフで、強引に言わせようとしますが、そんなやり方ではなく、ストーリーを展開させながら、さりげなく言わせています。

さりげないからこそ、「want」という概念がないまま、映画を見ていると気づかないのです。

また、セリフで言わせたからといって、wantは終わりではありません。

「海賊王になる」と言っておきながら、冒険にすら出ない主人公を見ていたら、wantとしては機能しません。宣言したからには、そのwantに従った行動を描いていくのは言うまでもないことです。

そうして、変化するときには、きちんと変化させます。何度も言いますが、それがキャラクターアークを描くということです。

裏を返せば、キャラクターアークがきちんと描かれてさえいるなら、セリフでwantを言う必要はないとも言えます。全体を見ればわかるのです。

わかりづらくなりますが、それこそミニプロット的な表現ともいえます。

緋片イルカ 2022.4.2

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